過去にそうであったからといって今後も必ずそうとは限らない、同じようにみえる事柄も、全く別ものなのだ。まるで生と死のように。
いいですね
好きになりました


鬼束ちひろさん
「月光」
http://www.youtube.com/watch?v=iyw6-KVmgow
「私とワルツを」
http://www.youtube.com/watch?v=LXft3v_cKHk


強いかんじがします
弱者だけどすごく強いかんじです

そんな人がすごく好きです
$666
メールに書いたものなので会話っぽいです。




○私の考える正義

<はじめに>
正義の意味として、国語辞典の記述が絶対だと思いますが、
辞典には「正義:人の道にかなっていて正しいこと。」とあり、
「人の道」の絶対的定義は定まっておらず、その説明だと正義の意義が曖昧にならざるを得ない。
この「人の道」という漠然としたものについて追求しなくてはならないと思いました。
(ちなみに「人道」で辞書をひくと「人として守りおこなうべき道」となっており、やはりその「べき」といわれている内容を明確にしなくてはならない)


ちなみに「当事者の直感による」と私が考えているのは「善」「悪」の問題です。わかりづらくてすみません、混同させて話しちゃってたかもしれません。
善=快、悪=不快と思っています。なぜそうなるのかは正義の話から逸れるのでここでは省きます。
善と正義は語義的にはまったく違うと思っています。
野原ひろしが言っていたらしいですが、正義の反対は悪ではなく、もうひとつの正義。(実際正義の対義語は不義)
であるから、悪(=不快)が正義の反対でもないでしょう。


正義について考えなくてはならない問題として2つあると思います。
問題1
「正義」という言葉の理解
そのために「人の道」とは何かを考える
問題2
どのような判断の仕方が「人の道にかなっていて正しい」のか




問題1

<人の道とは何か>
ー結論ー
人の道=「種の繁栄と自己の拡大への道」


ー理由ー
・「種の繁栄」について
人間は他の種と同様、「種(子孫)の繁栄」が最重要事項。
生物である以上必ず一番の目的は「種の繁栄」であると考えています。
人間のあらゆる活動(思想等も含め)の一番根底にあるのは「種の繁栄」だと思っています。



・「自己の拡大」について
生きることは一種の「力」(まずわかりやすいこととして心臓が動いている)。
力には必ず活動が伴う。(なぜならば活動が力の唯一のアスペクト(表れ)だから)。
活動とは具体的には「拡大」である。なぜならば活動ということは、「ある存在物を空間に展開する」(=拡大)ということであるから。
「拡大」の具体的内容は「自己の拡大」である。「自己の拡大」は生きることそのもの。

生きることそのものであるので「自己の拡大」も重要事項。

(*この「自己の拡大」は大杉栄の「生の拡充」という短い文章に影響されたものなので、そちらを読んでいただいたらわかりやすいかもしれないです。)
(参考『生の拡充』:http://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/2312_13472.html)




・「種の繁栄」と「自己の拡大」
双方への意志は同義であるといえるくらい密接にリンクしている。
自己の拡大をしたいから子孫を残したくなる、とも言えるし、子孫の繁栄をするために自己を拡大する、とも言えるため。2つで1つ。
食欲、睡眠欲、性欲、学ぶ欲、表現欲・・・等、すべて「自己の拡大(そのための生命の維持)」と「子孫の繁栄」のためにあるといえる。
この「自己の拡大」欲の強さは人間独特のものだと思います。
(他の動物のことはよく知らないですが)




・なぜ「種の繁栄と自己の拡大への道」が「人の道」なのか

上記に述べたとおり人間の根本的な性質が「種の繁栄と自己の拡大」であると考えるからです。




・補足
人間は、他の多くの動植物より遥かに複雑なので純粋な「種の繁栄と自己の拡大」への意志は見えづらいし、
人間はそれを放棄することさえある。
だがその放棄でさえ、根底には「種の繁栄と自己の拡大」がある。
心の底ならぬDNAの底では「種の繁栄と自己の拡大」を目指しているにも関わらず結果が目指したものの放棄となるなんて、どんだけ複雑なんだ、人間は!というかんじですね。
しかし、いくら「種の繁栄と自己の拡大への意志の放棄」の根底にも「種の繁栄と自己の拡大」があるといい条、「種の繁栄と自己の拡大への意志の放棄」は「種の繁栄と自己の拡大」の道からは逸れており、実際「放棄」の結果、「種の繁栄と自己の拡大」はしないので、放棄は「人の道という観点からすれば「間違い」であり「正しくない」ことである。

もう少し具体的な話をすると、
幸福を望むのも、不幸になったら苦しくて、もしくはつまらなくて死にたくなったり人が嫌いになったりして「種の繁栄と自己の拡大」が望めなくなる。恋愛ももちろん「種の繁栄と自己の拡大」のため。
(少し余談ですが、特別な例として「幸福を望まない」ことを望んでいる人がいるとします。「幸福を望まない」ことがその人の選択であり、(幸福とはいいがたいかもしれないけれど)選んだ時点でそれはある意味で幸福の一種になってしまい、人は不幸を選択することは絶対にできないと思います。しかしその「不幸を望む」という幸福の形態は「種の繁栄と自己の拡大」には繋がらないので(自殺するかもしれないから)「人の道」という観点からすれば正しくないことといえるでしょう。)




<正義という言葉>


国語辞典での正義の説明「人の道にかなっていて正しいこと。」
の「人の道」に先ほどの結論である「種の繁栄と自己の拡大への道」を導入して考えると、
「種の繁栄と自己の拡大への道」に適っていて正しいこと。となり、
これが私の考えでは「正義」という言葉です。



(問題2は「正義2」につづく予定です)






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堕落の自分、悪い状態と高邁で善い状態が
自分のなかにある

善い状態にいても、いつでも没落したら甘美な悪い状態にいける
悪い自分がいる

その状態があることによって高邁を保てる
自分の感覚、センス、思想、正義、などといったものを信じている限り最強

最強になったら無敵になれる
私はこれから堕落はやめて善いことをしようとおもうけれど
誰でもいつでも落ち込んで、バカになる可能性がある

ということを忘れないでおきたい
誰かがそうなったら優しくいられるようでいたい
行動すること、実行することは、考えること

考えて答えがすぐわかりそうになかったら、疑問を胸の奥に大切にねかしておいて、考えることはすぐにやめるべき。
考えることをしないことは、考えがないことではない、

考えていると真理は見えてこない

考える暇も惜しんで活動をしていたら自然と真理が降ってくる