人生の師 その15(さまよう家具屋) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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平成131月、大井町きゅりあんにて山本先生による

ABF勉強会は開催されるようになった。

夜はワタミでビールを飲みながら食事をして帰るのが

慣例になった。


同じく関西においてもABF勉強会は開催されて
株を上場したい人、と言ったら一人手を挙げたということを聞いて
関東のわれわれはびっくりしたものだ。
もちろん関東ではだれも手を挙げなかった。
その後、手を挙げたT社長の会社は破竹の勢いで進んでいったが
その後山本先生と別れることとなったことを聞いた。



5月にはアメリカセミナー、長男丈久が妻にうらやましがられながら

出かけて行った。

妻は子育て中で出かけるわけにいかない。

恐妻家の彼は恐縮しながら出かけるのであった。




さらに秋には渋川のSさんがアメリカへ行って一時私が勉強家で
有名?であったものが株を奪われるくらい勉強していた。



その年、関東ビッグ例会取りやめ、各種東洋広告社、船井など

勉強会がなくなっていった。


12月には長く続いた澤田先生による関東ニューウエーブが
閉会することとなった。
交通事故などが原因で余病を併発してなかなか思うように
例会が開けなくなっていた澤田先生最後の講義は鬼気迫る
ものがあった。



平成14年から15年にかけて山本先生後継者育成セミナーの合間に年に何回かABF展で山本先生のセミナーを聞いていた。

その間に着々と先生がB家具アウトレットのノウハウを積んでいたとは気がつかない私であった。




私は商工会の副会長やら法人会の副会長などしていて
いつ会長職が回ってくるか、どのように回避すべきか

考えていた。

会長職をしてつぶれた商店を数多く見てきた私であるから何としても、避けねばならなかった。