ゴルフ系サラリーマン 上咽頭がん闘病日記 -3ページ目

ゴルフ系サラリーマン 上咽頭がん闘病日記

2021年3月、首のしこりが急速に巨大化
上咽頭がんの宣告からはじまる闘病日記です。

 

みなさんこんにちは。

 

2021年の10月から11月中旬にかけて放射線治療と抗がん剤治療のために毎日朝早くから病院に出かけ、帰宅後は自宅で在宅ワークを繰り返す日々を過ごしました。

本来ならこの期間3回に分けて入退院を繰り返しながら抗がん剤治療を行うのですが、どうしても会社を休職したくないという私のわがままを先生が聞いて下さり、シスプラチンの投与を小分けにして自宅からの通院で投与する形に変更して頂きました。

おかげ様で入院治療と同じ治療成績を期待することができ、かつ仕事を継続できるスタイルで治療を完遂することができました。

 

今日の投稿は放射線34回目、最終回あたりのことを日記をもとに綴っていきます。

 

11/13  放射線34回目 

いよいよ明日で最後の放射線 リンパ節の一番大きかったしこりはかなり小さくなったのだが、残り10回を境にほとんど形状の変化がなくなってしまった。

正面からの見た目にはまったく分からないまでにしこりが小さくなったが、まだ薄型の2cmくらいのしこりが残っている

この1ヶ月間は口腔内の乾燥、粘着性ネバネバ唾液が乾燥→口の中で不快なこびりつき→吐き出す この繰り返しの戦い

7回予定していたうちの6回目、7回目のシスプラチン抗がん剤治療は白血球数が1000を割り込み、治療の基準を満たせず実施できなかった 

 

食べ物の経口摂取などとんでもない話であり、味覚障害の影響もあるが乾燥により口から摂取することは不可能

100%胃ろうに頼る状況下、体重は58Kgにまで減少 

ラコールは頑張って毎食2パックを胃ろうから投入しているものの、体重減少は不可避か

前半戦の抗がん剤治療の副作用で完全に髪の毛は抜け落ちたが再生が始まり1cmほど産毛が伸びてきている

放射線が当たっている後頭部の襟足の部分は産毛再生せず無毛状態 

 

11/16  放射線35回目(最終回)

長かった2か月間にわたる放射線治療もようやく最終日を終えることができた。

ただ気になるのは最後まで左側の大きなしこりは消えることはなく2センチくらいの薄い形状のしこりが残ったように思う。

気力だけでやり切った感じがする。放射線と抗がん剤をやり切り、がんがなくなっていることを願うのみだが、ただボロボロになった身体と、まったく口から食べることができなくなってしまった今後の生活がどうなるのか

治療を終えたとはいえ全く喜ぶことはできなかった。これは治療前の予想と異なっていた。

もっと達成感とか解放感とか治療を終えた喜びに包まれるのかと思ったが、いつものように会計を済ませ淡々と無表情で帰路に向かう自分がいた。

 

 

このようにしてようやく予定されていたがん治療工程を終えたわけでしたが、あまりに心身の状態がひどくて逆に明日以降の普段の生活をどのように過ごしていこうか、いつ前みたいにゴルフしたり出かけたりできるようになるのか、想像にはほど遠すぎて逆にさらにリハビリの戦いはこれから続くという心境になり、そんな日がはたしてくるのかという不安、とにかく身体の状態がひどくて、長かった治療を終えて喜ぶ気には本当になれませんでした。

 

現に5か月経過した今もまだまだほとんど食事ができず元の生活をできる状態ではありません。

治療を終えてからのほうがむしろ長い戦いが待っているというのが、この上咽頭がんの治療の残酷なところなんです。

 

次回以降は治療終えた後のリハビリや生活の質などを綴っていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさんこんにちは。

 

後半戦の放射線治療、シスプラチンという抗がん剤治療も中盤を迎え、気力だけで病院に向かう毎日を過ごしていた頃です。

既に口からは何も摂取できなくなっており、100%胃ろう経由での栄養剤の投入に頼っていました。

放射線治療の効果はすごくてあんなに大きかった首のしこりがみるみるうちに縮小し、15回目くらいで半分以下になっていました。

放射線ってすごいなと思うのと同時に、がん細胞の増殖のスピードはものすごく速い分、細胞分裂を放射線で邪魔してやるとあっという間に死ぬことに驚きを感じていました。

 

 

以下、日記を転載

 

10/12  放射線11回目 シスプラチン投与3回目 

S先生問診 首のしこり縮小を評価 指で触ると3cmくらいはまだある 体重減につき半固形栄養剤のラコールの処方数を3パックx7日間分に増量

前回と同じルーティンで抗がん剤点滴を実施 口腔内ネバネバ 

 

10/13  放射線12回目 

シスプラチン副作用の胸焼けが明け方からひどく3時に目が覚める 胃ろうを使って朝一でラコール投入 

生理食塩水の点滴のため点滴センターへ 看護師Mさんまた2回針入れ失敗 看護師チェンジ 合計ラコール3回投入

 

10/14  放射線13回目 

シスプラチン3日目の生食投与Day Mさんまた針入れ失敗、いい加減いやになる 

ニコニコ笑顔がかわいいNさん登場 針も痛みなく一発でコンプリート

 

10/15  

放射線14回目 

いよいよ口の中がカラカラでネバネバ もう何も食べられない 栄養剤ラコール100% 胃ろう依存状態

 

10/18  

放射線15回目 

同上 今週の治療を終えるとようやく後半戦の折り返し地点に到達 まだまだ遠いが頑張るしかない

 

10/19  放射線16回目とシスプラチン投与4回目

ラコール切れのため昼食用にコンビニおにぎり、いなり、菓子パン購入 

どれも数口食べてまずすぎてギブアップ→廃棄 今日の点滴治療終わるまで数口のカロリー摂取 カロリーほぼ摂取できなかった 

苦味というか嫌な後味が残り到底食べることができなかった 

いよいよラコール100%胃ろう依存に移行 帰宅しすぐにラコール2パックを注入

妻には食事取れなくて元気ないけど、治療乗り越えるために頑張っているからすまない旨伝えた

 

10/26 放21回目とシスプラチン投与5回目

以下同文・・・。

 

 

内容的にはほとんど変わりなく、書くこともないので突然放射線21回目まですっ飛びました。

毎日のように血液検査やら抗がん剤の点滴やらで腕や手首に針を入れまくっているので本当に差す場所がなくなるくらいでした。

中には針入れるのが苦手な看護師さんもいて失敗されます。そうなると余計な針の穴が増えてさらにメンタルがすさみます。

多分の失敗されたときはいやな顔しちゃってたんだろうな。

 

次回は放射線治療35回目(最終回)のようすを綴っていきます。

 

 

 

みなさんこんにちは。

 

前回の投稿から後半戦の放射線治療とシスプラチンという抗がん剤の投与についての治療の様子を綴っています。

後半戦の治療は約2ヵ月弱続き、放射線治療の回数も35回にわたる期間になりますので3回に分けて日記をもとに綴っていきます。

放射線2回目から10回目まで一気に行きます。

日記だけの転載だと面白みがない内容になりますが、今後治療を受けられる方への情報提供ということで勘弁してくださいね。

 

以下、日記転載

 

9/29  シスプラチン初回投与翌日 放射線2回目

幸運にもそこまでの吐き気感はないが、なんとなく前の抗がん剤よりも吐き気が強いことが体内の奥深くで感じられる。

8:30に病院到着し点滴治療センターにて受付。生食の準備できるのが9:30なので今日も先に放射線をした。

12時00前ごろには生理食塩水の点滴も終えた。

11時からの会社の部会は点滴治療センターの点滴ブースから参加し、病状についてメンバーに報告。

今までのあたたかい言葉と励ましに感謝し、これからも入院ではなく通院で治療できることをメンバーに報告

抗がん剤のせいか夕飯の食欲が今ひとつ。作ってくれた妻に悪い気分にさせてしまったと反省

 

9/30  放射線3回目

妻仕事で車使えず今日は電車でいく。8:40に病院着 

今日も9:00から放射線時間通りだった。すんなり終えて通院治療センターでの生食点滴のブースには9:20には着席 

看護師はNさん!ラッキーデイ 針入れるのも上手いし、全く痛みなし なにせにこにこ明るくて自然な話し方で可愛い

しかし髭を含めて頭髪も短く残っているところは全く毛が伸びる気配がない 

きっと毛根細胞は死んでいてそこからの再生はないのだろうと想像する 頭髪の再生時期はヒゲの再生が指標になるのかも

生食の点滴は11:30には終わり、11:50のバスで12:30前には帰宅。

14時からの社内の新製品説明のセッションを聞きつつ、2回目ファイザーのワクチン接種を受けにいく。無事終了。

シスプラチンは吐くまでの気分の悪さはないが、じわーっと弱く倦怠感が横たわる感じ。

放射線3回目終わったが、今のところまだ変化ないように思う。夕飯はカレーライス 味覚の感度は30%くらいかも

 

10/1   放射線4回目 

9時前に放射線治療開始し、9時には終了 特に首のしこりに放射線を当てている時は大きなエネルギーを照射されていることを感じるが多分気のせい

10時前には帰宅 ワクチンの副反応かシスプラチンの副作用かわからないが、気分はよくない 吐くまでではないが食欲なし

 

10/2-3 土日は治療お休み 昨日同様に気分良くなく食欲なし 吐くまでではないが 前半戦抗がん剤と同様の眠気あり 

放射線をあてた首の大きいしこりが4回目にして早くも縮小し、硬かったしこりもすごく柔らかくなっている感じに気づく

 

10/4  放射線5回目 

月曜の治療は放射線のみ あすから2回目シスプラチン 

放射線照射後にO先生との問診 しこりが急速に縮小している、柔らかくなっていることを報告 

間違いなく放射線が効いており効果が出ているとの話だった

10時には帰宅し、仕事

 

放射線で傷つけたがん細胞のDNAは即座には死滅せず、細胞分裂時にがん細胞をアポトーシスに誘導するため、それまでに数日かかり即座に効果が出るわけではないことを知る 今小さくなっている効果は初回、2回目分の効果か。

 

10/5  シスプラチン投与2回目 放射線6回目

前回と同じルーティンで点滴を実施 放射線は血液検査終わり次第すぐに実施 その後S先生の問診。

血液検査結果に問題はなかった。胃ろう用栄養剤ラコールを1週間分処方してもらった

その後点滴治療センター受付し 11時前に点滴開始 

今回は排尿の回数を数える 1回目14:40ごろ 2回目15:40 3回目ラシックス投入16:21 4回目16:35   5回目16:55 体重は点滴前と同じになったので針抜いて終了 

会計待ち20分 外はもうすっかり暗くなっている ラコールと次回の吐き気止めを調剤薬局で入手し車で帰宅

 

10/6   シスプラチン投与翌日 放射線7回目

先週と全く同じルーティン 朝マックするも味が3割で厳しくなってきた 9時には放射線終了 

9:15には生理食塩水1000ml/2hの点滴を開始  10:00-11:00の部会に点滴ブースから参加し11:00 過ぎに点滴終了 

今日から2回目の入院のいずみんさんに会うために入院病棟がある4階まで上がる 

いずみんさんは放射線13回目とのことだが、いろいろ問題が出てきているとのこと 

水や薬を飲むことも痛くて難しくなっているとのこと

いくつかのシスプラチン投与後の症状の共通点など確認などし、励まし合って面会終了 

12:30に帰宅し仕事の体制に戻る 胸焼けの軽いのが断続中 気分すぐれず食欲なし 

今日は朝マック、ラコール、ヨーグルトのみ

  

10/7   放射線8回目 

売店で買ったヒレカツサンド味覚20%  9:30 生食点滴ブース着 11:25に終了 11:46のバスにて12:20に帰宅

 

10/8  放射線9回目 電車で行く 10時には帰宅 食欲なし 14時に胃ろうからラコール注入 

10/9-10  休み 口腔内ねばねば 味10%

10/11  放射線10回目 電車で行く 10時には帰宅 口腔内が唾液なくなりねばねば 味10% ミネラルウォーター後味に苦味

 

 

 

放射線10回目くらいにはすでに唾液のさらさらした部分はなくなりました。

唾液はサラサラの成分とネバネバの成分がミックスして分泌されているんだそうです。

放射線の影響をを受けて早く喪失してしまうのはサラサラの成分を出す唾液腺だそうで、ネバネバの成分だけ分泌され

口の中がとても不快なネバネバの状態になるんだそうです。

 

この頃から唾液喪失&地獄の口腔内乾燥が本格化します。食べ物など食べられるはずがありません。

胃ろうskipするなんてよく言ったものです。

 

 

 

 

みなさんこんにちは。

 

今までは前半戦の抗がん剤治療、後半の放射線治療の食事障害に備えての胃ろう造設手術などの様子を綴らせて頂きました。

見た目も副作用でボロボロ、頭の毛は抜け落ちて、体重は減り、まさにがん患者。

7月から始まった治療は2か月経過し前半戦を終了。まさに抗がん剤の夏が終わろうとしていました。

今回はいよいよ後半戦の主な治療である放射線治療についての様子を当時に日記をもとに綴っていきます。

 

放射線治療はは平日の毎日、合計35回を毎日の通院で実施しました。

毎日9時に病院について9時15分には治療を終えその後抗がん剤治療ブースで点滴。

もうこの2か月間は気力でこなしていたって感じです。

 

以下、日記転載

 

9/28   今日から後半戦の治療スタート

通院による抗がん剤治療から3週間が経過し胃ろう手術を経てようやく次のフェーズでのがん治療をスタート 

抗がん剤シスプラチン&放射線35回のセットで約2か月間

 

ルーティンは前半戦とほぼ一緒で、病院についたら採血と採尿、頭頸部内科での問診⇨点滴治療センターに向かう

初日は10時半くらいから点滴スタート。吐き気止め剤のカプセルを早く飲みすぎてしまった。          

今回のシスプラチンはとにかく点滴する生理食塩水の量が多く、生食祭りといった感じ。

シスプラチン前に生食、吐き気止め、シスプラチン、生食、利尿剤、生食で終わる。

生食メインの点滴といった感じ。入れた生食と同量の尿を出し切って体重が朝とイコールならば終了 

全て終ったのが16:30 長い。

 

今日は放射線治療の初日でもある。最初の生食の途中で点滴台を引きながら放射線治療に向かった。

放射線技師から当てる場所や線量の強弱などの説明

放射線を照射するときの指導を受けていざ本番の放射線。作っておいた固定枕とお面を装着する。

想像以上の圧力でお面のはじを引っ張り顔面を固定する。

いくらお面が網の構造になっているとは言え工夫して呼吸しないとイキぐるしい。

14分ほどかかったらしいがお面の圧力で目が開けないので何やっているのか自分からは全く分からない。

放射線が当たっているときはなんとなく熱を感じることがあったがこれが放射線が当たっていた時の感覚なんだろうと想像して眠りに落ちかけながら予定照射量を終えた。よく言われることだ放射線自体は当たっているときは痛みも何も感じない。

 

時間的には大したことはないが、放射線照射中の体の固定継続など結構な大作業だった。

残り34回もこなせるだろうか、ちょっと舐めていた。終わった後は通院治療センターに戻って所定の抗がん剤の点滴にもどった。

シスプラチン投与の火曜日以外の放射線の時間は9時にセットしてもらった。

月曜日と金曜日は放射線のみなので早く終われそうだ。生食のみ投与の水曜と木曜はどちらか早い方で順番を柔軟にチェンジする。

それにしても火曜日は丸一日病院だ

脱毛を確認後バリカンで5輪刈にしてから2ヶ月くらい、いまだに短い毛が少ないながら残っている 見た目はスキンヘッドは変わりない

 

こんな感じで始まった後半戦治療の初日でしたが、

月曜日から金曜日は毎日放射線

火曜日はシスプラチン投与 水曜日と木曜日は生理食塩水投与

 

のセットで11月中旬まで毎週でした。

気力だけで毎日病院へ向かっていました。

 

 

 

 

 

 

みなさんこんにちは。

 

前回の投稿では胃ろう手術のための入院までいきさつや、手術をごねたこと、入院準備のことを綴りました。

今回は胃ろう手術のための入院と手術から退院までの様子を綴ります。

 

胃ろうの手術はおなかに穴をあけて胃にPEGと呼ばれる器具を取り付ける手術です。

このPEGを通じてチューブを接続し直接胃に栄養剤や薬などを注入できるようにするためのものです。

手術そのものは20分もしないで終わってしまうものですが、その前後3日間の絶食が必要だったり、

術後の痛みなど手術内容からは想像できないくらいつらいものでした。

今日はその胃ろう手術と入院の様子を日記と共に綴っていきます。

 

9/15  

いよいよ胃ろう造設の入院 手術は翌日からだが前日の11時に入院する

放射線治療による副作用で食事の経口摂取ができなくなることに備えてほとんどの人が胃ろうを作るらしい 

この手術は入院は8泊9日、痛み、絶飲絶食、費用なども結構な負担の入院

荷物も多かったため病院へは妻に送ってもらった 

10:30に入院手続きを済ませて入院病棟のナースセンターへ向かう。事務の女性に入院の部屋を案内され荷物をおろす

追加費用の発生しない4人部屋だがカーテンで仕切られているため音以外のプライバシーは保たれている

 

この日は入院とは別にMRIを撮り、夕方からS先生の問診&処置を受ける

前半戦の抗がん剤治療でどのくらい鼻の奥の原発部の腫瘍が小さくなったかをファイバースコープで観察し撮影していく 

原発部はだいぶ縮小しているとのことだった

 

今日撮ったMRIと治療前の比較写真も見せてもらい説明を受けた 

首のしこりの大きさはまだあるが、がん細胞はかなり死滅しており、死滅したがん細胞がリンパ節から除去されないためしこりは残っている状況

 

見た目はっきりと両写真の違いがわかる 前半戦の抗がん剤治療の効果が出ていることが本当にうれしかった

その後手術前の最後の夕飯。4日先まで食事できないことにビビりながらも最初の病院食を平らげる

翌日の手術に備えて横になっていたがなかなか眠りにつけなかった

 

9/16   胃ろう手術当日

予定通り8時半に内視鏡センターで受付を済まして胃ろう手術の順番を待った まもなく手術室に呼ばれる 

手術室には3名おり、手術を行う医師、助手、看護師といった感じ

点滴で麻酔なのか睡眠薬なのかをいらられ、喉の麻酔は直接霧状に吹きかける 程なくして喉周辺の感覚がなくなってきた 

口に内視鏡を通す輪っかをくわえた状態で横向きに寝る

なんということかその後1分ほどで寝てしまいそれ以降のことを全く覚えていない

(後で聞いた話だが、ほんの10秒くらいで意識を失って眠ってしまう点滴薬だそうです、おそろしい)

 

いつ眠りに落ちたのか全く覚えておらず、次の記憶は自室のベッドに運ばれて転がされたようなおぼろげな薄い記憶

手術が終わったのかなんなのか、全くわからないままに身を委ねた 

目が覚め気がつけば自室のベッドだったので無事に手術は終わったのだろう 

手術の時間が10分-20分ほどと聞いているので手術室から1時間せず自室のベッドに搬送され戻ってきたんだろう

 

その後の24時間がきつかった、痛みが波のように襲来する 痛みのないポイントを探そうにも体が動かせない 

本当にきつい24時間だった、痛みを伴う不自由な地獄とはこのことだろう 

この日ばかりはひたすら痛みに耐えて、ただただ時間をやり過ごす 

できれば寝て早くこの最悪の時間が経過してほしいと念じていた24時間だった

 

9/17 手術翌日   

痛みはやや緩和されるものの、おしっこ出ない、出さないと管入れると若い看護師に脅される 

ベッドの上で体を傾け尿瓶に自分のイチモツをいれて尿意を待つがこんな体勢では全く出る気配もなく諦めムード

ベッド上からの排泄は諦め、痛みに悶えながらベッド横の床に立ち上がる 

そして尿瓶に挿入し促すも、開けた穴でお腹が痛く腹筋に力を入れるなど排出を促すことができない 

やっとの思いで300ccくらいだろうか尿瓶に勢いなく回収をすることができた 

絶飲絶食のためもう2日も口から水分を補給しておらず水分は点滴経由だけなので尿量はこんなものなんだろう

手術後2日目は痛みこそ昨日ほどではないにしてもベッド上で安静に過ごす 夜にはやっとトイレで排尿をすることができた 

あまりに喉が渇いたんで持ち込んでいたアクエリアスのゼリーを2個飲んでしまった

 

9/18   術後3日目

痛みのないポイントを見つけることができたのか、痛みが軽減したのか痛みへの恐怖感がなくなった 

歩いてトイレにもガンガン行けるようになった

昼食時にラコールという半固形の栄養剤を胃ろう経由で入れてみる訓練をする 

胃に直接入れるので食べた感じはしないしもちろん味もしないので変な感じである

絶食3日目ということもあり、ちょっと調子に乗って1階の売店に行きジョア、ヤクルト、グミ2種類、ぷっちょ、ハイチュウなど買い込んで食べてしまった

胃ろう経由で栄養剤も入れているんだしいいっしょ的なノリで。

 

胃ろうには術後しばらくの間はドレナージという管がついていて外に胃液だか体液を排出する仕組みになっているのだが、何か食べるとドレナージ袋に食べたものもたまることを知らずにグミを食べてしまった 

絶食のつらさを和らげることはできたものの、においから看護師にバレてしまい、傷口に対する悪影響から看護師さんにきつく叱られ、即刻先生に報告された

昼も断続的に寝ているせいか夜は眠れず睡眠薬をもらうもあまり効果なし 寝不足の感覚で朝を迎える

4日目から朝食出ると聞いているが食事の許可はおりるだろうか

 

9/19   術後4日目

朝を迎え、手術後まる3日(72時間)が経過 朝食は目の前まで来たが下げられた まだ先生が来てなくての判断が出ないとの

先生来ないなら判断無理なんだから最初から言ってくれよという感じで立腹

結局朝食は許可が出ず食べられなかった。

いよいよ3日ぶりに昼食を食べることができた 売店で買っておいた桃屋のごはんですよ!と3種のふりかけセットがオプション おかず少なくてもなんとかなる 咳き込んだ時の胃ろうの痛みが激しい

便意を感じたのでチャレンジし、少ないものの成功 

 

9/20   術後5日目

敬老の日ということで3連休 病院内を散策するも外来がないため静か

昨晩と同じ睡眠薬をもらうも全く効果なし 明け方まで眠れず 1時、5時と痛みで目を覚ます

朝食後また寝てしまった ご飯は完食 お通じは今日も成功 夜は眠れず睡眠薬マイスリーをもらう 

 

9/21   術後6日目

2時ごろ眠れて8時半に起床 10時からの顧客向けプレゼンに備える 

入院棟4階の電話コーナーのWi-Fiは安定しており無事に1時間のプレゼンを完了 明日の別のプレゼンもこの場所でやろう

明日の血液検査の数値を見て問題なければ23日退院と言うことでS先生から説明受ける お通じは今日も成功

 

内視鏡科先生(胃ろう手術やった先生)の回診の際に、胃ろう部分の痛みは3点留めの仮縫い部分が引っ張られて痛むことが判明 

胃ろうの中心部分の痛みではなかった 明日内視鏡の先生に処置をお願いすることになった

明日はいよいよ胃ろう造設入院の最終日 

血液の数値に異常がなく予定通り退院できますように 今晩もマイスリーもらって寝よう

 

9/22  術後7日目

マイスリー服用による睡眠の質も改善し、痛みも最も少ない日となった 

会社のチーム部のミーティング、某顧客向けプレゼン、上司との1on1など入院病棟内テレワークをフル稼働 

仕事休まず入院してる、テレワーク入院だよと看護師に説明するとみんな驚き感心してくれる 

3食とも完食して体重も63.5Kgまで回復 

今後使う胃ろうでの栄養指導を受けた 

積極的に胃ろうは使ってくが、嚥下機能の維持のためにも口からの摂取も努力していく必要がありそうだ

胃ろうの胃側はバルーンで固定する仕組みになっているがバルーンを満たしている蒸留水の交換手順のレクチャーを看護師さんから受けて実践 今後1wに一回やる作業 うがい薬も処方してもらった

 

9/23  術後8日目(退院当日)

良く寝られていい睡眠だった 痛みも全くなく、気づけば寝る姿勢も自然に横に変えていたりしていた 

同じく上咽頭がんで1週早く入院していたいずみんさんも今日が退院なので朝食が配膳させるまでの時間でよもや話をした

お互い良くなってリハビリが進んだらゴルフに行こうと約束した 

徐々に身支度や退院の準備を進めていく 10時には看護師からお呼びがかかり退院となるはず

 

無事に退院となり1W過ごした部屋に展開した荷物類をキャリーケースにしまっていく 

次の放射線治療と抗がん剤は28日開始ということでS先生とも会話 10時に母親にクルマで迎えに来てもらった

 

たかだか8日間の入院生活だったが、胃ろう手術の痛さやその後のベッド生活での不自由さ、手術前後4日にわたる絶食もありとても長く感じた やはり入院はできればしないで終わりたい その後実家の家でゆっくり過ごした

 

9/24-27

 退院後のこの間は胃ろうの痛みをコントロールしながら家で過ごしていた。最後の抗がん剤治療から3週間の時間が空いたため顔のニキビ状のざ瘡はだいぶ良くなってきている。

抗がん剤が身体から確実に抜けているということだが、これによってがん細胞が再活性化しないか心配になる。

胃ろうの痛みも時間の経過とともに癒えてきた。

入院中は自動リクライニングがないと体を起こせなかったし、くしゃみや咳払いでも患部が傷んだがこれもそこまでではなくなったのが嬉しい。

 

ただ退院して1週間経つが、開けた穴から滲出液と化膿した膿が頻繁に出るため胃ろうに巻きつけているガーゼを頻繁に取り替えている。

味覚は50%くらい戻ってきた。甘味はよく感じるが塩気と旨味はとても弱い。

そんなところまで回復して明日からシスプラチン+放射線がスタート 

放射線の副作用でまたすぐに味覚がなくなり、唾液も出なくなり。。。束の間の口からの食事の期間ということなのだろう。

 

 

長文になりましたが、お読みいただきありがとうございました。

これから胃ろうの手術をする人に入院前後のイメージを持って頂きやすくするため、入院中につけていた日記全文を掲載させて頂きました。

たかだか胃ろうの造設手術でしたが8泊9日、その間不自由で本当につらい入院でした。

ただ、この時つくった胃ろうにこんなにも頼りきり、こんな長く使うことになるとは思ってもみませんでした。

まさに今に至るまでその後半年以上大活躍することになります。

次回以降の放射線治療の部で綴っていきますが、放射線の後遺症は半端じゃないのです。

 

 

 

 

みなさんこんにちは。

 

今まで上咽頭がんが診断されるまで、治療方法の選択について、前半戦の抗がん剤治療などのお話を日記を振り返りながら綴ってきました。

 

7月中旬から9月頭までの8週間連続で抗がん剤3剤を毎週投与していったん前半戦の治療を終えたわけです。

いよいよ後半戦は放射線治療とシスプラチンという抗がん剤を並行して投与する治療に入っていきます。

 

放射線治療はこの上咽頭がんというがんには効果てき面なので標準治療として確立されているわけですが、やはり副作用がきつい治療でもあります。

 

今日は放射線治療の一番大きな副作用である味覚障害、唾液が出なくなるといった原因での口からの食事ができなくなるという今後の障害への対策として胃ろうの造設について綴っていきたいと思います。

 

以下、日記転載

 

9/13  

前半戦の抗がん剤治療による味覚障害で食事回数、量ともに減ってしまい 体重は61Kgまでに減少

15日からは胃ろう造設手術での約1週間の入院になるのだが、胃ろう手術をskipできないか心底悩んでいる 

胃ろうやらずに抗がん剤&放射線を開始したいのが本音

なんとか会社を休職しないで済むように胃ろう増設をskipしたいということをS先生に電話で相談

いったん病院側でほかの先生にもは相談したうえで折り返しします、とのことになった。

折り返し電話を頂き、 病院側の判断は胃ろう造設は絶対しなきゃダメとのこと

その理由としては、ほとんどの患者さんは放射線治療の後遺症で食べることがままならなくなって

そのことで栄養をとることができずのちの抗がん剤治療が継続できなることがほとんど、というこだった

  

その代わり放射線治療と並行して行うシスプラチン投与は通院だけで7週連続での実施でOKとなった

通常はシスプラチンで投与のための入院7日x3 合計21日間の入院で投与するのだが、すべて通院で予定を

組みなおしてくれるとのことで、21日分の入院をしなくてよくなった。

胃ろう手術の7日間の入院で済んだため、その間土日と連休もあったため会社を休むのは2日間だけでよくなった。

本当にラッキーとしか言いようがない。これで休職をせずに放射線+シスプラチン投与をすることができるようになった

 

9/14   

60.5Kに体重減少 なんとか体重を維持せねば

明日からの胃ろう造設のための入院準備のため近所の店で2時間ほど買い出し 

体力が落ちており2時間の買い物で息切れがした。ゴルフ復活の時は辛いんだろうなぁ

 

病院から電話あり 10半に入院受付 11時ナースステーション 

持ち物:診察券、保険証、限度額認定証、クスリ、印鑑、住民票(マイナンバー載っていないもの)

マスク着用 貴重品自己管理 MRI 15時 

 

入院で準備したものリスト

 

・歯ブラシ

・プラスチック製コップ

・口腔ケア入れるポーチ

・スウェット上下

・T-シャツ類(長袖)

・カーディガン

・枕カバー(クッション用)

・天然水(ボルビック)

・やさしい麦茶

・延長電源コード

・体拭きぬれタオル

・タオル

・手鏡

・耳栓&アイマスク

・入院用のカカトばきスリッパ

・日持ちする牛乳

・こんにゃくゼリー

・マスク

・靴下ショート

・テッシュBOX

・ウェットティッシュ

・爪切り

・毛抜き

・リップクリーム

・固形石鹸(風呂場のやつ)

・小物入れ用の箱

・洗濯物をとりあえず入れる袋

・耳栓(ダイソー)

・手上げポリ袋

・S字フック

 

上記の買いもを済ませ、翌日の入院の準備を整たのでした。

 

みなさんこんにちは。

 

前回に引き続き抗がん剤治療の中盤から最終回間までの期間を日記をもとに振り返ります。

真夏の8月に抗がん剤治療を受けていたのですが、この夏はどこにも行けなかったし子供たちにも何もしてやれなかったことを悪かったと思っています。

この頃から予期していなかった抗がん剤の味覚障害が始まり、今に至るまで食事の際に味がしないという味覚障害の苦しみが継続しています。

 

 

8/24  導入化学療法の抗がん剤6回目  

先週と全く同じサイクル 帰りのバスと電車の時間まで全く同じ 

奥歯の虫歯が痛むため歯科受診 近所の歯科受診し痛み止めを封入し応急処置&効果バッチリ 

ここのところ体重減を感じ体重計測 66kg→63kg 断酒の効果か治療開始前から3キロ減

いまだに少し伸びる前頭部の毛をバリカンで5厘に 口髭はほぼ生えて来ず完全に脱毛状態 

毎日写真は撮っているがこの頃にはメインの毛は抜け落ち見た目はほぼスキンヘッド

ただし抜け落ちないで粘っている短い毛が残っていてこの毛たちの今後の行方を見守っている

 

8/25  抗がん剤の副作用も出揃った感があり、最近はネタ不足と思った矢先、味覚異常発生 

牛乳が苦い 牛丼の味がしない サッポロ一番の味噌味が異常に薄い 

血液検査項目の好中球(白血球の一つ)の値が低くなってきており、感染症リスクが高まっているため気をつけるよう言われる

 

8/26   仕事での新規顧客とのアポイントが2件とれうれしい 

昼食のパスタ、塩味がやっぱりおかしいし味が薄い 甘味はそこそこ感じとることできる

 

8/27〜28 塩味、うまみがわからない マックなどのジャンクフードでなんとかしのぐ

8/29〜30 不思議なことに牛肉の旨味が一瞬復活 赤だしなめこの味噌汁うまい 味覚7割復活 

しこりの縮小が下げ止まった感がありアタマ打ち傾向

 

8/31  導入化学療法の抗がん剤7回目 

抗がん剤投与前のアレルギー制止剤の投与でいきなり寝落ちし気づけば14:30で最後の抗がん剤まで投与終了

その後後半戦の入院手続きの説明を聞く

 

9/1     

味覚が4割に逆戻り 塩気、旨味感じづらい しこりの大きさに変化なし 

ファイザーワクチン初回接種⇨左肩痛い 歯科で虫歯の神経処置

9/2    ワクチン接種後の発熱(微熱)食欲なしは木曜の定例症状か、ワクチンのせいかどちらの反応かはわからない

9/3    会社の創立記念Dayで休み 

9/4-6 その他症状に大きな変化なし レトルトカレーはまぁまぁ味した

 

9/7  導導入化学療法の抗がん剤8回目(最終回) 

抗がん剤治療も今回で最後の会。

合わせていままでの治療効果をみるためにCT撮影 

すぐに画像をチラ見させてもらったが、しこりの大きさは6月のCTと比較してあまり縮小しているようには見えなかった 

放射線科にて後半戦の放射線照射時のまくらと顔面固定具を作成

両親とレストラン万世で食事 焼肉の味は味覚障害で6割くらい 実家に宿泊

 

約2か月にわたる前半戦の抗がん剤治療8回を終了することができました。

この時は何とか抗がん剤治療を完遂してがんを直してやるんだという気持ちがとても強かったと思います。

毎週の通院での抗がん剤投与も点滴用の針が6時間くらい入りっぱなしだし本当に億劫でしたが何とか

予定通りすべて終えたことに満足していました。

ただ抗がん剤の味覚障害には参りました。ほぼ味がしなくなってしまい、放射線治療の前にすでに味覚障害が始まってしまうとは本当に想定外でした。

その後の放射線治療によりさらに味覚障害が上書きされ、唾液腺の消失をプラスして今も口からの食事に苦しんでいます。

 

次回は後半戦の放射線治療に向けての準備と胃ろう造設のための手術入院に向けてのことを綴っていきます。

 

 

 

 

みなさんこんにちは。

 

今回は一旦日記から離れて、がん治療中の仕事について綴っていきたいと思います。

 

前の投稿でも少しお話お話ししましたが、自分は2021年2月いっぱいでで自主的に会社を辞め健康保険証を喪失し、6月に再就職し、その頃に診察を受けがんの診断を受け治療を開始しました。

 

自分は今から30年前に社会人になり、一貫してIT技術に関する企業で営業をしてきました。

この15年ほどは外資のテクノロジー企業で営業職して日々数字に追われる仕事をしてきています。

 

外資企業はとにかく数字の達成が一番で、もちろん人物や仕事のプロセスへの評価もないわけじゃないですが最後の最後は数字が評価の高いウェイトをしめます。

 

余談ですが、給与形態もこの達成した数字に密接に連動していまして、例えば基本給500万+営業コミッション500万で年収1000万みたいなモデル給与形態になるわけです。

 

各営業職にはそれぞれ達成目標が設定されており、例えば年間5億円の営業目標が設定されていれば、

この5億円の売り上げを年間で達成できればこのコミッション分の500万が支払われ、基本給分の500万と合算して年収1000万を達成できわけです。

仮に目標5億、達成3億の場合はどうなるかというと、達成率が60%ですのでコミッションも6割の300万円が支払われます。

この年の給与は800万というわけです。

 

少々横道にそれましたが、私は6月から新しい会社での営業職に就きました。

入社して間もなくがんの診断がつき治療を開始することになるのですが、このように厳しい評価をされる外資企業の営業職なので

治療をしながらこの営業職の仕事を続けていけるのかとても不安でした。

 

幸いにも私の診断された上咽頭がんは抗がん剤の治療と放射線の治療をを組み合わせたものが標準治療でしたので手術や長期間の入院を伴う治療ではなかったため、約4か月間の治療期間中、

胃ろうの増設手術の1週間をのぞいては全て通院で治療で完遂することができました。

 

幸いにもコロナ禍での営業スタイルは在宅ワークになっていましたので、すべてのお客様との打ち合わせも自宅からのWebミーティング、または通院の時間帯は病院のフリーWi-FIからすることもできました。

なんなら病院の点滴室から抗がん剤を入れながらお客さんとのミーティングに参加したこともありました。

便利な時代になったと思ったのと、コロナ禍で根付き始めた在宅ワークでのWebミーティングスタイルなど、こういうこともがん治療中の私にとって休職をすることなく仕事を続けられたおおきな理由となりました。

 

とてもじゃないけど朝から出社して、客先に出向いて打ち合わせを対面で行って、遠方への出張があるような営業スタイルはがん治療をしながらでは対応できなかったと思います。

 

もちろん毎日の放射線治療などありましたから午前中の10時までは治療のため、仕事に従事する時間への配慮を会社にはしてもらったわけですが、ありがたいことに通院治療をしながら仕事をし標準治療を終えることができました。

 

がんにかかってしまうと経済的な心配事や今の仕事をどうするのか、仕事を休職しなければならないなど多くの心配事が急に突きつけられます。

 

もちろん病院や病期の進行度、がんの種類によって治療方法は様々です。

しかし幸運にも私のようにすべて通院で治療を受けられるケースもあることを心のすみに置いておいてください。

私と同じ上咽頭がんになってしまった方がこれを見ていらっしゃれば、少しだけ参考にしてもらえたらなと思います。

 

 

 

 

みなさんこんにちは。

 

いよいよ本格的に抗がん剤治療を開始し、抗がん剤の副作用も出始め、

次々に体に襲い来る異変と初めましてのご挨拶をしている時期になります。

 

前半の抗がん剤治療の中盤までの日記をもとに綴ります。

 

8/3 導入化学療法の抗がん剤3回目 

当日の投与では体調変化特になし 顔のニキビ疹がひどい状況変わらず 

病院側の抗がん剤調剤が間違っており投与2時間遅れ 抗がん剤入れる間に入るアレルギー抑制剤はすぐに眠くなる 

病院ベッド上で会社の新入社員向けのWebトレーニングを受講する WiFi環境が比較的良好なので助かる

 

8/4    

体調は良好 顔ニキビ疹症状やや良くなったか 

部のミーティングで会社メンバーにがん治療開始を報告 昼間はとても眠い 脇の毛脱毛開始つかむだけで簡単に抜ける

     

8/5〜9 

抗がん剤投与も3回目になり体も抗がん剤に慣れてきたのか体調は良好

オリンピック観戦三昧 顔のニキビ状皮疹は相変わらず

一番大きかった首のしこりはMAX時の半分くらいの大きさになっているように感じるがそれでも相当な大きさ

 

8/10  導入化学療法の抗がん剤4回目 

無事に終了し実家宿泊 しこりは今日急激に小さくなった感じがする 妻のしこりは乳腺炎との診断よかったー

 

8/11  

父親体調回復 コロナでなくてよかった

8/12-16 何の薬の副作用なのか自分はとにかく眠い 1日半分以上寝ている感覚 右薬指の爪周辺(小指側)が化膿し痛い 

 

8/17  導入化学療法の抗がん剤5回目  

投与初日はいつもなかなか寝付けず明け方4時にやっと寝付ける

9時半起床 体調は良い 薬指のテーピング実施(腫れた部分を広げる感じ、なるほどね)

 

8/18-23   

先週と同じサイクルで眠気  ニキビ状疹は継続中 

脱毛加速するも一気には抜けずじわじわと入浴時に200本くらいずつ抜ける

 

 

※この写真はほぼスキンヘッドにまで進んだ脱毛の様子です。

 

 

 

抗がん剤も8週のうち5回を終えて、もうすっかり慣れてきてはいるものの、副作用の爪の周囲炎、眠気、顔面のニキビ状のざ瘡、

この頃にはほとんどスキンヘッドになるまで頭髪の脱毛が進んだと思います。

きれいなスキンヘッドにはならず、少しづつ頭髪が残り、頭皮には顔にできたニキビ状のざ瘡が見た目を悪くします。

いかにもがん闘病中という見てくれになり、それはそれであきらめがつき治療に専念しようという気になります。

 

次回は前半戦の抗がん剤治療の最終回までを綴ります。

 

 

 

 

 

 

 

みなさんこんにちは。

 

前回ははじめての抗がん剤治療スタートからの1週間の体調の変化などを綴ってみました。

おぼえていることは異常なまでの発疹&痒みです。

なんの抗がん剤にヒットしたのかわかりませんが、間違いなく抗がん剤の副作用です。

初回限りの症状のものも多く、2回目以降の投与ではお目かかることがないものも多くありました。

この時の痒みも初回時だけの症状でした。

 

同じ治療、同じ抗がん剤でも人によって出る副作用はは本当に個人差があります。

副作用での発疹、痒みはあまり文献にも出てきません。

私だけなんじゃいでしょうか。

出る副作用は人それぞれ違います。

 

抗がん剤2回の日記から転載

 

2021年7月27日 導入化学療法の抗がん剤2回目 

11時開始 前回と変わらず吐き気なし、すぐに眠気来る 眠気は吐き気止めの効果との説明 12時過ぎに母が病院に来る。

この日は実家宿泊で焼肉、刺身、350缶ビール2本 音階は発疹からくるかゆみも全くなし 

顔の肌のニキビ疹の状態がひどい状況 これはアービタックス(セツキマシブ)という分子標的薬の代表的な副作用

 

病院ではいずみんさんとも会話 顔にひどい炎症、化膿、痒みがあるとのこと 

体には痒みは出ていないとのこと あまりに顔の炎症がひどいので今日はアービタックスの投与はお休みとのこと

 

7/28 

吐き気なし、かゆみは昨日含めてなかった 顔のひどい状況は変わりない

 

7/29 吐き気なし、湿疹ほぼ消え痒みなし 熟睡7時間 

脱毛始まる 髪の毛を引っ張ると7、8本束ですっと抜けた 

抜けた髪に毛根はない 脱毛の始まりだ。 

これは事前に決めていたことだが、いさぎよくバリカンで五厘刈りにした

 

長男は5厘狩りの坊主頭は意外と似合うじゃんと言ってくれた、本当に優しい子      

熟睡+睡眠時間とってるのに昼間眠い 自分の場合はこの異様なまでの眠けが主な副作用?

 

7/30  昼が眠すぎる 睡眠8時間以上でも眠い ニキビ状皮疹顕著なので抗生剤のミノサイクリン服用開始

 

7/31  アービタックスの副作用 顔のニキビ状皮疹がひどい 依然として眠い

 

8/1 眠気はなさそう 顔ニキビ疹ひどい 化膿し出血する 一番大きなしこりの形がやや薄くなったような気がする

 

8/2 熟睡 吐き気なし 顔ニキビ疹ひどい しこり変化なし 体調よし

 

自分の場合火曜日の抗がん剤、翌日から木曜日に眠気、金曜日はほぼ回復、土日は完全回復といった感じのサイクルでした。

 

 

また、脱毛ですがこんな感じで早くも2回目の抗がん剤投与で始まりました。

この時の脱毛は頭髪だけでしたが、その後は下の毛や体中の体毛すべてが脱毛することになります。

ひげも眉毛のまつ毛もすべてです。

 

アービタックスという分子標的薬の分類される抗がん剤の副作用は顔の見てくれを破壊してくれます。

顔面ニキビだらけでひどい顔になります。ニキビから出血もします。ほんとに参りました。

がん患者なんだってことを引き立ててくれて、メンタルをやられるんですよね。