冬が来る前に、もう一度越前へ その2、丸岡バスターミナルから鯖江へ | みののかみのブログ アメブロ版

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美濃国出身・在住のみののかみが日々気付いたこと・感じたことを書き出すもの也

史跡および日帰り天然温泉の訪問記が殆どと成り候

丸岡の室町交差点から南西方向へ歩き、🚶

途中で丸岡城外堀跡の田島川を越えて、

距離にして500mほど、10分足らずで

丸岡バスターミナルの敷地に到着した。

回廊でぐるりと囲った中に芝生広場があり、

ステージもあってライヴコンサートも出来る様子。

回廊の南隣には、

バスやタクシーの駐車スペースがあって、🚌🚖🚐

路線バスはこの駐車スペースを一周して

バスターミナルののりばに横付けする。🚏🚌

そのバスのりばは、

丸岡城・JR芦原温泉駅方面と

福井市街・永平寺方面で

のりばが分けられている。🚏🚌 🚏🚌

福井駅行きのバスの時刻を確認して、

一番間近な発車まで20数分あったことから、

バスターミナルを見て回った。

2階建て建物に近付くと、

ブロック舗装に線路模様があった。🛤️🧱

 
脚で跨いで幅を測ってみると、

狭軌の線路の1,067mmの幅の様子。🛤

ひょっとして、この場所に、

廃線になった京福電気鉄道の

永平寺線と丸岡線が走っていたのかな❗❓と

思いながら建物の中へ入り、

京福バスの案内所と特産の越前織の展示室を通り

併設のカフェへ行った。

丸岡城登城からずっと座っていなかったので、

休憩して飲み物を買って飲もうと

カウンターへ行って抹茶ラテを注文し、🥤

店員にここは昔電車の駅だったのか尋ねてみた。

線路がありましたね、とのみ返答されたので、

抹茶ラテを受け取って席に座って、

スマホでWikipediaを開き調べてみた。📱🔍

案の定、ここには京福電気鉄道の

永平寺線と丸岡線の線路が延びていて、

両線が接続する丸岡駅があったと分かった。🚉

丸岡城下町にすぐ近接した位置だが、

ここから4km西に走る国鉄〈現JR〉北陸本線に

丸岡駅があったため、「本」の字を付けていた。

大正4年(1915年)に、

ここから丸岡城下町の西方向へ丸岡鉄道が延び、

(その後、国鉄〈現JR〉丸岡駅を経由して

 三国芦原電鉄〈現えちぜん鉄道三国芦原線〉の

 西長田駅へ延伸した。)

昭和4年(1929年)には

永平寺鉄道が国鉄〈現JR〉北陸本線の

金津駅(現芦原温泉駅)からこの駅まで開業し、

さらに永平寺口駅まで延伸した。

そして丸岡鉄道と永平寺鉄道は一緒に

昭和19年(1944年)に京福電気鉄道に合併され、

それぞれ丸岡線・永平寺線になったが、

戦後には福井大地震の震災からの復旧と

モータリゼーションの進展に経営面で苦労して、

まず丸岡線の全線が昭和43年(1968年)に、

そして永平寺線も翌昭和44年(1969年)に

金津~東古市(永平寺口)間が廃止され、

この本丸岡駅は鉄道駅としての歴史を終えた。

その後京福バスがバスターミナルとして

この駅の敷地と駅舎を使用していたが、🚌🚏

昭和63年(1988年)に駅舎建物が取り壊され

バスターミナルが新しくなり、

さらに令和2年(2020年)にもバスターミナルが

再整備され建物も一新して、現在の姿になった。

 

鉄道の廃止については、クルマの普及によって

全国的に経営体力の無い路線が次々に無くなり、

この福井県内でも

福井市内に直通しない路線の大半が廃止された。

本丸岡駅跡がバス専用ターミナルになってから

乗り入れるバスの大部分が

福井の都心市街地(福井駅前や田原町)を

連絡する路線の便になっているが、

県都の福井市の求心力だけが、

この地域の公共交通機関が生き残る

頼みの綱になったのだなと思う。

丸岡の求心力が非常に限られるというより、

地域のクルマ以外の交通体系が

福井市街地から放射状に延びるものでしか

まともに運営出来ないのかなと

丸岡バスターミナルの現状を見て思った。

もっとも、福井の都心市街地に延びる

えちぜん鉄道線も福井鉄道線も、

戦前からの経営では運営が難しく、

いずれも現在までに資本体系が変わり、

えちぜん鉄道に至っては全面運行休止を経て

旧京福電気鉄道とはまったく別会社になって

鉄道設備を引き継いで再出発している。

 

現在の旧本丸岡駅の丸岡バスターミナルは、

2年前にリニューアルされた真新しい施設で、

線路模様のタイル舗装は建物の脇で

永平寺線と丸岡線の分岐を表しているのか

線路がクロスした模様になっている。❌

またその先には、

廃止された京福電気鉄道の後身路線を走る

京福バスの車庫が道路向かいにある。🚌🚍

福井市街中心の交通体系でも、
旧永平寺線と丸岡線の転換バスは
現在も受け継がれ走っている。🚌

 

建物内のカフェで休憩がてら

本丸岡駅について調べていたら、

福井駅行きの京福バスの発車時刻が近くなり、

バスに乗車して福井駅へ戻る。🚌🚏

行きの便は福井駅西口の

バスターミナルから発車したが、

戻りの福井駅行きのバスは

福井駅に隣接したホテルの横に停車して

乗客を降ろした。🚶🚶‍♀️🚏🚌

 

バスを降りた後、福井駅改札口前で

越前蕎麦とソースカツ丼の昼食を食べて、🥢

今度は鯖江へ向かう。

福井駅西口バスターミナルに隣接して

福井鉄道の福井駅(停留場)があり、

ここから福井鉄道の電車で鯖江へ行く。🚈

 

福井鉄道福武線は、
福井市街中心部の併用軌道上の
福井城址大名町停留場のすぐ南から
JR福井駅西口へ500mほど線路が分岐していて
(通称「ヒゲ線」と言う)、
田原町駅以北でえちぜん鉄道三国芦原線に直通する
「フェニックス田原町ライン」以外の列車は
上りも下りもすべて福井駅停留場へ入り、
福井城址大名町停留場に折り返す。🚉↪️
以前の「ヒゲ線」は駅前通りの中央から出ず
福井駅停留場も道路上にあったが、
福井駅西口のバスターミナルなど再整備と一緒に
バスターミナルに隣接した位置へ
カーブして進入する形に変えられた。
駅前の信号交差点を渡る必要が無くなり、
福井駅西口から歩道だけの平面移動で
福井鉄道の電車に乗車出来るようになった。🚉
また、
路線の1/10ほどに併用軌道のある福井鉄道線は、
かつては床面の高い電車が走っていたが、
名鉄の岐阜県内の600V区間が全廃してから
その併用軌道直通の低床電車を譲渡されて
完全にLRT化して、利便性が良くなったと思う。
 
日曜日の午後の福井鉄道の電車は、
満席に近い乗車率で福井駅停留場を発車し、
福井城址大名町停留場から福武線を南下し、
40分ほどで西鯖江駅に到着した。
 
 西鯖江駅は、レッサーパンダがいることで有名な
西山公園(動物園)の南の市街地にある駅。🚉
行き違い線路の分岐ポイントには
豪雪地帯ならではの覆いがある。 
この駅で下車したのは、
近くに江戸時代後期の鯖江藩の陣屋跡があるため。
越前鯖江藩は、
6代将軍徳川家宣の側用人(側近)だった
間部詮房が大名に出世して、
上野高崎➡️越後村上と領地が移った後、
享保5年(1720年)に
詮房の実弟で間部家を継いだ詮言(あきとき)が
移されて出来た大名領。
上野高崎も越後村上も城付きの大名領だったが、
越前鯖江に城は無く、左遷扱いだった。
 
住宅地の狭い街路をGoogle mapで示された
鯖江陣屋跡を目指して歩く。
住宅地の区画に「屋形町」が現れ、
さらに文化祭準備中の公民館で
第7代鯖江藩主で幕府老中を務めた
間部詮勝の名前が入った幟旗を見つけた。
この屋形町の町内に、
「屋形稲荷神社」の鎮座する小さな公園があり、

Google mapではこの公園を

鯖江藩陣屋跡と指していた。📌

「屋形町」の地名も陣屋の「館」から
名付けられていることは間違いないだろうが、
間部氏の陣屋の遺構がまったく現地に無いのは、
そしてこの現地に説明板が無いのは
せっかくの歴史が伝わらず悲しいと思った。😥
鯖江市の施設としては、
西山公園の北側に「まなべの館」という
「間部」の名前も利用した生涯学習施設があり、
ここで、第7代藩主の間部詮勝が
幕府老中になった功績で築城を許可され
建設する予定だった天守閣の想像復元模型を
間部詮勝の企画展を観に訪れた際に
見学したことがある。
この陣屋の跡などで間部氏の陣屋の歴史を
恒久的に説明してほしいと、現地に来て思った。
 
福井鉄道の西鯖江駅から徒歩10分ほどの
この間部氏陣屋跡だが、
JR鯖江駅へも近いと知り、
15分ほど歩いてJR鯖江駅へ行き、
帰りのJR北陸本線の電車に乗車した。🚃
そして敦賀駅で立体駐車場に停めたクルマに乗り
岐阜へ帰った。
朝に伊吹山麓で気温が5℃だったように
寒い季節は確実に近付いている。
もうすぐ福井は雪の季節に入る。☃
冬が来る前のまだ暖かい時期に
丸岡も鯖江も訪れられて良かったと思った。