岩瀬忠震と井上清直 幕末のスーパー外交官 | iPhone De Blog

iPhone De Blog

2009年12月7日からスタート
iPhone3GSからiPhoneユーザのLEONがiPhoneやAndroidなどを中心にしたデジタル系ガジェット、IT関連ネタ、趣味のコントラバスやチェロを中心としたクラシックネタ、2022年から始めた自家焙煎に関する話や日常の話まで幅広く書いてます。

先日の「英語」に関する話の中で

『単に、英語を導入してアメリカに迎合する事がグローバル化と言うなら、黒船時代から明治の日本人レベルである。

いや、当時の日本人はもっと偉かった。』


と書いたが、その偉かった人達のうち、日本の代表としてアメリカと交渉した二人を紹介したい。


一人は岩瀬忠震(ただなり)と言う、1958年に締結された「日米修好通商条約」を締結する為に、アメリカの初代駐日米国総領事タウンゼント・ハリスと交渉した幕府海防係(外務省)担当役人。


iPhone De Blog

かなりの内容はNHKオンデマンドで見た「知恵泉(ちえいず)」と言う番組の

『幕末の外交官 アメリカと対峙する岩瀬忠震の交渉術』

の中からなので受け売りとなるので省略するが、岩瀬はそれ程高い身分では無かったが、類まれな交渉術で相手方のハリスさへ「井上や岩瀬の様な全権交渉大使が居たのは日本に取って幸せだった。」と後に言わしめている程だ。


iPhone De Blog


この「井上」と言うのが、岩瀬のパートナーとして交渉に付いていた「井上清直」で、こちらはハリスの身の回りの世話から、岩瀬の苦手な「根回し」までこなしていた「スーパー事務方」である。


付き合いのあった人物が「人と為り忠剴(ちゅうがい)にして事務に練達し、言語明晰にして決断の才あり。」評しているらしいが、相当使える人間だった様だ。


後世の日本では、徳川幕府の業績は明治政府からは隠されていたので、「日米修好通商条約」は不平等条約であると言う教育がなされているが、それはあくまで後世に伝えられた内容に過ぎない。

ちなみに、不平等条約になったのは、この後、攘夷派による生麦事件、薩英戦争、下関戦争が勃発し、幕府が責任を取られる形で関税率が20%から5%に引き下げられた為で、実は明治政府の大元となった薩長が原因だったのだが、それを隠す為に、不平等条約を幕府の責任にしていた様だ。

実際は、この幕府側の二人の交渉によって、多くの港の開港を要求されていたにも関わらず、要求とは異なる横浜を開港する事で納得させたりしている。

又、ハリスが要求していた『米国人が日本国内を自由に旅行するのを認める』と言う内容に対しても

「攘夷運動が盛んとなっている日本でその様な事を認めると外国人に対して危害を加える機会を与え、それを切っ掛けに戦争に発展する可能性もある」

と考えた井上は

「京都・大坂は攘夷運動が盛んで外国人には危険な地域だ。国内旅行に固執し要求を取り下げないのであれば、条約そのものが無に帰すことになりかねない。価値の無いものを望んで条約全体を失うよりも、これまで獲得したものを確保する方が得策では無いのか?」

と柔らかいが強い姿勢で臨んでいる。


交渉の結果、最終的には「あなた方の希望に添うようにしましょう」と言う形で条文がまとめられ、「諸外国と日本の間で問題が起こった場合はアメリカが仲介する」「日本にはアヘンを絶対に持ち込ませない」と言う条文も加えられる形になった。


当時、アヘン戦争で負けた清が敗北的な「南京条約」を結ばされている為、交渉によって「日米修好通商条約」が結ばれずに「鎖国」が継続していれば、やがて諸外国と戦争になり、もっと屈辱的な条約を結ばされ日本も植民地と化していた可能性があっただろう。


結果的には功績のあった岩瀬や井上が幕府の人間である為、明治政府以後の後世では評価されない人物とされ、条約締結後、幕府の派閥争いの中で井伊直弼に冷や飯を食わされ、二人とも不遇の最後となってしまった。


現代では殆ど知る人は居ないが、実はもっと評価されるべき日本のグローバル化の始まりとも言える人達だ。


ちなみに井上の方は日本で「乾杯」を叫んだ最初の人物と言われている。


全く別のイギリスとの交渉の晩餐の際に「イギリスでは国王の健康を祝して盃を交わす習慣がある」と聞いていた井上が、会話が途切れた時に突然立ち上がって「乾杯」と叫んで着席した事にイギリス側がウケたと言う記録が残っているようで、この「乾杯」と言う言葉は、中国の習慣を知っていた井上が機転を利かせて作った言葉の様だが、まさにこう言う役でも引き受ける人間だった様だ。


岩瀬の場合も、特に英語に堪能と言う訳では無かった様だが、僕が注目したのは岩瀬の人柄だ。

何にでも興味を持ち、日本へ来た外国船の船長を質問攻めにするなどして諸外国の知識を積極的に身に付け、日本画(それも相当上手い)や街を歩く女性の髪型のイラストも巧みに描く人物だった様で、単なる机上の話だけの人物では無かった様だ。


実際、交渉で開く必要のあった港も、事前に視察した上で「品川は浅いので大型船は入れない」「平戸は狭い」など自身の目で見て話しているので説得力もあっただろう。


ゲストで呼ばれていた小松正之さんという元水産庁で国際捕鯨委員会で全権としてハードネゴシエーターと言われた人が印象に残る話をしていた。


捕鯨交渉で潮目が変わった切っ掛けに関して


『日本の捕鯨の歴史は長い。科学と条約論にプラスαして食文化と歴史論を入れ、(捕鯨の)浮世絵や工芸細工などを実際に見せると「文化」や「歴史」や「食」はどんな民族の琴線に触れる』


それに続けて


『若い頃、鮭鱒交渉のアメリカの代表団と会った時、彼らはアメリカ史からヨーロッパ史まで語れるが、私など「これで何トン貰えるか」など仕事の話しか出来なくて、話が合わない。愕然として、日本の歴史や芸術も勉強しようと思った』


と言われていた。


結局、言葉が喋れても自分の国の事を自分の言葉で語れなければ交渉にならないのは今も昔も同じである。

昨今、現与党は「TPP」を参加へ強引に持ち込み、「交渉の席に着く」と言う言い方をしているが、マスコミもそれを容認する形で殆ど詳しいことは報道しない状況なので把握するのも難しいが、本当に「交渉」となるのだろうか?

交渉の席に着く人間に、例え英語が堪能でも、自国の実情を身を持って知っている人間がどれだけ居るのか疑問であり、まさに、現代の「不平等条約」となりかねない気がする。

岩瀬や井上に関しては以下に詳しい。

幕末外交官――岩瀬忠震と開国の志士たち/作品社

¥1,890
Amazon.co.jp

暁星―開国の扉を開けた幕吏・岩瀬忠震/文芸社

¥1,260
Amazon.co.jp

「善玉」「悪玉」大逆転の幕末史 (PHP文庫)/PHP研究所

¥600
Amazon.co.jp

幕末 五人の外国奉行―開国を実現させた武士/中央公論社

¥2,520
Amazon.co.jp