病院へ運ばれたおやじを車いすに
乗せて待っていたら、診察前に警察官が二人やってきた。
事故だというので、調書をいただきたい。
検査の結果、てっきり入院かとおもったら、
お帰りくださいとなった。
多発性脳こうそくであります。
風邪のため運転がちょっと狂いましたね。
89歳なのでもう運転はおやめください。
警察官の前で約束させられた。
そのあいだ、おふくろは持っていた財布の入った
カバンを行くところで次々忘れた。
この二人の面倒を見ながら、
会社再建の道を歩かねばならない私は完全にブルーの
スイッチがオンになり、ここから永いブルー生活が始まった。
病院では看護士が車いすから手伝って私の車に乗せてくれたが、
おやじの自宅では長男を呼んで二人で運んだ。
今の時代は、めったなことでは入院できないと悟った。
それからおやじは膝の水を抜いたら多少動けるようになったが、
時々、動けなくなっては大騒ぎしていく生活になった。
おふくろは、それから一年半、Bウエーブオープンまで
認知症が進んでいき、ご近所、警察、民生委員、役場
ケアマネージャー、その他いろいろな人を騒がせていった。
思えば、そのまた一年くらい前、みのもんたが
テレビの中から私の食事を覗いて
げらげら笑うんだよ、と言ったときに私もぎょっとなったものだ。
いろんな医者に相談したがどうにもならないと言われた。
この、両親二人こそ人生最大の師であり、恩人であります。
私は中村天風先生の本を毎日読みながら、自分を励ましたが
業績が坂道を転げ落ちるようで、ブルーのスイッチが解除できなかった。
それは山本先生という救世主がわが社に来店する日まで続いた。