アメリカ館オープンから5年間は勉強に次ぐ勉強であった。
何しろ売り上げは横ばいであった。
10年間売り上げが横ばいの経営者はやめろと商業界セミナー
で言われていた。
もう5年たっていた。
ちょうど川越に清水屋家具プラザが家具からホームセンターに
業態転換して繁盛していたので見学に行った
社長によると、ナフコの社長から教わったとのこと。
いま、ニトリに次ぐ売り上げのあの ナフコであった。
ナフコの言うとうりの店づくりができれば
大変なものである。
ちょうど僕が行くと船井総研からコンサルタントが来ていた。
結局、船井の東京支店の指導を受けることとなった。
僕もまだ30代であった、借金ももう少しで完済するところに来ていたが
やる気満々であったので、
また借金まみれの苦しみの連続の失われた十数年間へと
突入していくことになる。
結局、ホームセンターと家具の店で8.5億円まで行ったが、
レンタルビデオやCDレンタルで四千万、ホームセンターで
同じく四千万くらいの赤字を12年間で作って苦しみの連続の
人生で僕はもう一生浮かぶことはないのではないかという
スパイラルに入って行った。
人間、落ち込むと自殺する人と、さらに一歩上に行って
特別な人生観をもって、悠々と人生を歩む人に
別れると言う。
そこから、いよいよ青春時代にお別れで
これを持って、青春時代とわが師は終了です。
人間が大きくなれるか、修行の時代へと入る。
次回からは人生の師という題名で僕から私になります。