吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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昨日、僕は大好きな卓球、世界卓球女子団体決勝を見ていた。

相手は何度も決勝で敗れている中国である。

 

その壁は厚く、今までは善戦するも圧勝されていた。

しかし昨日は違っていた。

中国を追い詰めたのである。

 

長い試合だった。

しかし時間のたつのも忘れていた位の熱戦だった。

 

卓球はその時々の選手の精神状態がプレーに影響する。

だから追い詰められてもあきらめない強い精神力と度胸が左右する。

 

その度胸を裏付ける引き出しを数多く持って居る選手が有利である。

中国の世界ランク1位の孫選手は引き出しの数が違っていた。

一人で張本選手と早田選手を撃退して2勝した。

 

実は僕は早田選手が孫選手に負けた段階で2勝2敗になったところでテレビの門限に直面したのである。

僕は独身ではないのでいつまでもテレビを見ているわけにはいかない。

家内のいつまで見ているのよ、と制限がかかる。

 

後ろ髪を引かれつつ、後はビデオに任せて寝ることとした。

 

翌日は早々にスマホで確認すると、最終戦の5人目の張本選手が善戦するも負けたとあった。

張本選手は悔し涙を流したとあった。

 

相手の中国選手達も涙を流したという事である。

そのくらい日本は中国を追い詰めたという事である。

 

張本選手の代わりに、国際経験が豊富な伊藤選手を出していればと言う考えもある。

 

しかし、今年はオリンピックがある。

伸び盛りの張本選手はまだ中学生である。

頭脳も驚異的な水準らしい。

 

この悔しさをオリンピックまでに修正する能力がある。

国際経験として良い敗戦だった。

オリンピックが楽しみになってきた。

 

 

 

 

 

ほぼ毎日ウオーキングをして居るが、所により挨拶をする地域としない地域がある。

 

群馬の森は比較的人口密集地に近いし、大勢の人がウオーキングをしているので一切挨拶はない。

一度だけベンチに座っているおじさんが『こんにちわ」と挨拶をしてきたときにはビックリしながらも『こんにちわ」と返すことが出来た。

 

一方、城下町小幡は80%の人が挨拶をする。

残り20%の人は挨拶はしないが、前方に歩いてきたときには挨拶をする人かどうかが分かるのである。

 

その見分け方に最初は苦労した。

挨拶をしても無視されることがあり、挨拶をして気分が悪くなるのだ。

 

見分け方は簡単だ。

そっぽ向いている人は挨拶をしたくないオーラが出ている。

又、スマホを見ながら歩いて居る人も挨拶したくない人である。

 

挨拶する人はすれ違う前に目線を合わせてくる。

したがって、目線を合わせた人だけに挨拶すれば万事解決であり、お互いにハッピーである。

 

ところが、僕もおせっかいなところがあり、せっかく大勢の人が挨拶をする地域になってきたのだからと、目線を合わせない人まで挨拶をするのである。

すると挨拶をする人がまたまた80%になる。

20%の人は聞こえないくらい小さな声で返す人か、無視する人になる。

でも僕は挨拶を続ける。

 

この地区は中学校が遠いので自転車通学である。

中学生の90%が挨拶を率先してしてくる。

歩きの小学生も90%挨拶をしてくる。

 

その中で遠方まで一人で徒歩で歩いて通学する小学生の一年くらいの女の子が居た。

城下町の外れの方ですれ違うので僕は不審者と思われないように挨拶はしなかった。

しかし、僕は首の病気で少し首をかしげて歩くので特徴があり、いつしか覚えてくれて先方から挨拶をしてくれるようになった。

 

僕は挨拶する声に明るさと無害な人物である事を証明するようにさわやかな声を努力して出している。

いつしかその子も小学生四年生くらいになった。

大きくなったなあ。

 

畑仕事をしているおばあさんにも挨拶をする。

 

道端の福寿草にも挨拶をする。

春を告げてくれるかわいい花である。

 

本日もお節介な僕が歩いて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恵まれない幸せ

  恵まれる不幸せ

     ダイソウ産業 矢野博丈

 

これは今では有名なダイソウ産業の創業者、矢野博丈氏の苦難の人生から生まれた言葉である。

 

氏は大学生時代に結婚して、広島の妻の実家の後を継ぐが多額の借金を抱えて夜逃げをする。

東京までの妻と子供達との逃避行は後年になり同じ道の風景を目にする度に涙が止めどなくあふれてきたと言うことです。

 

東京に出てきてからも苦難は続き五年間で9回の転職を重ねた。

ああ、運命の神様は俺のことを毛嫌いしているんだ。

と、強い挫折感にうちひしがれたという事です。

 

29歳の時に見よう見まねで当時賑わっていた雑貨販売の仕事を始め、公民館や空き地での販売に出かけて居た。

ある日、雨が降っていて本日は休もうと思って居たら、10時頃には晴れたので慌てて現地に着くと、大勢のお客さんがチラシを抱えて待っていた。

 

いつもはお客さんが来る前に品出しや値付けをして居たが、お客さんが箱を開けて、これは幾らとあちこちで聞いてくるので、ええいめんどくさい、ぜんぶ100円でいい、というと飛ぶように売れたという事です。

 

これが100円ダイソウの原点だと言うことです。

 

その後も火事に遭ったり苦難は続いたという事ですが、あるお坊さんの言葉に人生の考え方を知り、人一倍の艱難辛苦は女神に見限られているにではなく、運がいいのかもしれないと思うようになったと言う。

それから少しずついいことが続くようになっていったという。

 

氏は苦難が大きかったので入社式でいずれこの会社はつぶれると言って来たという。

だから危機感が強く常に変化と新製品を出し続けてお客様を飽きさせない。

 

恵まれない幸せ、恵まれる不幸せは、氏の艱難辛苦の中から生まれ来た。

 

現在、女子卓球の世界がこのことばの通りに動いている。

伊藤美誠選手がパリ五輪個人を落ちた。

変わりに女子個人代表は早田選手と平野選手というどちらもリオと東京で補欠になり代表選手の練習相手になり恵まれない時を過ごした。

そして今幸せを手にした。

 

今度は伊藤選手が恵まれない幸せを手にする番である。