がん再発、そのとき自分にできること | 筋膜リリースで食ってる 施術者のひとりごと

筋膜リリースで食ってる 施術者のひとりごと

当サロンは元々、オールハンドで筋膜リリースを提供しておりましたが、2018年から全身ケアの痛み軽減にメディセルを使用しております。頭痛や肩こり、腰痛、緊張性頭痛や冷えなどを感じやすいかたにも好評です。あなたのストレスを軽減するサポートをいたします。

2006年

 

大腸がんは寛解!

 

 

それからはちょっと時間があると

子どもたちとの距離を縮めようと

キャンプやドライブ、旅行に行ったりした。

 

 

そんな矢先の2011年8月。

 

 

お盆直前

「風邪なのかな?咳が止まらない」と。

 

 

休日診療がないかをネットで探し

彼はのど風邪かな?程度のつもりで

受診に行った。

 

 

表に車が入って来る音が聞こえた。

 

 

家に入って来た彼の顔は

深刻な顔だった。

 

 

休日診療の先生に

「レントゲンで影が見えます。

今総合病院の呼吸器外科の先生に

お約束を取りますから、

紹介状を持って

そちらの病院にかかってください」

 

 

そう伝えられたと。

 

 

思い当たる節はあった。

寛解してから仕事が忙しかったりして

1年1回の検査を直近の2年は

受けていなかったのだ。

 

 

そして1年前くらいからは

咳をすることも多々あり

病院にかかり喘息と診断された。

 

 

彼はたばこも吸っていたし

安易に2人とも医師の言う通り

喘息と思ってしまっていたのだ。

 

 

寛解したことで油断だったと思う。

 

 

結果論から何かを後悔したとしても

すでに遅いこともあるのだ。

 

 

翌日、2人で総合病院へ。

 

 

「良性か悪性かはわかりませんが

腫瘍ができていますね。

詳しい検査していきましょう」と。

 

 

再び、何日間もの検査がはじまった。

 

 

それでも以前と同じ、

手術で取り切れるレベルだと思っていた。

 

 

なのに結果は、

ステージⅢB肺がん

 

 

すでに

手術ができない状態であると告げられた。

 

 

大腸がんの告知の時は、

ただただ放心状態だった。

 

 

それは『がん』というものの知識がなく

『がん』=死と思い込んでいたから。

 

 

だが、現実問題。

いま目の前に突き付けられたことは

まさしくそれだったのだ。

 

 

「この人は死んでしまうんだ?」ということ。

 

 

つらいとか悲しいとか思い当たる

言葉が何ひとつ出てこない。

 

 

肺がんのステージⅢBという告知。

 

 

ただ、ただ
存在がなくなるかもしれないと
宣告されたことがショックだった。



私は中3の時に母、
20歳の時に父を、
2人とも病気で亡くしている。

 

 

もちろん、ものすごく悲しかったけれど
ショックの度合いが違いすぎる。


おそらく、隣にいる彼は、
私の絶対的サポーターで
私も彼の大ファンで

お互いを
尊重しあえる良きパートナー。



その彼がこの世から存在しなく
なるなど想像をしていなかった。

 

 

いや、

 

 

そのことはわかっていても

こんなに近い現実だということを

全く理解していなかったのだ。


今後どうしていくかを

次の診察日までに

回答がほしいと言われた。

 

 

それを答えたら

「元気なカラダになるんですか?」

 

 

投げやりな言葉をぶつけたい自分がいた。

 

 

医師は続けて、

「今の状況では手術できないですが

抗がん剤や放射線で小さくなったら

手術の可能性も出てきます」そう言った。

 

 

(ドラマでよく使われる言葉だな…)

 

 

少しでも治る可能性を考えて

彼は1も2もなく

すぐに抗がん剤治療を開始するよう

担当医にお願いをした。

 

 

抗がん剤を投与される前日に入院。

そして投与。

 

 

副作用はすぐにあらわれた。

 

 

髪の毛がぬけ、

肌がカサカサになり

吐き気や目まいを起こす。

 

 

そしてなによりも

大好きな食べ物のニオイで吐き気を

もよおし、結果食べられなくなる。

 

 

抗がん剤を投与されるたび

同じことの繰り返し。

 

 

X線写真で腫瘍の影が少し薄くなった頃、

担当医から放射線治療開始を勧められた。

 

 

もちろん彼はすぐに承諾した。

 

 

放射線の副作用は

声が出にくくなること。

飲み込みづらさが起こること。

 

 

声はかすれて聞き取りにくくなった。

 

 

彼も発声がつらいこともあるが

無駄に体力を使うのがわかり

極力話さないようになった。 

 

 

ひとりで闘うことがないよう

病院は必ず付き添うようにし、

病気とひとりで向き合わないよう

できるだけ一緒にいた。

 

 

放射線の副作用もあってさらに

食欲が落ち、見た目からして

骨と皮のようになってしまった。

 

 

その状況になってわかった。

 

 

彼がラクに介護するための技術を

私自身持ち合わせていないことを。

 

 

これではいけない。

私自身のほんの少しの貯金を切り崩して

介護ヘルパーの資格を取得した。

 

 

そして、これからのことも考え

近所にある介護施設の

デイサービスの職員として

昼間勤務するようになった。

 

 

 

 

記事を最後まで見れたら

ポチしてくれるとうれしいです笑1

 

 


セラピストランキング

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ
にほんブログ村