あたらしい道の一日研修を受けたのは昭和60年8月
日航機が御巣鷹山に落ちた月であった。
私が道につながったのは11月であった。
3日研修と言って、3泊4日であった。
総勢13名研修を受けた。
確か6時起床、12時ごろまで研修とお行で
床に就くのは1時過ぎ、眠くて眠くてたまらない。
今考えるとこれは素晴らしい効果があって、
もし不眠症の人がいればすぐ直る。
そして頭がボーとしているので余分なことを考えない。
心配事、困りごと、苦しみの絶頂の人、
皆、排除してくれるという効果があった。
私もホームセンターをオープンして3年いまだ潜水艦浮上せず
の状態で、3年間も苦しんでいると笑顔などなくなっていて、
最近、笑った記憶がない。
道の人に、あなた日本中の苦を背負ってどこへ行くの。
とまで言われる始末。
そんな中、三泊した朝。
ブザーが鳴って起床となったとき、私は本来の積極性が出た。
おはようございます。
と、大きな声で第一声を私が発声したのだ、
続いて川上さん。
おはようございます。
そして、
13名全員、
おはようございます。
そして期せずして全員がアハハハハハ。
ドッと笑ったのである。
これこそ人間本来のみたまそのものであり
新しい道の何かに触れた瞬間であった。
高篠さんは喜んで喜んで大阪駅で
ごちそうしてくれた。
だが、何しろ、天敵、私のおふくろが大反対であった。
何しろ、また高篠に騙されている。と言ってきかない。
私は置き手紙を書いて大阪に来ていた。
帰ってから、笑いながら、家内に道の話をすると
家内が一言、結婚15年、私は初めてあなたの
そういう笑い方を見ました。
というのであった。
いかに、私が独りよがりな悩み方をしていたか、
反省しきりである。
それからは船井で勉強するという名目で
大阪へ通った。
そして、私はズボラな人間になりますということを宣言する。
あまりに、カチンカチンなかたい人間であった。
丸く丸くならねばならない。
性格を変えるという目標で仕事に人生に向かうこととなった。