修行の旅から帰った僕は親父に店のことは任せてもらい
張り切って、週売繁盛の道を歩いていた。
当時、僕は口を開けば商売繁盛と言っていたらしい。
ある日、商工会青年部の先輩に言われた。
おまえは商売繁盛を言いすぎだ。
もっと青春を楽しめ。
僕は聞く耳を持たなかった。
生まれて初めての商売のゼミナールに申し込んだ。
軽井沢にて、家具店必勝法だったかな。
そこで、50名以上の全国の家具店が集まり、
売上を飛躍的に伸ばそうという企画であった。
何もわからぬ若造が、全国の有名な家具店の
仲間入りせんと勇躍として出かけたのであった。
中には、今でも有名な宇部の太陽家具の会長も
来ていて食事の時同席させてもらい
ドキドキしながら話をさせてもらった。
どちらから来ましたか、
いやー、まだ名もない小さな吹けば飛ぶよな
家具屋です。
僕は冷や汗をかきながら
今に見ておれと心に誓うのであった。
軽井沢の万平ホテルと言って今でも格式の高い
本格的洋式ホテルであった。
夕食の時など、洋食に未経験であった僕は
スプーンの使い方などわからず、隣近所の人を
見ながら、ご飯をスプーンの裏側に乗せて食べたりして汗だくであった。
朝食などご飯に牛乳をかけて食べろと言われて
目を白黒しながら、まずくいただいたものだ。
ああ、みそ汁と納豆がくいてえと思った。
主催者でメイン講師の人が高篠薫一郎と言って
僕の若い時の師となる人であった。
その時は、まだ分からず、すごい人がいるもんだと思っていた。
高篠氏のコンサルタントを受けて飛躍的に大きくなった
全国の成功家具店の皆さまが壇上で経験談を
発表するのであった。
だが、今はそれらの家具店も皆つぶれてしまい
なぜか当社はしぶとく残っているのである。
でも当時は、高篠氏のコンサルを受ければ
あっという間にきらびやかな美しい家具店に変身して
売上も飛躍的に伸びるというまさに良き時代の
到来で会った。
今の中国と同じで池田内閣の所得倍増論から始まって
積極策をとればみな伸びる時代へと突入していった。
モータりーゼーションの到来で八王子には
インターそばに村内がでかい家具店を開いた。
東京では東京家具センターとハヤミズカグセンターが
テレビで宣伝する時代となった。
ゼミで頭の中をパンパンにして帰った僕は
その晩、興奮して眠れなかった。
寝ながら、やるぞ、やるぞと明け方まで
心の中で叫びつづけていた。