終戦後、東京は別だったが地方は皆台所はガスなどなかった。
台所にはへっついやかまどがあって薪を燃やして湯を沸かし、お風呂を沸かし、ご飯を炊いていた。
僕の家は木工所だったから薪はいくつでもあった。
木材を切ったかすが木っ葉と言って薪になった。
お風呂に入るとお袋がぬるくないかい、と薪を燃やして暖かくしてくれた。
僕の家にお手伝いしてくれたSさんという人が薪やさんだった。
家具の配達をしてくれて居た。
自分では薪を運ぶ仕事をしていた。
山奥から薪を運び地方でさばいていた。
今では燃料屋さんになって居てガスはもちろん石油やガソリンを売る大きな会社になった。
そんなある日、新潟から天然ガスを運ぶと言って我が町をパイプを通す工事が始まった。
楽しみにしていたら我が町には提供しないという。
がっかりしていたら、やがてプロパンボンベを持った人が現れて我が家にもガスが提供された。
薪を燃やす事はなくなるのかと思ったら、台所だけで相変わらずお風呂は薪であった。
やがて今のようにボタン一つでお風呂が沸くようになった。
ぬるくなれば追い炊きがある。
とうじを思えばウソのように贅沢である。
そんなガスも今回の熊本地震では大きな被害をもたらした。
人類はいま祖先が考えられない贅沢な生活をして居るのである。
それは危険とも隣り合わせであると言うことを忘れないようにしたいものだ。