人生の師 その8(ホームセンター閉店) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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まず、カインズホーム吉井店が1500坪くらいで着工が決まった。

当店は200坪、船井のコンサルタントに相談してやめることになった。

なかなか自分一人ではやめられないものである。


かんら信金の支店長に相談すると、前向きな撤退であるので

賛成してくれた。


3割引きから始めて、だんだんセールで、7割引きの時爆発的に

お客さんが来た。

家族で、手当たりしだい買って30万円がレジで9万円になる。


中毒になったお客さんは毎日やってきて、もらってもいらないような

物まで買い漁り、一体何に使うのですかと尋ねたら、

とりあえず、倉庫に入れておくんだ。といった。


9割引きのときにはひとりのお客さんのレジに30分かかるほどであった。

結局、きれいに売り切って、決算したら4500万円の赤字。

資本金の積み立てがあったので取り崩した。


ホームセンターはインテリア館としてカーテンとジュータンの専門店としてスタートした。

エクステリアセンターは残って頑張っていたが、これがまた粗利は少なく

含み損を抱える部門であった。


詳しい説明は省くが、多くの家具店がバブル時代住宅産業に参入し、

倒産まで行った経過があるが、エクステリアも似たような危ない

産業なのである。

大手ホームセンターが在庫や展示見本を問屋やメーカーに持たせて

片手間にやるのが正解である。


当店がこのエクステリアからも解放されるには

やがてやってくる外科医、山本武男先生の登場まで待たねばならない。

それはまだまだ先のことであった。


平成6年8月、ホームセンターは閉店した。

その年の3月には片腕の家具館の部長が退職して、家具もホームセンターも

すべてを見ることとなり、

初めて大川市に仕入れに行ったり

ホームセンター閉店の決定などで過労と心労が重なり、

倒れてしまった。


5月から6月7月とふらふらしていたが、なんとか8月の閉店、

9月には家具館、インテリア館としてオープンするまで

頑張ることができた。


それというのも長男(現部長)が大学を卒業してアイワールドに

入社していた。

やがて当店へ入社して会社を継いでくれる予定であった。


私が修行に出ていた時、私のおやじが張り切って

近所の土地を買いまくり、今日の土台を築いてくれた気持ちが

よくわかるのである。


私の場合は、どうにも手に負えない負の遺産だけは

なんとかしなければならないと思っていた。


それにしても、当時のアイワールドは全盛期で、初売りで

開店待ちのお客さんの行列が建物の周りを2周半囲んだとか

話題いっぱいであった。


そんな店づくりをしてくれるような気がして

おやじは張り切るのである。

でも息子に能力がなければ仕方がないことであるが、

世の中、外れた息子を持った人も近所に事例がたくさんあって

いろいろである。