人生の師 その14 (さまよう家具屋) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

ブログの説明を入力します。

平成113月長男の結婚式を無事終えたわけだが、

長男は最初にアパートに入るのに家具屋なのに婚礼セットを購入しなかった。

山本先生の脱婚礼家具は確実に進行していた。

でも当時当店には最高で798000円の婚礼セットがあり

たまには売れていたので、まだ家具屋さんによっては力を入れていた。

それも時間の問題であった。



家具屋は二トリの出店が加速しつつあったが、なぜか皆がんばっていて関東ビッグの例会が五反田のポポロで開催されると15名くらい

は参加していた。

でもニトリの影響はジリジリ進行していて、地域一番店が次々ニトリにつぶされていった。

関東ビッグは2番店、3番店が多かったのでもろにはつぶされなかったが、毎年1店ずつ位減っていった



勉強会は関東ビッグ、船井、ABF勉強会、関東ニューウエーブ、ABF展示会などみんなよく参加していた。

いよいよ、方向を定めて邁進せねばならぬ段階に来ていたが、

各社決めていた店はなくて、前沢さんのみひたすら新業態開発に熱心であり、いろいろな所に出没して感心して見ていた。



当時、当店では改装のため8月に閉店セール、9月改装そしてオープンの特別招待会で売り上げを稼ぐというパターンが定着していた。船井のグループはみな同じことをしていたが、次第に宣伝費が

売り上げにペイしなくなっていった。



平成121月、初孫に恵まれ、長男も店に入り私はゴルフに

庭いじりに多少余裕を見せていたが、このままではいけないという思いは常に持っていた。

そんな意味で平成13年の山本先生によるABFアメリカセミナーは

長男が参加したが、未来を見据える大事なセミサーであった。