昭和55年(1980年)
僕は36歳。
この年の手帳には
日々ピリピリするなかれ
お客様に対してピリピリせよ。
と書いてある。
このころの僕は毎日ピリピリしていた。
昼は経営者として、夜は外商マンとして。
ピリピリ頑張っていた。
だが余裕のない精神状態で、体は病気の
殿堂になっていった。
そのころはまだ扁桃腺が時々腫れた。
ペニシリンを打ってジンマシンができたなどと
書いてある。
6月30日の朝4時。
僕はおなかが痛くなりトイレに駆け込んだ。
だが何も出ないで苦しんでいたが、
激痛が襲いそのまま気を失ってしまった。
初めて救急車で病院へ向かう。
病院で尿検査をするので尿をとってこいと言われた。
医師から言われたのが、腎臓結石です。
すでに尿の中に米粒の半分ほどの石が
出てきました。
お帰りいただいて結構です。
飲まず、食わずで頑張る僕は当然の如く
石がたまってしまったのである。
それからの僕は多少ピリピリしない方向を
目指さなければならないと思うようになっていった。
王将と歩の経営から部下を育てなければならないと
思うようになっていった。。
経営はゴールのないマラソン競争である。
この言葉を実感するようになっていった。