自分ができることを精一杯できる人に | 動物や人間の健康など「しあわせな生き方」を考えるブログ@東京都調布市、筋膜リリース、メディセルミニ

動物や人間の健康など「しあわせな生き方」を考えるブログ@東京都調布市、筋膜リリース、メディセルミニ

動物や人間の健康など「しあわせな生き方」を考えるブログ。痛みやむくみなど身体の不調改善の対処療法ではなく根本解消を考えるサロンオーナーのブログ。東京都調布市で筋膜リリースを主体としたメディセルミニ・ハイブリットを使用したオイルケアをしています。

かつての想いを活字にしたのを
読んでいただきありがとうございました。
 
 
 
 
死というのは私に常に付きまとっていて
初めて死を感じたのは、小学校入学前。
 
 
ご近所の方の葬儀での出来事。
 
 
そのときはお棺の中の人が
漠然と「いなくなるんだ」と思っていたけど
火葬の時はとても恐ろしかった。
 
 
肉体が灰になるというのが
どういうことなのか
その当時は全く理解していなかった。
 
 
次に死と向き合ったのは
小学校2年に上がって2ヶ月ほどたった時。
 
 
6月1日、学校が休みの日。
 
 
私の実家から山の方に行った
河原に少し大きめの池。
 
 
同級生の男子が2人
遊ぼうと声をかけてきたけれど
家でボーっとしていたかったから断った。
 
 
それからどれくらいだろう。
何時間かして男子の一人が
すごいスピードで自転車こぎ
家の前の道路を通り過ぎた。
 
 
もう一人の男子が「泳ぐ」といって
池に入って上がってこないと。
 
 
冗談だと思っていた。
 
 
北海道ではまだ水温は低く
水中で心臓発作を起こしたのだそうだ。
 
 
たった10数人の同級生。
全員、その事故で
たくさんの悲しみを抱えたように思う。
 
 
その後も先生や親族
中学3年のときには母が亡くなった。
 
 
母が亡くなったのは10月。
霜が降りた季節の変わり目。
 
 
夜中の2時。
 
 
中学生の私は寝ていたのだが
茶の間から
「もういい!もういいから!」という
叫び声で目が覚めた。
 
 
なんだろう?と
茶の間にいくと母が倒れていた。
反応がなく口からは
少し泡のようなものが出ていた。
 
 
救急車を呼んでいる兄。
 
 
もともと心臓が悪かったので
発作を起こしたことは容易にわかった。
そして、助からないからそのままでいいと
叫び続け亡くなったのだと。
 
 
母が亡くなる前日
反抗期真っ最中の私と母は
些細なことでやりあい
「うるさい!くそババァ!」と
思いがけず口をついてしまい
翌日、あやまろうと就寝したその晩のことだった。
 
 
悲しかったはずなのに周りから
「まだ小さいのにかわいそうに」と言われたり
そんな目で見られることがとても嫌で
反抗期の私は自分のプライドもあり
気が済むまで泣くことすらできなかった。
 
 
謝ろうと思ったのに
 
 
本当に思っていることではなかったのに
 
 
どうして言ってしまったんだろう・・・
 
 
明日会ったら「ごめんね」って
「ホントはそんなこと思ってなかった」って
母を最大にして最高に傷つけないように
言い訳しようと思っていたのに。
 
 
今日会っているからといって
明日も会えるとは限らない
 
 
そう理解することは
悲しみを受け止めることでしかなく
それすら考えたくなかった。
 
 
それからはほとんど自虐。
自分と関わると
みんな死んでしまうのではないか?と。
 
 
高校を受験し入学しても
色褪せていて生きていた。
 
 
笑っていても
自分の人生じゃないようで
心から笑えない
そんな毎日を過ごしていた。
 
 
そして高校も卒業間近の冬休み。
 
 
担任の先生から1本の電話。
 
 
「あ、冬休み中なんだけど・・・
クラスのBさんが亡くなったんだ」
 
 
その先生はわりと
冗談を言う先生だったので
それも冗談だと思い
 
 
「新年早々悪い冗談やめてくださいよ」
 
 
そういうと先生との会話が沈黙になった。
本当の事なんだ・・・。
 
 
「事故ですか?」の問いに自殺だった、と。
 
 
私の前の席で、クラブも同じだったりして
よく話したりしていたのに・・・
 
 
なぜ?
 
 
裏切られたような思いだった。
 
 
また自分と関わった人か!という
悲しさと悔しさがこみ上げる。
 
 
理由はいまだに知らない。
 
 
Bさんに関しては
亡くなった事実のみが現実であり事実。
それ以外は知らなくていいと思っている。
 
 
知ったところで何も変わらないから。
 
 
喪失感は人生の方向性を
いとも簡単に変えてしまう。
 
 
リアルの時の流れは変わらないのに
そこにいたはずの人がいない。
 
 
その人が関わっていくと想定していた。
 
 
なのに自分の人生からある日突然、
その人がいなくなるなんて・・・。
 
 
そういった時を過ごしてきたからか
その時その時を一生懸命生きようとしてきた。
 
 
心からそう思っていたのかは
自分自身でもわからないが
今、自分にできることをしようと生きている。
 
 
関わってくれた人が
私と関わってよかったと
思ってもらえたら最高だな。
 
 
同じように死別して
苦しい想いをしている人がいたら
ゆっくりゆっくり癒される
そんな場所を少しずつ作っていきたい。