夜、布団に入ったあと。
つい、手にとってしまうもの。
「スマートフォン」
ですよね。
本当は、すぐに寝ないといけない。
それは、頭では分かっている。
分かってはいるのです。
けれど、ついつい見てしまう。
そんなこと、ありませんか?
実は、私自身もそうなのです。
「あと5分だけ」
そう思って見始めたSNS。
気づけば、1時間。
時には、2時間。
気がつくと、外が少し明るくなっている。
そんな恐ろしい経験を、何度もしています。
これは、いったい、何なのでしょうか。
単なる「意志の弱さ」なのでしょうか。
それとも、もっと別の、
『何か』
が働いているのでしょうか。
少し、調べてみることにしました。
スマホの画面から出る光。
いわゆる、ブルーライトというやつです。
これが脳に与える影響について、です。
調べて分かったこと。
それは、想像以上に衝撃的でした。
脳は、光を浴びると、昼間だと錯覚するそうです。
「錯覚(さっかく)」
つまり、勘違いですね。
脳が、今はまだ昼間だ!と、思い込んでしまうのです。
そうすると、どうなるのか。
体は、睡眠ホルモンを出すのをやめてしまう。
結果、眠気が吹き飛ぶ。
そういう仕組みのようなのです。
なるほど。
これなら、私が眠れないのも納得です。
つまり、私が悪いのではなく、
『スマホの光』
が、私の脳を騙していたのです!!
そう考えると、少し気が楽になりませんか?
いえ、もちろん、意志の問題もあります。
しかし、生物学的な仕組みとしては、
「抗えない力」
が働いている。
そう言えるのかもしれません。
では、ここで、少し話を広げてみます。
この現象。
スマホだけに当てはまるのでしょうか。
それと同じように、私たちの生活には、
「脳を勘違いさせるもの」
が溢れているのではないでしょうか。
たとえば、仕事。
残業を続けていると、脳は興奮状態が続きます。
ずっと、「今は戦う時間だ」と勘違いしている。
そんな状態ではないでしょうか。
また、買い物もそうです。
セールという言葉を見ると、
「今買わないと損をする!」
と、心が急かされる。
これも一種の錯覚(さっかく)なのかもしれません。
ようするに、私たちは、
『外からの刺激』
によって、常に自分の感情や行動を、
コントロールされている。
そういうことなのです。
スゴイことだと思いませんか?
自分自身の心だと思っているもの。
それが実は、環境によって、
いとも簡単に書き換えられている。
では、いったい、どうしたらいいのでしょうか。
この、スマホという「魔物」から、
私たちは、どうやって自分を守ればいいのでしょうか。
一つの答えとして、
「寝る前の儀式」
というものがあると思います。
たとえば、スマホを別の部屋に置く。
これだけで、物理的に距離を置く。
これは、スゴイ効果です!!
実際にやってみましたが、
最初のうちは、禁断症状が出ました。
手元が寂しい。
何かを見たくなる。
でも、3日もすると、不思議なことが起きます。
夜が、とても長く感じるのです。
今まで、スマホに奪われていた時間。
それが、自分の手元に返ってくる。
そんな感覚です。
これは、非常に面白い体験でした。
そう考えると、スマホを見ないことは、
単に睡眠のためだけではないのです。
「自分を取り戻すため」
と言えるかもしれません。
自分自身の時間。
自分自身の感覚。
それを取り戻すこと。
つまり、
『自律(じりつ)』
です。
自分で、自分の心を律する。
スマホという便利な道具に、
心を支配されるのではなく。
自分が、主体的に生きる。
これは、大げさかもしれませんが、
現代を生きる私たちが、
もっとも大切にすべきことなのかもしれません。
実は、この「調べる」という行為。
私自身にとっても、大きな発見でした。
ただの「寝不足の言い訳探し」だと思っていたら。
いつの間にか、生き方の話になっていた。
そういうことなのです。
スマホは、悪ではありません。
本当に、素晴らしい道具です。
世界中の情報が、手の中にある。
それは、奇跡のようなことです。
けれど、その奇跡の恩恵を受けるには、
『付き合い方』
が問われている。
そう思うのです。
夜中に、暗闇で光る画面を眺めながら。
ふと、そんなことを考えてみました。
あなたが、もし今夜、
布団の中でスマホを見ているなら。
ほんの少しだけ、
画面を伏せてみてください。
そして、自分の心の中を、
静かに眺めてみてほしいのです。
そこに、何かが見えるかもしれません。
自分自身の声が、聞こえるかもしれません。
そう考えると、
スマホを置くという行為は、
もっと大きな意味を、
持っているのではないでしょうか。
これからも、この「スマホとの戦い」は、
一生続くのかもしれません。
でも、それは、
自分自身を大切にする戦いでもある。
そう思うと、少し楽しくなってきませんか?
本当に、スゴイことだと思います。
スマホを置く。
それだけで、人生が変わるかもしれない。
大げさなようですが、
本気でそう感じています。
だからこそ、
今夜から、少しずつ。
少しずつでいいのです。
スマホから離れる時間を作ってみる。
それが、私たちにできる、
一番の「自分への優しさ」なのだと思います・・。
そうやって、
夜の静寂(せいじゃく)の中で、
自分と向き合う。
それは、
とても勇気がいることです。
誰だって、
孤独は怖い。
誰だって、
誰かとつながっていたい。
その気持ちは、
本当によくわかります。
でも、
考えてみてほしいのです。
私たちが、
必死になって追いかけている「つながり」は、
本当の「つながり」なのでしょうか。
たとえば、
SNSの通知音。
ピコン、という音。
あれを聞くと、
条件反射(じょうけんはんしゃ)のように、
体が反応してしまう。
まるで、
パブロフの犬のように。
ベルの音で、
よだれが出てしまうように。
私たちは、
スマホの画面に、
操られている。
そう言ったら、
言い過ぎでしょうか。
でも、
あながち間違っていないはずです。
では、いったい、
どうして私たちは、
そこまで「通知」を気にするのか。
問題は、
自分の中にある、
「空白」なのかもしれません。
退屈(たいくつ)。
その、
何もない時間。
私たちは、
その退屈という時間が、
たまらなく恐ろしいのです。
だから、
無理やりにでも、
情報を詰め込む。
他の誰かの、
キラキラした日常を覗き込む。
そして、
自分と比較して、
勝手に落ち込む。
あるいは、
勝手に安心する。
これって、
本当に疲れませんか?
もっとも、
つながることは悪いことではありません。
技術の進歩は、
素晴らしいものです。
地球の裏側にいる人と、
顔を見ながら話せる。
これは、
人類がずっと夢見てきたことです。
魔法のような、
出来事なのです。
だからこそ、
その恩恵(おんけい)を、
受け取る側が、
賢くならないといけない。
スマホという道具を、
ただの「ツール」として使うのか。
それとも、
スマホという「主人」に、
自分という「奴隷」が仕えるのか。
実は、
大きな分かれ道は、
ここにあるのです。
少し、
話を広げてみます。
これは、
食事と同じです。
お腹が空いたから、
食べる。
それは、
生存のために必要な、
正しい行為です。
でも、
お腹が空いていないのに、
ただ寂しいから食べる。
ただ、
目の前に美味しそうなものがあるから、
食べてしまう。
それは、
本当の「食事」ではない。
ただの、
「感情の埋め合わせ」です。
それと同じように、
スマホを見る。
つながりを求めて、
情報を食べている。
でも、
その情報が、
自分の血肉(ちにく)に、
なっているでしょうか。
ただ、
時間を消費して、
記憶の彼方(かなた)に、
消えていくだけではないでしょうか。
そう考えると、
私たちの毎日は、
「情報の食べ過ぎ」で、
胃もたれしている状態なのかもしれません。
では、いったい、
どうすればいいのか。
一度、
「空腹」を感じてみる。
あえて、
スマホを見ない時間を、
作ってみる。
何もしない、
退屈な時間を、
あえて「楽しんで」みる。
実は、
その空白にこそ、
本当の豊かさが、
隠れているのです。
不思議なもので、
あえてスマホを遠ざけると、
世界が少し違って見えてきます。
窓の外の、
風の音。
遠くを走る、
車のエンジン音。
自分の部屋の、
空気の匂い。
そういう、
当たり前のことが、
急に鮮明(せんめい)に感じられる。
これが、
「今を生きる」ということ。
地に足をつけて、
自分の人生を歩むということ。
そう思うのです。
もちろん、
明日からすぐに、
デジタル断食ができるわけではありません。
私も含めて、
私たちはもう、
スマホなしでは生きられない。
そんな時代に、
生きているのですから。
だからこそ、
「付き合い方」なのです。
コントロールする。
ではなく、
「共存(きょうぞん)」する。
スマホと、
適切な距離をとって、
対等な関係を築く。
たまには、
電源を切ってもいい。
たまには、
ポケットに入れて、
景色を眺めてもいい。
そうやって、
自分自身の手綱(たづな)を、
自分で握り直す。
それが、
これからの時代を、
人間らしく生きるための、
大事な知恵になるのだと思います。
本当の意味で、
自由になる。
誰かに、
何かを押し付けられるのではなく。
アルゴリズムに、
好みを決められるのでもなく。
自分の意志で、
今日という一日を、
選び取る。
それは、
とても、
かっこいいことじゃないでしょうか。
あなたが、
あなた自身であるために。
夜の暗闇の中で、
そんなことを考えていました。
明日、
朝起きたら。
まずは、
スマホを手に取る前に、
窓を開けてみませんか。
新鮮な空気を、
胸いっぱいに吸い込んで。
「今日も、自分として生きるぞ」
そう、
心の中でつぶやいてみる。
それだけで、
昨日までの自分とは、
少しだけ違う一日が、
始まるはずです。
スマホは、
あくまで、
あなたの人生を豊かにするための、
脇役(わきやく)です。
主役(しゅやく)は、
いつでも、
あなた自身なのですから。
そう思うと、
少しだけ、
胸が熱くなりませんか。
本当に、
人生は面白い。
何が起きるか、
誰にもわからない。
画面の中の物語よりも、
目の前で起きている現実のほうが、
ずっと、
ドラマチックなのです。
だから、
勇気を出して。
一度、
画面を伏せてみましょう。
その先に、
あなたの本当の人生が、
待っているはずです。
静かに、
深く、
息を吐いて。
まずは、
一歩。
そう、
本当に小さな一歩から、
始めていけばいいのです。
大丈夫。
あなたなら、
きっとできるはずです。
自分自身を、
もっと大切にしてもいい。
それこそが、
私たちが今、
一番求めているものなのかもしれませんね・・。
でも、こうやって書いていると、
ふと、
こんな疑問が浮かぶことがあります。
「自分を大切にするって、
一体どういうことだろう?」
美味しいものを食べることでしょうか。
好きな服を買うことでしょうか。
あるいは、
誰にも邪魔されない時間を作ることでしょうか。
もちろん、
それらも正解です。
けれど、
それ以上に深い意味が、
そこにはあるような気がします。
たとえば、
自分の弱さを見つめることです。
誰だって、
逃げ出したくなる時がありますよね。
「もう嫌だ」
「投げ出したい」
そんな黒い感情が、
心の中に渦巻くこともあるでしょう。
でも、
そんな自分を責めないでほしいのです。
「ああ、今、
自分は苦しんでいるんだな」
そうやって、
自分の心の声に、
そっと寄り添ってあげること。
それが、
本当の意味で、
自分を大切にする、
ということなのだと思います。
自分の弱さを、
否定するのではなく、
ただ、
そこに置いておく。
「弱くてもいい」
「今は休んでもいい」
そうやって、
自分を許してあげることが、
本当の強さにつながっていく。
そう考えてみると、
人生とは、
自分との付き合い方そのものなのかもしれません。
私たちは、
生まれた瞬間から、
ずっと自分自身と一緒にいます。
一番長い時間、
一番近くで、
自分を見つめ続けている存在。
それが、
自分自身です。
その自分に対して、
私たちは、
もっと優しく、
もっと温かい眼差しを、
向けてもいいのではないでしょうか。
厳しい現実の中で、
誰かと戦ったり、
何かに勝とうとしたり。
そんな毎日だからこそ、
自分くらいは、
自分の一番の味方でいてあげたい。
そう思うのです。
あなたが今、
どんな場所にいても。
どんなに辛い状況にいても。
あなたは、
あなただけの物語の、
唯一無二の主人公です。
そのことは、
誰にも変えられません。
だからこそ、
もっと自分を信じてあげてください。
今日という一日を、
必死に生き抜いたあなたを、
誰よりも、
あなた自身が称えてあげてほしいのです。
「よくやった」
と。
そうやって、
自分自身を慈(いつく)しむ。
そんな小さな積み重ねが、
やがて大きな自信へと変わり、
あなたの人生を、
より鮮やかに彩っていくのだと思います。
さあ、
窓を閉めて、
もう一度、
部屋の中を見渡してみてください。
そこにある景色が、
さっきまでと少し違って見えませんか。
それは、
あなたの心が、
少しだけ軽くなった証拠です。
明日のことは、
明日の風に任せて。
今はただ、
あなたの呼吸の音に、
耳を澄ませてみてください。
静かで、
温かい、
あなただけの時間が、
そこに流れています。
そう、
本当に、
それでいいのです・・。