吉田松陰の願い、その2 | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

ブログの説明を入力します。

吉田松陰の死後、松陰の教え子達は京都で

何かと騒ぎをおこす。


蛤御門の変で長州の侍たちは負けて

朝敵になり第一次長州征討が行われる。


だが征討軍と長州の戦争になる前に、

長州の保守派が家老3人の首を差し出し

ひとまず、幕府軍の勝利という形になる。


一時は逃げていた松陰の教え子たちは

やがて高杉新作を中心にいわゆるクーデターを起こし

藩の実権を握る。


やがて第二次長州征討軍が全国の各藩に命令されるが

幕末の各藩の財政は困窮の極みであった。

もはや、今までのお米を中心とした税制の在り方は

通用しない世になっており、各藩は商人たちに莫大な借金を

抱えており、ニッチもサッチも行かない状態であった。


しぶしぶながら、参戦するに際し、そろえた武具は

戦国時代のものであり、鉄砲は火縄銃であった。


一方、長州は下級侍を中心とし、農民も参戦した

革命軍であった。

イギリスから帰った伊藤博文達を中心に服装も

身軽なものに整え、秘密の薩長同盟により、

新式のミニエ銃を装備していた。

これは坂本竜馬の画策であった。


軍隊の数は圧倒的に幕府軍の数が多かった。


海軍も幕府は圧倒的に強い戦艦を用意していたが、

高杉新作は夜襲攻撃で勝利を勝ち取った。


一方陸軍は大村益次郎という天才軍略家がいた。

戦争を数字で計算するという人物である。

勿論ミニエ銃の威力が功を奏し、寄せ集めで

古い武器に古い武具の装備の幕府軍は壊滅的な負け方であった。


長州軍は5倍10倍の幕府軍を山陰道、山陽道から

破竹の勢いで進撃して追い詰めていった。


この戦略は後の日本の大戦に採用され、

真珠湾の奇襲を実行。

陸軍は常に5倍10倍の敵と戦わされた。


確かに日本軍は世界一強かったが、5倍十倍では

続かない。


朝廷においても画策が行われて

幕府は朝敵にされてしまう。


後はご存じの通り明治維新へと向かう。


日本国が統一されて、松陰の持ったロシアの危機

世界列強の危機に立ち向かうこととなる。



もうすでに中国は清朝が末期的症状でアヘン戦争で

イギリスに負け、アロー戦争でも負けていた。

列強が入り込んでいた。


ロシアも満州から朝鮮を狙って

すでに満州の一部を獲得していた。


松陰の持った危機は迫っていた。


教え子たちに託された大和魂は生き続けることが出来るのか。