僕の現代史(マスキー法が可決) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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昭和45年(1970年)

僕は26歳。


この年。

米国上院にてマスキー法(大気汚染防止法)が可決。


米国も大気汚染が深刻になって、議会は自動車業界の

反対を押し切って可決した。


米国の自動車業界は施行を先延ばしにしてもらうことにした。

そして、自動車代金が高くなることを恐れて

自動車の排ガス規制の研究を怠った。



一方、日本は十分の一という排ガス規制には各社不可能と

思われた。が、ホンダがまずクリア各社も必死になって研究し

日本は75年までに全社クリアした。


その結果、燃費まで良くなるといううれしい副作用があった。


1973年にオイルショックが起こる。


日本の自動車はアメリカで飛ぶように売れていった。


その結果、自動車の街デトロイトが廃墟になるまで

アメリカの自動車業界を追いつめていき、日米の

自動車摩擦は激しくなった。


米国の自動車業界は力があったので

マスキー法を引き延ばしたり廃案に追い込めると

思っていたらしい。


品質も良く、

値段も安く、

燃費もいい。

マスキー法もクリアした。

手が付けられない状態になった。


品質の日本のイメージが世界に広く知れわたるきっかけ

になったのが、マスキー法に対する

日本の姿勢であった。


それは自動車に限らなかった。


花王がメリットを発表。

キャノンが国産初のコピー機を発売。

タイガーが電気ジャー「炊き立て」を発売。

今日の中国の爆買いにつながる発表が続く。




日本のあらゆる先端技術が世界に飛び出していく年であった。