僕の現代史(日本、自動車の生産台数が世界一に) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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昭和55年(1980年)

僕は36歳。



この年、12月。

日本がアメリカを抜いて自動車の生産台数

世界一になった。

1000万台突破の堂々たる自動車大国になった。


僕の青春時代から見てきた日本の車は

故障が多く、アメ車があこがれの的であった。

昭和30年代は高速道路も100キロでない車が多かった。


それから20年、いつのまにか燃費が良く、故障もせず

昭和55年、世界一になった。


僕も最初は信じられなかったが、

米国でもどんどん日本車のシェア―が増えていった。


日本人の勤勉は自動車も米国車よりも早く厳しい

排ガス規制をクリアしていった。


日本も安かろ、悪かろの時代があったのである。


だが、品質の良さは中古車にも表れていて、

中古車も人気が高い。


1970年代から自動車の通商摩擦が起こっていて、

1980年の今年、日本が世界一になるとともに

米国のビッグスリーは21パーセントの販売ダウン、

軒並み赤字になっていった。


日本は失業も輸出していると、

アメリカ議会が強硬になり、

本格的に日本に対して圧力がかかってきた。


レーガン大統領が誕生し、政治決着で日本は

自主規制と対米投資を余儀なくされていった。


今では米国で生まれた、レクサスが一時日本に輸入されて

販売されるというアメリカへの貢献ぶりであった。


長いこと輸入で食べてきた日本だったが

貿易摩擦を経過して内需を増やし

GDP の構造改革に成功していく。


やがて、失われた20年がやってくるが

これも世界に類を見ないデフレの経験である。


この経験は世界が今後日本に学ぶべき

ことになる。


今、ヨーロッパ諸国の大手銀行が軒並み

大苦戦に陥っているが、日本の銀行は

経験済みである。


自動車だけでなく、多くの貴重な経験が

日本には山済みである。