僕の現代史(モスクワ五輪ボイコット事件) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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昭和55年(1980年)

僕は36歳。



平成28年の現在、リオでオリンピックの

白熱の戦いが毎日続いているが、

昭和55年5月24日、日本はアメリカの要請で

JOCが採決してモスクワオリンピック不参加を決定した。



ソ連のアフガンへの進攻に対するアメリカの抗議として

西側諸国にモスクワをボイコットするように要請があったが

西側諸国で不参加を決めたのはアメリカと日本、西ドイツとカナダの

4か国だけであった。



日本では参加するものと思い、多くの選手やスポンサーが

準備をしていた。


しかし、ボイコットの知らせに金メダル確実視されていた

選手たちは大変なショックを受けた。


4年に一度のオリンピックをボイコットすれば、8年間オリンピックが

ないことになり、ピークを長い年月かけて調整してきた

選手たちにとって致命的なことであった。


マラソンの瀬古や宗兄弟。

柔道の山下などである。


山下はその後のオリンピックで大けがを押しながら

金メダルを取り、日本中涙のもらい泣きをした。


一躍、時の人になった山下の金メダル獲得に動いた人がいた。


現在の山下夫人である。


山下がデパートに紳士服を買い物に来ていて、

山下に照準を合わせた現婦人の山下獲得作戦は

これまた多くの日本人の拍手喝さいを

浴びたのである。


こんな、美談もあるが、

多くの選手がこの時をピークで選手生活を

断念した。


オリンピックは平和の祭典であるが、

政治に泣かされたモスクワ五輪であった。