善悪のことばを集めてきました
暴力は暴力自体が悪でもあり、善なのでもない。
それは暴力を規定する見地によって善にもなり、悪にもなるのである。
三島由紀夫 昭和年代の作家
恒常不変の善と悪、そんなものは存在しない!
フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者・古典文献学者
人類共通の目標はいまだない。
ならば、わが兄弟よ、「人類」そのものがまだ成り立っていないのではないか?
フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者・古典文献学者
子孫繁栄、種を絶やさないことか人類の共通の目標ではないのかな
民族は、どの民族でも、善と悪について、独自のことばを語っている。
隣の民族にはそれが理解できない。
フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者・古典文献学者
自らを正しいとする者は是非を明らかにできない。
老子 紀元前の中国の思想家。
是非:http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/125035/m0u/
正しい:http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/136765/m0u/正しい/
正しいとうことがどういうことなのか私にはまだよくわかりません
素直な心で見るということがきわめて大事だ。
そうすれば、事をやっていいか悪いかの判断というものは、
おのずとついてくる。
松下幸之助 日本の実業家。
判断を考えすぎると快・不快の感覚から遠ざかり、思考になってしまう。自己欺瞞に陥る。
見たいと思う世界の変化に
あなた自身がなりなさい。
マハトマ・ガンジー インドの指導者
未だ曾て邪は正に勝たず。
菅原道真 平安時代の政治家・学者
善はつねに悪が混じっている。
極端な善は悪となる。
極端な悪は何らの善にもならない。
井原西鶴 江戸時代の作家
悪は河における岸のごときものである。岸は流れを堰くが、、それは流れを推し進めるよすがとなる。
この世の悪は、人間が水の流れるごく善にむかわしめるために存在する。
ラビンドラナート・タゴール インドの詩人
パンを得んがために純粋無垢を失うよりも、
餓死に甘んじるほうが人間にとってましである。
ヘンリー・ソロー アメリカの作家・思想家・詩人
そうは思いません
善とは何か-人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
悪とは何か-弱さから生ずるすべてのものである。
フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者・古典文献学者
高邁な視点での、一歩進んだ善悪の定義
善も強ければ、悪にも強いというのが、いちばん強力な性格である
フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者・古典文献学者
これだけではよくわからないですね
善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。
そして、一切の価値を粉砕せねばならない。
フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者・古典文献学者
善悪の価値を創造するには、ということでしょうか?
善をなすには努力が必要である。しかし、悪を抑制するには、
さらにいっそうの努力が必要である。
トルストイ ロシアの作家
悪は甘美です
善悪の観念という悪魔を知るために、そんなに犠牲を払わねばならないのなら、
なんだって、これを知る必要はあろうか?
ドストエフスキー ロシアの作家
なぜ善悪の観念は悪魔なのでしょう、どうしてそのように考えたのでしょう
悪は病のように気づかれぬうちにやってくる。善は医者のように急いでやって来る。
チェスタートン イギリスの詩人・作家
ひとつのものが同時に善であったり、悪であったり、そのいずれかでもなかったりすることがある。
たとえば、音楽は憂うつな人には善であるが、喪に服している人には悪であり。
耳の聞こえない人にとっては、善でもなく悪でもないものである。
「エチカ」より
スピノザ オランダの哲学者・神学者
善と悪との闘争は絶えず至る所に支配している。
善悪の彼岸は存在せず、ただ多いか少ないかである。
カール・ヒルティ スイスの法学者・哲学者
正しき人は最も平静なる心境にあるも、不正なる人は極度の混乱に満ち溢れる。
エピクロス ギリシアの哲学者
そうでしょうか。でも当然のような気もする。
世の中に絶対的の悪というものはない。悪はいつも抽象的に物の一面を見て全貌を知らず、
一方に偏して全体の統一に反する所に現れるのである。
悪がなければ善もない。悪は実在の成立に必要なる要素である。
ウィリアム・ハズリット イギリスの評論家
悪と善はどちらかが欠けたら、もう一方も存在できなくなる
異教徒の徳は輝かしい罪悪なり。
アウグスティヌス キリスト教初代教父

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暴力は暴力自体が悪でもあり、善なのでもない。
それは暴力を規定する見地によって善にもなり、悪にもなるのである。
三島由紀夫 昭和年代の作家
恒常不変の善と悪、そんなものは存在しない!
フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者・古典文献学者
人類共通の目標はいまだない。
ならば、わが兄弟よ、「人類」そのものがまだ成り立っていないのではないか?
フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者・古典文献学者
子孫繁栄、種を絶やさないことか人類の共通の目標ではないのかな
民族は、どの民族でも、善と悪について、独自のことばを語っている。
隣の民族にはそれが理解できない。
フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者・古典文献学者
自らを正しいとする者は是非を明らかにできない。
老子 紀元前の中国の思想家。
是非:http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/125035/m0u/
正しい:http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/136765/m0u/正しい/
正しいとうことがどういうことなのか私にはまだよくわかりません
素直な心で見るということがきわめて大事だ。
そうすれば、事をやっていいか悪いかの判断というものは、
おのずとついてくる。
松下幸之助 日本の実業家。
判断を考えすぎると快・不快の感覚から遠ざかり、思考になってしまう。自己欺瞞に陥る。
見たいと思う世界の変化に
あなた自身がなりなさい。
マハトマ・ガンジー インドの指導者
未だ曾て邪は正に勝たず。
菅原道真 平安時代の政治家・学者
善はつねに悪が混じっている。
極端な善は悪となる。
極端な悪は何らの善にもならない。
井原西鶴 江戸時代の作家
悪は河における岸のごときものである。岸は流れを堰くが、、それは流れを推し進めるよすがとなる。
この世の悪は、人間が水の流れるごく善にむかわしめるために存在する。
ラビンドラナート・タゴール インドの詩人
パンを得んがために純粋無垢を失うよりも、
餓死に甘んじるほうが人間にとってましである。
ヘンリー・ソロー アメリカの作家・思想家・詩人
そうは思いません
善とは何か-人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
悪とは何か-弱さから生ずるすべてのものである。
フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者・古典文献学者
高邁な視点での、一歩進んだ善悪の定義
善も強ければ、悪にも強いというのが、いちばん強力な性格である
フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者・古典文献学者
これだけではよくわからないですね
善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。
そして、一切の価値を粉砕せねばならない。
フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者・古典文献学者
善悪の価値を創造するには、ということでしょうか?
善をなすには努力が必要である。しかし、悪を抑制するには、
さらにいっそうの努力が必要である。
トルストイ ロシアの作家
悪は甘美です
善悪の観念という悪魔を知るために、そんなに犠牲を払わねばならないのなら、
なんだって、これを知る必要はあろうか?
ドストエフスキー ロシアの作家
なぜ善悪の観念は悪魔なのでしょう、どうしてそのように考えたのでしょう
悪は病のように気づかれぬうちにやってくる。善は医者のように急いでやって来る。
チェスタートン イギリスの詩人・作家
ひとつのものが同時に善であったり、悪であったり、そのいずれかでもなかったりすることがある。
たとえば、音楽は憂うつな人には善であるが、喪に服している人には悪であり。
耳の聞こえない人にとっては、善でもなく悪でもないものである。
「エチカ」より
スピノザ オランダの哲学者・神学者
善と悪との闘争は絶えず至る所に支配している。
善悪の彼岸は存在せず、ただ多いか少ないかである。
カール・ヒルティ スイスの法学者・哲学者
正しき人は最も平静なる心境にあるも、不正なる人は極度の混乱に満ち溢れる。
エピクロス ギリシアの哲学者
そうでしょうか。でも当然のような気もする。
世の中に絶対的の悪というものはない。悪はいつも抽象的に物の一面を見て全貌を知らず、
一方に偏して全体の統一に反する所に現れるのである。
悪がなければ善もない。悪は実在の成立に必要なる要素である。
ウィリアム・ハズリット イギリスの評論家
悪と善はどちらかが欠けたら、もう一方も存在できなくなる
異教徒の徳は輝かしい罪悪なり。
アウグスティヌス キリスト教初代教父

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偽善同様、偽悪は存在しない
世間で用いられる偽悪は、
不快なことを敢えて実行している行動者に対して第三者が用いる。
また、偽悪だと思われそうなことを行動者が自覚して、自分自身にむけて用いる。
偽善も偽悪も他者への感じ方に基づくレッテルである
世間で用いられる偽悪は、
不快なことを敢えて実行している行動者に対して第三者が用いる。
また、偽悪だと思われそうなことを行動者が自覚して、自分自身にむけて用いる。
偽善も偽悪も他者への感じ方に基づくレッテルである