人生の師 その9 | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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再び家具屋のおやじになった。

当時はまだ問屋さんが主流であったが、

吉田をやめた藤沢さんがやってきてABFを作るという。


それは、問屋仕入れからメーカー直仕入れへの

流通革命ともいえるものであった。


それを支援するため、関東ビッググループが結成された。

会長におされて就任したあとで、グループで九州へ仕入れにみんなで

出かけた。


行ってみて、まだ問屋の勢いが強く、各メーカーで

けんもホロロの応対をされた。売らんとよ、など。

注文しても来なかったこともあった。


でも協力的なメーカーもあり、加入店も増えて

60社になったとき、第一回のABF展が九州で開催

盛大に挙行されて、その晩、藤沢さんは人生最大の喜びであると

涙を流さんばかりの感動の革命劇の主役であった。


関東ビッグでも各地のグループと勉強会を開き

東北ビッグ、Fペック、などと出かけて行って温泉に一泊

勉強に宴会に良き時代であった。


そんな中でも、ニトリの出店が関東でも始まり

売り上げが減る家具店が続出、でもABFのおかげで

メーカー直なので粗利がアップしてなんとかしのいでいった

時代であった。


関東ビッグだけでも大変なのに、関東ニュウウエーブという勉強会が

始まり、またまた会長にされてしまった。

その勉強会の講師は澤田先生といって

松下電工の事業部長時代、松下幸之助にも薫陶を

受けた人物であった


関東ニューウエーブでは、新しい業態の開発を 

模索する経営者がいた。

それが前沢さんであった。

前沢さんには副会長をしていただいた。

そして、早川さんとも仲良くしていただいて、

今日、二人とも切って切れない縁がスタートしていたとは

当時気がつかないことであった。


関東ニューウエーブではライフステージについて

勉強して、みんなで自由が丘などに勉強に行った。

須藤さんも娘さんを連れてきて熱心に勉強されていた。


やがて、澤田先生が病に倒れて、関東ニューウエーブは解散

関東ビッグも結成から5年から7年で12社が6社になるという

冬の時代になった。