青春時代とわが師 17(アメリカ館) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

ブログの説明を入力します。

昭和50年3月にたかしのさんが倒産。

当社のアメリカ館は工事に入っていた。

したがって何の設計管理も受けられない状態であった。


倒産して一週間くらいして、高篠さんから電話、

お見舞いに来てくれという、相変わらず厚かましい。

しかもできたら金欠病なので、お見舞い金も頼む。


でも僕は夜出かけた。

まず自宅、奥さんがこわごわ出てきた。

どうやらやくざの取り立てが厳しいらしい。


お店に行くと何人かの社員と高篠さんがいた。以外に元気である。

心臓に毛の生えている人なのであった。


その後ひそかにやってきては、チラシづくりの仕事を

してもらった。一泊磯部温泉とか、前橋のマーキュリーホテル

に泊って仕事をした。

一回五万円であった。

世に隠れるように行動していた。


9月、アメリカ館が完成してオープン。

巨大設備の割にその年の売り上げは10パーセント増えただけであった。

翌年にはもとの売り上げに戻ってしまった。


その後、箱根のセミナー、田辺のセミナーなど勉強する僕も

30代半ばとなり、懲りずに次の一手を探す日々であった。


五億の売り上げを十億にすることを計画したいと思っていた。

箱根では渥美俊一先生の講義も受けた。

夜、個室に相談に行った人によると、そんな商売やめてしまえ、

などと言われた人もいて怖かった。

 


ダイエーの中内社長のなまの声で講義を受けたり成功者が

続々講演してくれた。

中内社長も相当苦労してきたらしいが、

なぜか感動しない話し方であった。

意味不明のことを言って中身が伝わらなかった。



それがその後のダイエーのゆく末を暗示する

ものであった。

安売り哲学だけでは続かないものであった。