「タイガーマスク」を考える | iPhone De Blog

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iPhone3GSからiPhoneユーザのLEONがiPhoneやAndroidなどを中心にしたデジタル系ガジェット、IT関連ネタ、趣味のコントラバスやチェロを中心としたクラシックネタ、2022年から始めた自家焙煎に関する話や日常の話まで幅広く書いてます。

タイガーマスク現象)


「タイガーマスク」と言うのは僕らの世代だとプロレスアニメの代表作とも言える物だろう。

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原作の「辻なおき」の絵は非常に柔らかいタッチなのだが、TVのアニメのタッチは非常にラフな感じで、それまでのアニメは「鉄腕アトム」や「鉄人28号」、「エイトマン」にしても原作のタッチとほぼ同じなのに「どうしてこんなに違うんだろう?」と不思議に思ったアニメだった。


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すると、先程何の気無しにWikiペディアを見たら、何と、この作品は『日本のテレビアニメで初めて、原画からセルへ絵を転写するトレースマシンを導入した作品である。このため線の多い劇画をアニメ化することに成功した。』とあったので、僕の印象はあながち間違いでは無かった様だ。


まあ、そんな子どもの頃のヒーロー「タイガーマスク」が最近話題だ。


現代の「タイガーマスク」は「虎の穴」から送り込まれる悪役レスラーと戦うのではなく、養護施設等にランドセルを置いていくようだ。


それも一人では無く、全国各地に出没して、最近は、他の漫画の主人公まで参加しているらしい。


「運動」や「活動」「現象」と名前が付いているが、これは全てマスコミが勝手にそう呼んでるだけだ。

特に誰かがリーダーシップをとってやっている訳ではない。

マスコミも、恐らく、「タイガーマスク(伊達直人)」と言う名前とランドセルと言うのに目を引かれたのだろう。


僕の考える慈善活動)


これを「慈善活動」と呼んで良いのか疑問が残るが、僕は元来、「慈善活動」と言うのは金持ちがやるものだと考えている。


特に欧米では、「慈善活動」は資産家のステイタスシンボルだ。


日本の様に豪邸に住み、金ピカの時計をしてフェラーリに乗ってる程度のレベルの低い金持ちでは無く、巨万の富を使って「慈善活動」が出来るレベルの人間を「金持ち」と呼んでいるし、最終的には利益をあげて、そうなりたいと願っている。


有名なところでは、マイクロソフトの創立者ビル・ゲイツが居るが、例えば、アメリカの投資家「ウォーレン・バフェット」は自身で財団を運営しながら、個人の資産から多額の寄付を行っているし、自身とランチを楽しむ権利は1億円以上で落札されているがそれも財団へ全額寄付されている。


聞いた話だが、自分の子ども達に何億かやって、「その金でどれだけ社会の為に貢献できるか考えろ」と言ったらしい。


たいしたもんだ。出来る事なら僕も言ってみたいセリフだ。


ちなみに、日本でも寄付と言うのは税額控除される。


1.国や地方公共団体に対する寄付金

2.日本赤十字社・その他公益法人などに対する寄付金で、政府が個別に指定したもの


3.独立行政法人や総合研究開発機構などの特定の公益法人に対する寄付金


4.学校法人や専修学校などを設置する準学校法人に対する寄付金


5.政党、政治団体、その他の団体に対する寄付金(政治献金)


6.国税庁長官の認定を受けた特定非営利団体(認定NPO法人)に対する寄付金


当然、相手先に応じた条件があるが、


寄付金の額 又は 総所得の30% (何れか少ない額)から 所得税5000円、住民税10万円を差し引いた金額を「寄付金控除」と計算してくれる。


どうせなら、実名で、しっかり控除される位寄付して欲しい。


僕の様な小市民の財布を叩いても、せいぜい募金した事で自己満足出来る程度だ。


個人の募金活動はこう思う)


又、個人からの小額の募金は集める事に関して労力が掛り過ぎると思う。


その為か、結果的に実際役に立つ使われ方をしたのはごく一部で、大半は「活動の経費として使われました。」と言う様な、「活動の為の活動」がかなりあるように思える。


こんなのに至っては、慈善活動の名目で、自分達が食ってる(生活している)だけだ。と言っても良いだろう。

特に、最近多い、難病募金は別な面で賛同出来ない。


確かに、気の毒だとは思うが、逆に、そう言う子ども達は、運良く、親を含めて周りに声の大きな人間「社会的に発言力の大きな人間」、が居た為、広く認知されて巨額の募金を集める活動を出来ているが、もし、そうじゃ無かったら死ななきゃならないのか?


病気に重いも軽いも無い。


数億円の心臓移植が出来ない子どもも、数万円の手術代が払えないで死んでしまった子どもも命の重さは同じだろう。


僕は、寧ろ、そう言う救われない子どもの事を考えると胸が痛む。


何故なら、恐らく、自分の子どもがそう言う難病だとしても、友人も少ない僕の子どもなら助からないだろうと思うからだ。


考えるとすれば、何故、その様な巨額の医療費が必要なのかだろう。

それを全般的に改善する為の活動ならば慈善活動と呼んでも良いかもしれない。


反面、ボランティアと言うのは悪くないと思っている。


金ではなく自分の力で無償協力する事はお金を出すよりも価値があると考えている。


一人の力という意味では、金持ちでも貧乏人でもたいした差は無いだろう。そこに価値がある。


災害等で、皆が一致協力して頑張る事は素晴らしいし、敢えて、その地域まで出かけてやる気は無いが、何か身近で発生すれば協力することは惜しまない。


最近は、町内会の清掃まで金を出せば免除の様な風潮があるが、それは話が違うだろう。参加することに意味があるのだ。と言うのに似ている。


施設の現実はこんな感じらしい)


話しを戻すが、実際、先のタイガーマスクの様に施設へランドセルを寄付する程度では何も解決しない。


別に非難する気も無いが、やった人間が「あ~俺は良い事をしたなぁ」と自己満足するだけだろう。


事実「タイガーマスクが1万人居ても施設の現実は変わらない」と言う養護施設担当者も居る。


例えば、児童養護施設の国の最低基準の居室面積は子ども1人あたり3.3平方メートル(約2畳)で、今時の季節労働者並かそれ以下だ。


直接子どものケアを担う職員の配置基準は6人に1人(小学生以上)で、配置基準は1979年以来30年以上も変わっていない。


現代の養護施設の子ども達は、親が居ない子どもも含めて、発達障害や虐待で心に傷を負う等、様々な事情の中で愛情に飢えている為、これだけの人数の子ども達を相手にする職員の負担は大きい。


当然、ケアも行き届かなく、過労による職員の入れ替わりも激しい。


職員の数や待遇、環境の改善等公的措置の改善が必要だが、逆に、国は最低基準をなくして、地方自治体まかせとしようとしている。


結局)


個人レベルを考えるなら「労働基準法を守ると勤務のローテーションが回らなくなる現実」を背景に頑張ってる人達が居る事へ目を向け、選挙で意思表示を示すことの方が余程重要な気がする。


もちろん「自分はこう思う。」と言う声をあげる事も大切だと考えるので、時としてこう言う事も書いている。


本当の敵は「虎の穴」ではなく、自分の中に居る。