人生の師 その2 | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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昭和57年9月、ホームセンター館はオープンした。

だが人材不足でめちゃくちゃなオープンであった。


初年度、在庫が下台で1億円に対して売り上げが1億円で

売価で1回転しないという、とんでもない成績であった。


勿論、赤字であるが、家具館のおかげで黒字は

計上した。

そこで、五味先生の指導で私はホームセンター(HC)を

黒字にするべく、月給ゼロにして3年間がんばることとなった。


ある日、駐車場を掃除していると小学生が通る。

言っていることは

この店はもうすぐつぶれるんだって

きのう、お父さんとお母さんが話していたよ。


ぐさっと私の胸に刺さる言葉であった。

でも、小学生たちには何の罪もない。

世相を正直に言ってくれたのであり感謝するべきであった。


それから、3年間、船井の家具ホームセンター研究会が

大阪であり、私は毎月一泊で出かけた。売り上げはHCで

上がり始めて3.5億円までいった。


でも船井は売り上げを上げる手段は提供するが

利益の追求はしないという会社であったと今になって思う。


何しろ、決算書など見たがらないのである。

相変わらず決算内容は悪く、もんもんとする毎日であった。

ホームセンターをやめたのは開店してから12年後であった。


通常、ホームセンターを開いた家具店はやめる場合は

全部つぶれた。

つぶれずにやめることはできないという恐ろしい

業態であった。

当店はその奇跡の生還を果たすのである。


だが12年間、ファミコンや家電を追いかけて

売り上げを作ったが、中身がないのは相変わらずであり

苦しみぬいた12年間であった。


12年間も苦しむと通常は病気になる。

でも切り抜けてこられたのも数々の師がいたからである。