年齢、性別や状況に関わらずコミュニケーションは大切だ。
自分の思ってる事を相手に伝える為には言葉が必要で、英語なら「I love you」の8文字、日本語でも「あいしてる」の5文字で済むが、愛情を維持するにはそれ以上の言葉が必要だ。
楽天が英語を公用語として導入したが上手く行ってないと言う記事を読んだ。
当然だろう。
言語と文化は密接な関係にあり、日本の風土で育った企業がコミュニケーションツールとして英語を導入しても社内や社外で細かいニュアンスが伝わる訳が無い。
もちろん事情は分からないでもない。
楽天はインターネット関連企業だが、楽天に限らず、企業内にコンピュータが普及して来たのは80年代くらいだが、コンピュータの世界は当然、生まれが英語圏の為英語が基本だ。
その為、コンピュータ関係の用語の殆どは英語である為、自然と会話の殆どは横文字となり、それに伴ない、プログラム関係の用語が一般の企業内に導入されていき、打ち合わせでの横文字の比率が高くなった。
だからと言って会話の全てを英語にすると言うのは無理がある為、会議の後から携帯で「あれちゃんと伝わった?」と個別に「日本語」で意図を確認してるらしい。
グローバル化を意図してるなら、細かいニュアンスを伝えられる日本語を先ずキッチリ使える様にして、社内外でコミュニケーションを活発化し、それを武器に世界へ出るべきで、それが真のグローバル化だろう。
今、日本食が世界でブームになっているのはそこに日本食としてのアイデンティティがあるからだ。
※例えば、横文字はこう言う「アイデンティティ」の様な多くの意味を含んだ漠然とした物を表現するには適している。
単に、英語を導入してアメリカに迎合する事がグローバル化と言うなら、黒船時代から明治の日本人レベルである。
いや、当時の日本人はもっと偉かった。
以前、ブログで渋沢栄一の話を紹介したが、当時の日本人は、決して、英語を国語とせずに「翻訳」と言う作業をして日本語(日本文化)を守ったからこそ、その後世界で戦える様になった訳で、当時、英語を国語として導入したインドなどはあっと言う間に植民地と化した。
http://ameblo.jp/iphone-fan/entry-11258440116.html
最近、日本の技術力が低下したと言われるが、ハード、ソフト両面を経験した立場から見ると「精度」が落ちた様に思える。
何故「精度」が落ちたのか?
それは先に書いた様な事情により日本人のコミュケーションに占める英語の割合が増えて来たからだと思っている。
先に書いたように英語の場合、漠然とした表現をするには非常に適している。
何故なら、英語と言うのは26文字の記号を組み合わせて言葉を作る為、一つの言葉がカバーする範囲も広い。
言い換えれば、その言語の持つ精度が低いのだ。
一方で、日本語の場合、良く言われるが、雨が降る表現でも多くの表現がある為、状況に応じて使い分けることが出来るので相手に意図を伝える言語の精度がとても高い。
適切な日本語を使えば相手へ伝わる精度も高くなるが、英語で表現すると、本来の言語の持つ意味が広い為人によって意図が変わってしまう。
エンドユーザーから実際の開発部隊に仕様が上手く伝わらなかったり、検証段階での問題が伝わらなかったりする状態が、80年代以降、日本のエンジニアリングやその周辺に蔓延して、ボディブローの様に効果を出して、英語の持つ言語の性格同様にアバウトな製品が出来る様になったのでは無いかと思っている。
無論、先に書いたように漠然とした表現をするには英語は適しているので場合によっては日本語よりも伝わりやすい。
しかし、技術と言うのは漠然としたものを具体化しなければならないものなので、言語の持つ曖昧さは出来るだけ回避しないといけないのだ。
その為、最近も居たが、打ち合わせでやたらと横文字を使うエンジニアは僕はあまり信用していない。
もちろん、これ以外にも「かんばん方式」と言ったコミュニケーションする暇も与えない状態の製造現場にも問題はあると思うが、仮にコミュケーションが出来たとしても能力そのものが低下していれば話にならない。
最近「Line」や「Twitter」が流行ってるのもそう言う理由だろう。
例えば、メールであれば「あーだこーだ」と書かないといけない事を「Line」なら会話の一部の様に一言でも済むし、「Twitter」も文字数に制限がある為多くは書けない為、それ程文章力は必要ない。
エクゼクティブの中にも、時間短縮の為、メールは簡潔にして「Line」などを有効に使う。と言う話をしている人がいる様だが、それ程「時間短縮」が必要なのだろうかと思ってしまう。
「時短」「コストダウン」で日本人は多くのものを失ってきた。
時間短縮に気を取られて、正しく用件が伝えられず、返って時間を使ってしまうと言う事もあるし、そうやって、普段、文章を書く訓練がなされてないので、用件を最初に伝えずにダラダラと書いてしまうので「手短に」と言われるのだ。
ちなみに、この記事でも一番最初に言いたいことは書いてあるし、仕事のメールでも極力、最初の方に結論を言う様にしている。
書くことは考えることであり、相手に伝える為に書いてるうちに考えがまとまる事もあれば、その結果書き直すこともある。
そうやって相手へ伝える精度が上がるのだ。
日本人が真のグローバル化へ向かう為には日本人としてのアイデンティティをもっと持つべきであり、その為の国語教育は必須だと思っている。
それも漢字を沢山知っている。元々の意味を知っていると言う、受験の様な低レベルのものではなく、相手にどうすれば意図が伝わるかと言うライティングに関する技術をキチンと指導すべきだろう。
僕は一時期、メーカーの営業職をした事があるが、その時、管理職向けの通信教育を受ける必要があり、迷わず「テクニカルライティング」の講座を選んだ。
営業職と言うのは客先と技術職の仲介をする職種であり、正しく伝えるのは能力の1つだと思ってたからで、今でもそれは役に立っている。
確かに、異言語地域の人間とコミュケーションを図る為には、英語は大切なツールであるが、あくまでもツールの1つ。
先ず、日本語で言いたいことを伝えられない人間がちゃんと英語を使って異言語(異文化)の人間に意図を伝えられる筈がない。
だから、TOEICの試験で高得点を取っても仕事が出来ない人間が蔓延する訳で、そう言う人間を重宝する企業体質も如何なものかと思ってしまう。
ちなみに、英語そのものが必要ないとは考えていない。
僕自身英語そのものはそれ程苦手では無いし、TOEICなど受けた事も無いが、IT関係の先端技術は全て外国語圏にしか無いので英語が理解出来る事は必須だし、趣味のクラシック音楽も西洋音楽なので同様であり、外国語とは普段から接しているが、あくまでそれらは「道具」に過ぎないと思っている。
それに、最初の方に書いたが言語と文化は密接な関係にあるので、その言語を覚えたいなら、何処かの英会話スクールへ行って試験を受けて高得点を取るよりもその土地へ行って現地の人間と暮らすのが一番だと思っている。
企業であればTOEICの点数が高い人間より国語能力の高い人間を海外へ送り出す方が余程良いだろう。
むしろ、諸外国が優れた言語である日本語を学びたいと思えるような国とするのが真のグローバル化だろう。
現代の企業経営者の感覚は、過去に植民地化されたインドと然程違いが無い様な気がする。