30代後半、私はホームセンターやレンタルに挑戦した。
船井総研の指導を受けつつであった。
船井幸夫の話も何度も聞いた。
私にフィーリングが合っていると思った。
しかし、レンタルを開いて3年目に、レンタルは構造不況業種
になりましたと言われた時にはがっかりした。
船井のすすめでやったのである。
でも船井にはプラス発想という考えがあって
何事もプラスなのである。
これもよいことであるとプラスに考えて赤字で閉店した。
私がホームセンターで苦しんでいる時、
田辺経営の言葉に
苦しみに耐え抜かねば一流になれぬ。
という言葉が私の机の横の壁にはってあった。
毎日が苦しみであった。
堪えていたが
心臓は踊るし、胃は痛いし、
救われたいと思った。
ある日、高篠先生再び登場。
田辺の言葉を見て即座に
白井さんこれは違いますよ。
こんな言葉を守っていたら病気で死んじゃいますよ。
苦しみを喜ばねば一流になれぬ。
と書き換えてください。
高篠先生はその後の事業で成功して埼玉県の
長者番付の3番にランクされるほどになっていたが、
今までということが違ってきた。
私の貸してあったお金は返してくれたり、
言うことが、
人間は地味がよい、目立たぬがよい。
拡大よりも縮小。
などと今までの彼の人生からは考えられない言葉を発するようになっていた。
倒産から5年、何があったのか。