最近、
テレビをつけていると、
よく見かける番組があります。
なんだか、
画面がすごく賑やかで、
あちこちに字幕が出ているやつです。
たとえば、
芸人さんが美味しそうにラーメンを食べていたり、
旅人が知らない街を歩いていたりする、
あの番組です。
これは、
単なる映像ではありません。
私たちの日常に、
スッと入り込んでくる、
不思議な空気感そのものです。
では、
いったい、
なぜそんなに見てしまうのでしょうか。
少し、話しは変わりますが、
私の部屋には、
いつのまにかテレビが鎮座しています。
別に、
一日中見ているわけではありません。
けれど、
帰ってきて、
なんとなくスイッチを入れてしまうのです。
無音の部屋が、
急に賑やかになる。
その瞬間、
なんだかホッとする自分がいます。
つまり、
テレビの画面は、
『孤独』を埋める道具なのです。
それだけではありません。
最近よく見るその番組は、
見ているだけで、
なんだか自分がその場にいるような、
そんな錯覚を起こさせてくれます。
画面の向こうの人が、
「これ、うまい!」
と言っている。
すると、
なぜか自分の口の中まで、
その味を想像してしまうのです。
これは、
共感(きょうかん)という現象なのだと思います。
人間は、
一人では生きられない生き物です。
だからこそ、
他人の喜びを、
自分の喜びのように感じたい。
テレビ番組は、
そんな私たちの本能を、
そっと刺激してくれるのです。
そう考えると、
本当に、
スゴイことだと思います!!
ここで、
一つ疑問が湧いてきます。
では、いったい、
昔のテレビと、
今のテレビの何が違うのでしょうか。
それは、
距離感(きょりかん)です。
昔の番組は、
どこか遠い世界の出来事でした。
画面の向こうのスターが、
華やかなステージで歌っている。
私たちは、
それをただ眺めるだけでした。
でも、
最近よく見る番組は違います。
スマホの動画のように、
すぐ近くで喋っているような感覚があります。
素のリアクションがあり、
失敗があり、
笑いがある。
つまり、
完璧な演出ではなく、
『リアルな人間味』を映し出しているのです。
そう考えると、
私たちは今、
作り物ではない、
生身の人間を感じたいのだと思います。
もっとも、
それが本当に「リアル」なのかどうかは、
誰にも分かりません。
カメラが回っていれば、
少なからず意識はするはずです。
けれど、
それでも私たちは、
そこに映る笑顔や涙を信じたいのです。
なぜなら、
私たちの日常は、
案外退屈だからです。
毎日同じ会社に行って、
同じ道を歩いて、
同じようなご飯を食べる。
ドラマチックな出来事なんて、
そうそう起きません。
だからこそ、
テレビの向こうの誰かの大げさなリアクションに、
救われることがあるのです。
「ああ、今日も世界は動いているんだな」
そう思えるだけで、
明日も頑張ろうという気持ちになれる。
これは、
単なる娯楽ではありません。
『心の栄養補給』なのです。
そう、
あの番組たちは、
私たちの乾いた心に水をやる、
小さなオアシスのようなものなのだと思います。
では、それが、
私たちの人生に、
どう影響するのでしょうか。
問題は、ここからです。
テレビを見る。
笑う。
感動する。
それだけで終わっていませんか?
実は、
それだけではないのです。
番組の中で、
誰かが一生懸命に何かを達成したり、
美味しいものを食べて感動したりする姿を見る。
すると、
私たちの脳は、
自分も同じ体験をしたような錯覚を起こします。
そして、
自分の世界を少しだけ広げようとする。
「今度、あのお店に行ってみようかな」
「私も、新しい趣味を始めてみようかな」
そんな小さな変化が、
私たちの日常に生まれ始めます。
つまり、
テレビを見るという行為は、
自分の殻を破るための、
『スイッチ』なのです。
そう考えると、
最近よく見るあの番組も、
ただ時間を潰すためのものではありません。
私たちの人生を、
少しだけ豊かにするための、
大きなメッセージが隠されているのです。
本当に、
奥が深いと思います。
テレビという、
ただの四角い箱。
その小さな画面の中で、
毎日たくさんのドラマが繰り広げられている。
喜怒哀楽が凝縮されたその空間は、
現代の『現代社会の縮図(しゅくず)』と言えるかもしれません。
では、
私たちはこれから、
どうやってテレビと向き合っていけばいいのでしょうか。
ただぼんやりと見るのではなく、
そこに込められた人々の情熱や、
笑いの裏にある苦労に思いを馳せてみる。
そうすると、
いつもの番組が、
もっと輝いて見えるはずです。
世界の見え方が、
少しだけ変わるかもしれない。
自分の日常が、
ほんの少し色づくかもしれない。
だからこそ、
今日も私たちは、
テレビのスイッチを入れるのです。
画面の向こうの笑顔に釣られて、
自分も思わず笑顔になる。
そんな瞬間を大切にしたい。
そう、心から思うのです。
たとえば、
朝、出勤する時の電車の中で、
ふと周りを見渡してみる。
みんな、
スマートフォンをいじっています。
下を向いて、
画面に夢中になっている。
これは、
今の時代の『当たり前の光景』です。
誰もが、
小さな画面に引き込まれている。
では、
いったい、
彼らは何を見ているのでしょうか。
ニュースでしょうか。
それとも、
SNSのタイムラインでしょうか。
ようするに、
私たちは常に、
情報という名の波に飲まれているのです。
情報に流されている。
自分の足で立っているつもりでも、
実は、
情報の海を漂っているだけなのかもしれません。
少し、話しは変わりますが、
昔の人は、
どうだったのでしょうか。
インターネットがなかった時代。
スマートフォンすらなかった時代。
人々は、
何を見て、
何を考えていたのでしょうか。
新聞を読んだり、
本を開いたり、
あるいは、
ただ窓の外の景色をぼんやりと眺めていたりしたはずです。
電車の中で、
向かいに座っている人の顔を、
なんとなく観察してみたりする。
そんな余裕があった。
時間は、
今よりもゆっくりと流れていた。
そう考えると、
現代の私たちは、
便利になった引き換えに、
何か大切なものを失ってしまったのではないでしょうか。
それは、
『余白』という時間です。
心の中の、
何もない空間。
その空間が、
今の私たちには、
ほとんど残されていないのです。
次から次へと、
新しい情報が入ってくる。
頭の中が、
常にパンパンの状態になっている。
これでは、
心が休まる暇がありません。
常に臨戦態勢です。
では、いったい、
どうしたらいいのでしょうか。
すべてを捨てて、
山奥にでも行けばいいのでしょうか。
スマートフォンを海に投げ捨てて、
原始的な生活に戻るべきなのでしょうか。
もちろん、
そんな極端なことをする必要はありません。
そんなことをしたら、
かえって生きづらくなってしまいます。
問題は、
付き合い方です。
距離感なのだと思います。
情報の波に、
ただ呑み込まれるのではなく、
上手に波に乗る。
あるいは、
あえて波から降りて、
静かな砂浜に座ってみる。
そんな意識が、
必要なのです。
たとえば、
一日のうちに、
ほんの五分だけでもいい。
スマートフォンを見ない時間を作ってみる。
何もしない時間を作る。
ただ、
自分の呼吸に意識を向けてみる。
それだけでも、
心の中の『ざわめき』が、
スーッと消えていくのが分かります。
これは、
本当に不思議な体験です。
何もしていないのに、
なぜかエネルギーが満ちてくる。
エネルギーが、
体の奥底から湧き上がってくる。
そう考えると、
『何もしない時間』というのは、
何もしない無駄な時間ではありません。
むしろ、
一番大切な時間なのです。
自分の心を取り戻すための、
尊い時間。
自分という存在を、
もう一度丁寧に抱きしめるための時間なのです。
そう。
私たちは、
もっと自分を大切にしていい。
毎日、
一生懸命生きているのですから。
会社に行って、
嫌な上司の顔色をうかがって、
満員電車に揺られて、
帰ってきてからも家事に追われる。
そんな日々を、
淡々とこなしている。
それだけで、
十分すぎるほどスゴイことなんです!!
本当に、
褒めてあげたい。
自分自身を、
思いっきり褒めてあげてほしいのです。
よく頑張っているね、と。
今日も一日、
本当にお疲れ様、と。
そんな優しい言葉を、
自分にかけてあげる。
そうやって、
自分の心をいたわってあげる。
それが、
結果的に周りの人への優しさにもつながっていくのです。
自分が満たされていないと、
他人に優しくすることはできません。
コップの水が空っぽのままだと、
人に水を分けることができないのと同じです。
まず、
自分のコップをいっぱいに満たす。
あふれ出るくらいの水で、
自分の心を潤す。
そのあふれたぶんを、
おすそ分けするように、
周りの人に優しさを配っていく。
そういう生き方ができたら、
どんなに素晴らしいでしょうか。
世界が、
少しだけ優しくなる。
トゲトゲした空気が、
少しだけ丸くなる。
みんなが、
お互いを思いやれるようになる。
そんな未来は、
夢物語ではありません。
一人ひとりの心が、
ほんの少し変わるだけで、
現実のものになるのです。
だから、
大きな変革を起こそうとしなくていい。
世界平和なんて、
大それた旗を掲げなくてもいい。
まずは、
目の前の一人。
自分という人間を、
大切にすることから始める。
そこからすべてが、
始まっていくのです。
自分の機嫌は、
自分で取る。
自分の心は、
自分で守る。
誰かに依存するのではなく、
自分の足でしっかりと立つ。
そうやって、
自立した個人が集まったとき、
本当の意味での『強い社会』が生まれるのです。
弱い者いじめをしない社会。
お互いの違いを認め合える社会。
失敗しても、
何度でもやり直せる社会。
そんな社会を、
私たちは作ることができる。
作っていくことができるのです。
そのためには、
やっぱり、
日々の小さな選択が大切になります。
朝、起きて、
カーテンを開けて、
お日様の光を浴びる。
「今日もいい天気だな」と、
心の中で呟いてみる。
温かいお味噌汁を飲んで、
「おいしいな」と感じる。
通勤の途中で、
咲いている花に目を留めてみる。
「きれいだな」と、
立ち止まってみる。
そういう、
当たり前の日常の中にこそ、
本当の豊かさが隠されているのです。
お金持ちにならなくてもいい。
有名にならなくてもいい。
大きな成功をつかまなくてもいい。
今、
ここに生きていること。
息をしていること。
それだけで、
すでに奇跡なのだから。
奇跡の連続の中で、
私たちは生きているのだから。
そう思えるだけで、
世界の見え方は180度変わります。
灰色の景色が、
色鮮やかなパレットに変わる。
聞こえなかった鳥のさえずりが、
美しい音楽のように響いてくる。
感じられなかった風の心地よさが、
肌を優しくなでていく。
すべてが、
愛おしく思えてくる。
すべてが、
祝福されているように感じられる。
そんな瞬間を、
一日の中に、
どれだけたくさん見つけられるか。
それが、
人生の豊かさを決めるのかもしれません。
たくさん笑って、
ときどき泣いて、
怒ったり、感動したりしながら、
私たちは人間としての旅を続けている。
その旅の途中で出会う、
すべての出来事。
すべての出会い。
すべてに意味がある。
無駄なことなんて、
一つもないのです。
遠回りしたように見える道も、
実は一番の近道だったりする。
失敗したと思った経験も、
実は一番の宝物だったりする。
だから、
焦る必要なんてありません。
ゆっくりでいい。
止まってもいい。
自分のペースで、
自分の足で、
一歩ずつ歩いていけばいいのです。
道の脇に咲く花を愛でながら、
ときには空を見上げながら、
自分の物語を、
自分の手で紡いでいく。
そんなふうに生きていけたら、
本当に素敵だと思います。
人生は、
一度きり。
だからこそ、
もっと自由に、
もっと自分らしく、
生きていきたい。
そう強く願うのです。
画面の向こうのあなたも、
きっと同じ気持ちなのだと信じています。
一緒に、
少しずつ、
歩いていきましょう。
この広い世界の、
片隅で。
それぞれの花を、
精一杯咲かせながら。
今日も、
明日も、
その先の日々も。
心穏やかに、
温かい光に包まれながら、
一歩一歩、
進んでいけますように。
そんな願いを込めて、
今日もペンを走らせるのです。
いや、
スマートフォンを叩く指を動かすのです。
時代が変わっても、
伝えたい想いは同じ。
人と人をつなぐ、
心の温もりは変わらない。
それを信じて、
私は今日もここにいます。
あなたと、
この時間を共有できたことに、
心から感謝を。
本当に、
ありがとうございます。