三日遅れの7月のカレンダー | モグ爺こと、くどうあんのなぁ~んてね?!  ぶろぐ(*^_^*)

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長年ソウルナビゲーションと鑑定をさせて頂いております、くどうあんの
自分勝手なぶろぐです。 ツイ忘れてしまっていた気付きと、ホッとできる
話題。 そして、超~頑ななモグ爺の私思の一考を、あくまで自己満足の為に書かせて頂きます。  なぁ~んてね!?

2024年 7月のカレンダー

 

 ひとつひとつ、

自分で手に入れる愉しさや慶びを知ることは、

人生を愉しめるヒントに成る。

 他人に与えられたものでは、

その重みや価値は計れないからなのかも…!?

 

 なぁ~んてね 叫び

そんな風に考えるもぐ爺です。

 

 余談ですが、ここで久し振りにもぐ爺が考える愉しさと楽しさの違いについて書かせて頂きます。

 

 あくまで、無学なもぐ爺の自己判断であり、勝手な決め付けであり、自分だけの感覚かも知れませんので、学問的に正しいのかどうかについては定かではありません。

 

 もし、もぐ爺の思い込みに誤りがあった際はご容赦ください。

 

 もぐ爺が考える愉しさの先にあるものとは、愉快な歓びであり、得られる満足感には得も言われぬ充実感や達成感が味わえるものだと考えて居ります。

 

 言い換えれば、そのアイテムや結果を手に入れることが出来たとすれば、ハッピーになれるものや結果だと考えて居ります。

 

 楽しいとは、あくまで一時的に楽をする為に得るものや結果であり、その時点で人生を楽しむ為に必要なアイテムや結果等々だと考えて居ります。

 

 言い換えれば、手にいれることが出来れば、ラッキーだと思えるものや結果だと考えて居ります。 簡単に申し上げれば、愉快と快楽の違いだと考えてます。

 

 仕合わせ(ハッピー)と幸せ(ラッキー)等の違いについても…、思いや想い等々についても…、同様に勝手に考えているもぐ爺です。

 

 喜びと慶びについても、同様に勝手に区別して使用させて頂いておりますことを、今一度ご理解いただければ幸いに存じます。

 

 さて、今月のカレンダーの言葉ですが、

 ひとつひとつ、

自分で手に入れる愉しさや慶びを知ることは、

人生を愉しめるヒントに成る。

 他人に与えられたものでは、

その重みや価値は計れないからなのかも…!?

 

 例えば、誰かにプレゼントされたものの真価は、プレゼントをした方にしか解からない場合があります。 逆にプレゼントを受け取った側も、その真が計れない場合もあります。

 

 どんなに高価なプレゼントでも、どんなに安価なプレゼントでも、その価値は計り知れない重さがあります。 どんな思いや想いを手にしたいが為に努力したのか…!? そこには、どんな期待や思惑があってプレゼントをしたのか…!? 

 

 あるいは、プレゼントをしなければならない環境下に置かれた為に、仕方なくプレゼントせざるを得なかったのか…!? その全てはご当人同士にしか判りません。 

 

 そんな中で、自身がどうしても手に入れたいものをプレゼントされた方は、その全てを受け入れてしまうのかも知れませんが、そのプレゼントが自分にとってラッキーなのか、ハッピーなのかを冷静に図る術を持たなければ、何もかも曖昧な侭その先にある何かを感じ取ることは出来なくなってしまうのかも知れません。

 

 偶然手に入れたラッキーやハッピーを曖昧な侭にしておくことは、可能な限り避けなければならないのでは無いかともぐ爺は考えて居ります。 

 

 努力の末に手に入れた結果が、ラッキーなのか、ハッピーだったのか、ラッキーはラッキー、ハッピーはハッピーと常に冷静に受け止めることが自分を護る術だと考えて居ります。 

 

 その区別を明確に出来なければ…、明確にしておかなければ…、自分の歩むべき道に迷ってしまうのではないかと、もぐ爺は経験から学びました。

 

 意に反したプレゼントを頂いた方は、何もかもが無になる可能性さえ秘めています。

 

 誰かに強請るのではなく、自分で手に入れる歓びをご存じない方は、何もかも他力本願で楽を求められます。

 

 自分で手に入れる歓びをご存じない方の決まり台詞は、「こんなの欲しくなかった! あっちの方が良かった!」 じゃぁ、他人様に求めずに自分で手に入れれば良いのでは…!? と、もぐ爺は思ってしまいます。 

 

 どんなに小さなハッピーでも、自分が手に入れたいものは、自分で手に入れた方がその真価が明確になるのかも知れません。

 

 欲しかったものを偶然プレゼントされた方と、意味の解らないプレゼントを受け取った方と、その受け止め方は人それぞれなのかも知れませんが、プレゼントをされた方の思いや想いにも様々な思惑や期待が込められている場合もありますので、一概にその全てを判断することは困難なのかも知れません。

 

 欲しかったものやチャンスを自分で手に入れられた方と、欲しかったものやチャンスを自分では手に入れられなかった方とは、大きな差が生まれてしまうのかも知れません。 

 

 欲しかったものが物なのか…、思いや想いなのか…、チャンスや満足感なのか…、或いは達成感なのか…、それとも将来の不安を解消する為の証なのか…!?

 

 それも人それぞれに異なって当然なのかも知れません。 しかし、求めるものが違えば求める結果も違ってきます。

 

 テレビで言うように、みんなや普通の方々が誰しも真に喜べる流行の品など本当にあるのでしょうか!? 

 

 人それぞれが望む物や結果、チャンスや達成感、或いは思いや想いを手にする事のみが喜びであり、幸いだと感じるみんなや普通の方々に、真の慶びはあるのでしょうか!?

 

 手に入れた時に、真に仕合せ(ハッピー)だと胸を張れるのでしょうか!? そこには、手に入れられた時の満足感や達成感はあるのでしょうか!? 手に入れられた充実感や感激、そして心躍る瞬間があるのでしょうか!?

 

 自分の人生、行き先も決めず、唯単に楽をして生きようとする方々は、他人様からのプレゼントに一喜一憂されるのかも知れませんが、そこに隠されているご自身が求めている真に気付いて頂きたいと願うもぐ爺です。 

 

 手にしたプレゼントが、どんなに高価であったとしても…、例え安価であったとしても…、例えラッキーを得る為のものやチャンスであったとしても…、例えハッピーになれるものやチャンスであったとしても…、その想いや思いには心から感謝すべきなのかも知れません。 

 

 最近もぐ爺が案じるのは、人の思いや想いの重さや篤さを全て金額で推し量る風潮です。 頂いたプレゼントを手にした瞬間、「これ幾らしたの!?」と尋ねたり、「これ、幾らしたんだから…!」などと誇張したりすることに、違和感と言うより嫌悪感を抱くもぐ爺です。

 

 相手の思いや想いは、金額では決して表せない重さがあることにお気づきでは無いのでしょうか!? 誠に残念な風潮です。

 

 自分の求めるチャンスや物は…、思いや想いは…、ラッキーやハッピーは…、自分自身で手に入れる努力を惜しんではいけないのかも知れません。 

 

 自分が満足できる人生を送る為には、何もかも自分の手で一つひとつ手に入れる努力を惜しんではいけないのかも知れません。 

 

 その喜びや慶びを自分で手に入れることこそ、真の仕合せ(ハッピー)であると、もぐ爺思っております。 

 

 力本願で手に入れたチャンスや物は、思いや想いの真価は…、他人には決して計れません。

 

 自分が真に求める幸せ(ラッキー)や仕合せ(ハッピー)も、他人には決して計れませんし、理解することも困難なのかも知れません。 

 

 そこに隠された、卑怯な思惑や期待にも気付けない危険もありますので、誰かに与えられたチャンスではなく、自ら手に入れられるチャンスを見極められる冷静さが必要なのかも知れません。

 

 なぁ~んて、今月も非常に生意気なことを取り留めも無く長々書き込ませて頂きましたが、あくまで老い耄れの戯言ですので、ご気分を害された方々には改めてお詫び申し上げます。 相済みません。 

 

 では、また来月お会いしましょう。 来月には、もう少し真面な内容を書き込めるよう努力いたします。 

 

 今月に入ってから、各地で大雨の被害が出ているようですので、皆様方も心身無事を最優先に対処くださいますよう祈念いたしております。