iPadが電子ビューワとして良いと言う話があるが、皆さんは最近、本を読んでいるだろうか?
僕も以前は良く本を読んだが、元々週刊誌の類は全く読まないし、最近は、本と言えば技術書位のもんで、それ以外のジャンルの本は中々読まなくなってしまった。
子どもの頃なんかは、それこそゲーム等は無いので、天気の悪い日等は、家でゴロゴロして同じ本を何度も読んだもんだ。
この歳になると中々そう言う時間が取れなくなったのもあるが、それでも、何かの待ち時間や移動時間の間を有意義に過ごしたいもんで、そう言う時に良くお世話になってるのが「青空文庫」だ。
先日から、連荘で運動会があったが、自分の子どもの出番以外は暇なもんで役立った。
「青空文庫」に関する説明は省略するが、ビューワを入れておけば何処でも読書出来ると言うのが嬉しい。
僕は以前使ってたウイルコムのzero3[es]へもビューワを入れていたが、iPhone向けのビューワも沢山あって、僕もSkybookと言うビューワを入れている。
以前のzero3と比べるとiPhoneは画面が大きいので僕にとってはピッタリで、SkyBookは僕にとっての定番となっている。
SkyBookはこんな感じでちょっと古い紙の雰囲気で表示されるので昔の文庫本を読んでるイメージだ。
「青空文庫」の色々な作者の中で、僕の一番のお気に入りは何と言っても「岡本綺堂」だ。
「半七捕り物長」で有名な作家だが、この「半七」は本人がシャーロックホームズの話しに影響を受けて書いたと言う様に、推理小説のファンならオススメの作品だ。
綺堂は、明治以後の作家だが、当時はまだ江戸の風情を伝える人や街並みも多く残っていたのか「半七」の中にも江戸の雰囲気が手に取るように感じられる。
例えば、これは「綺堂むかし語り」と言う随筆集で、短文集だが、その中の「紙鳶(たこ)」と言う話しだ。
「春風が吹くと、紙鳶(たこ)を思い出す。暮れの二十四、五日ごろから春の七草(ななくさ)、すなわち小学校の冬季休業のあいだは、元園町十九と二十の両番地に面する大通り(麹町三丁目から靖国(やすくに)神社に至る通路)は、紙鳶を飛ばすわれわれ少年軍によってほとんど占領せられ、年賀の人などは紙鳶の下をくぐって往来したくらいであった。
暮れの二十日頃になると、玩具(おもちゃ)屋駄菓子店などまでがほとんど臨時の紙鳶屋に化けるのみか、元園町の角には市商人(いちあきうど)のような小屋掛けの紙鳶屋が出来た。
印半纒(しるしばんてん)を着た威勢のいい若い衆の二、三人が詰めていて、糸目を付けるやら鳴弓(うなり)を張るやら、朝から晩まで休みなしに忙がしい。
その店には、少年軍が隊をなして詰め掛けていた。
紙鳶は種類もいろいろあったが、普通は字紙鳶(じだこ)、絵紙鳶、奴(やっこ)紙鳶で、一枚、二枚、二枚半、最も多いのは二枚半で、四枚六枚となっては子供には手が付けられなかった。
二枚半以上の大(おお)紙鳶は、職人か、もしくは大家(たいけ)の書生などが揚げることになっていた。
松の内は大供(おおども)小供(こども)入り乱れて、到るところに糸を手繰(たぐ)る。またその間に娘子供は羽根を突く。
ぶんぶんという鳴弓の声、かっかっという羽子(はご)の音。これがいわゆる「春の声」であったが、十年以来の春の巷は寂々寥々(せきせきりょうりょう)。往来で迂闊(うかつ)に紙鳶などを揚げていると、巡査が来てすぐに叱られる。
寒風に吹き晒(さら)されて、両手に胼(ひび)を切らせて、紙鳶に日を暮らした三十年前の子供は、随分乱暴であったかも知れないが、襟巻(えりまき)をして、帽子をかぶって、マントにくるまって懐(ふとこ)ろ手をして、無意味にうろうろしている今の子供は、春が来ても何だか寂しそうに見えてならない。」(青空文庫「綺堂むかし語り」より)
どうだろうか、これは明治初めの頃の話しだが、当時の人としてはかなり読みやすい文章で、短い中で、活き活きとした当時の雰囲気を伝え、サラッと批評までしている。
興味のある人は是非読んでみて頂きたい。
話は最初に戻るが、僕は、iPadが売れる事で、その為の電子書籍が増えるのは歓迎だ。
恐らく、大半はiPhoneでも読めるからだ。
勿論、写真等が多い雑誌や新聞は画面が大きいiPadの方が良いかもしれないが、そんなもんは読みたかったら雑誌や新聞をそのまま読むので、僕には必要無い。
僕の場合やはり読むなら小説だろう。著作権は切れて無いから「青空文庫」は当分無理だが読みたいと言う本はあるし、手軽にダウンロード出来て読めるなら移動の時間等は有効活用できる。
iPadは自宅で使う分には良いかもしれないが、そもそも時間の有効活用をしたいと言う場合は、移動時間や待ち時間が圧倒的だと思う。
常に持ち歩いて、手軽に読みたいなら、iPadの様なデカイ物よりはiPhone程度のサイズがベストだろう。実際、文字だけなら表示範囲はiPhoneで事足りる。
又、仮に自宅で読むと言う事になっても、写真の様にちょいと一杯やりながらなんてのもテーブルの面積を占有しないで良い。
実際、外で読む時に、iPhoneでも長時間持っていると持ち替えたくなるがiPadはどうなんだろうか。
ツイッターで最近iPadの話題をチェックしてると「iPadあるからiPhone要らない」「iPad触るとiPhoneに違和感がある」と言うのが流れているが、この二つは似て非なる物だと言える。
僕は、今でも「iPadは大きなiPhone(iPod)」だと思っているが、大きい事が良い事である様に、小さい事も良い事であると言う例は沢山あり、その大きさに存在価値があると言う物も少なくないし、そこに新たなニーズが生まれるのだろう。
例えば、僕のニーズでひとつiPadだと良いなと思うものがある。
それはスコアだ。
オーケストラのスコアをiPadで読めるようになればかなり便利じゃ無いかと思ってる。
ポケットスコアと言うのはだいたいiPadの表示範囲のサイズなのだがこれが結構分厚い。
その為、何冊か買って置いてるだけで相当なスペースを食う。
今でもPDFの形式でフリーでダウンロード出来るサイトはあるんだが、さすがにiPhoneで読むのは辛い。かと言ってPCで見るのは手軽では無い。
そう言う場合に、iPhoneの様なスマートフォンとPCの中間に位置するiPadはサッと利用出来る。
これで曲を聴きながら、指でサッと次のページに動かせるなら便利だし、スペースも取らない。もし曲と同期してページが自動的に動くなら言う事無い。
ニッチだが、結構イケる分野だと思うのだがどうだろうか?
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