昨日、
驚くべきことが起きました。
それは、
小さな決意でした。
「明日から、毎日ブログを書こう。」
そう、
心に誓ったのです。
たったそれだけの、
些細な出来事でした。
でも、
ちょっと待ってください。
よく考えてみると、
これは大変なことなのです。
私たちは普段、
色々なことを始めます。
たとえば、
毎朝のランニングだったりします。
あるいは、
英単語の暗記かもしれません。
最初は、
意気込んで始めます。
「やるぞ!!」
と、
気合を入れるわけです。
でも、
どうなるでしょうか。
三日後には、
すっかり忘れているのです。
これは、
不思議なことではないでしょうか。
では、いったい、
なぜなのでしょうか。
少し、
話しは変わりますが、
人間の意志というものは、
非常に弱いものです。
お豆腐のように、
柔らかいのです。
ちょっとした風が吹くだけで、
崩れてしまいます。
だから、
三日坊主になってしまう。
これは、
ごく自然なことなのです。
人間として、
当たり前の反応だと言えます。
ここで、
疑問が湧いてきます。
では、いったい、
どうしたらいいのでしょうか。
三日坊主を、
克服するにはどうすればいいのか。
問題は、
ここからです。
実は、
簡単な方法があります。
それは、
ハードルを極限まで下げることです。
「今日は、文字を1行だけ書く。」
それだけで、
いいのです。
これなら、
誰でもできます。
赤ちゃんでも、
できるかもしれません。
そう考えると、
なんだか気が楽になりますよね。
本当に、
スゴイ発見だと思います。
大きな目標を立てるから、
途中で挫折するのです。
小さく始めて、
少しずつ大きくする。
それこそが、
継続の秘訣なのだと思います。
ここで、
さらに話を広げてみましょう。
この「少しずつやる」という考え方は、
ブログだけではありません。
人生そのものにも、
当てはまるのではないでしょうか。
人生とは、
壮大なプロジェクトです。
一気にすべてをやろうとすると、
息切れしてしまいます。
富士山に登るときも、
一歩一歩進むしかありません。
空を飛んで、
一瞬で山頂に行くことはできないのです。
あたりまえのことですが、
私たちはすぐに忘れてしまいます。
「早く結果を出したい。」
「今すぐ成功したい。」
そう思ってしまうのです。
でも、
ちょっと待ってください。
本当に、
それでいいのでしょうか。
急いては、
事を仕損じる。
昔の人は、
よく言ったものです。
急ぐあまりに、
大切なものを見落としてしまう。
それは、
非常にもったいないことです。
では、いったい、
私たちが本当に大切にすべきものは何なのでしょうか。
それは、
「日々の小さな積み重ね」ということになります。
派手さは、
ありません。
誰も褒めてくれないかもしれません。
地味な作業の、
連続です。
でも、
その地味な一歩の先にしか、
見えない景色があるのです。
自分を変える。
世界を変える。
そんな大げさなことではなく、
目の前の一行を書く。
目の前の靴を揃える。
そんな、
些細なことの繰り返しです。
そう考えると、
毎日の生活が愛おしくなってきます。
なんでもない日常が、
輝き始めるのです。
これは、
スゴイことではないでしょうか。
三日坊主になりかけた私が、
ここまで考えてしまいました。
たった一冊のノートから始まった思考が、
宇宙の真理にまで到達してしまったような感覚です。
ちょっと、
大げさすぎましたかね。
でも、
本当にそう思うのです。
小さな一歩を、
侮ってはいけません。
その一歩が、
未来の自分を作っているのですから。
だからこそ、
今日も私は、
こうしてキーボードを叩いています。
三日坊主の壁を、
軽やかに飛び越えてみせるのです。
明日も書くかもしれないし、
書かないかもしれない。
でも、
それでいいのです。
完璧を目指さない。
ただ、続ける。
その緩やかな姿勢こそが、
長く続けるためのコツなのだと思います。
あなたの心の中にも、
小さな決意はありませんか。
今日、
何かを始めてみませんか。
たとえ三日坊主で終わったとしても、
また四日目に始めればいいのです。
何度でも、
やり直せばいい。
そうやって、
人間は少しずつ成長していくのだと思います。
本当に、
人生とは面白いものですね。
明日もまた、
新しい一日が始まります。
どんな小さなことが起きるのか、
今から楽しみでなりません。
それでは、
また次回。
少し、
話しは変わりますが、
みなさんは、
『時間』というものについて、
考えたことはありますか。
時間は、
誰に対しても、
平等に流れています。
お金持ちであっても、
そうではなくても、
一日二十四時間です。
これは、
絶対的な事実です。
でも、
不思議だと思いませんか。
同じ一時間であっても、
長く感じるときと、
あっという間に過ぎ去ってしまうときがあります。
たとえば、
好きなことをしているときは、
時間は一瞬で過ぎていきます。
逆に、
苦手な作業を我慢してやっているときは、
時計の針が、
まるで止まっているかのように遅く感じられます。
時間は同じはずなのに、
私たちの感じ方は、
全く違っているのです。
では、いったい、
この違いはどこから生まれるのでしょうか。
それは、
私たちの『心』の状態にあるのです。
ようするに、
時間は、
心が決めているということです。
物理的な時間は同じでも、
私たちの主観的な時間は、
心の持ち方によって、
いくらでも伸び縮みするのです。
そう考えると、
面白いことが見えてきます。
私たちは、
時間に追われているようでいて、
実は、
時間を作り出すこともできるのです。
たとえば、
朝のほんの十分間。
まだ誰も起きていない静かな部屋で、
ただぼんやりと温かいお茶を飲む。
その十まんは、
とても豊かな時間になります。
何にも追われることのない、
自分だけの静かな時間です。
その十分間があるだけで、
その日一日の気分が、
まったく変わってきたりします。
本当に、
不思議なものです。
時間は、
ただ消費するものではありません。
時間は、
味わうものなのです。
そう、
『時間を味わう』のです。
忙しい毎日を送っていると、
私たちは、
時間をいかに効率よく使うかばかりを考えてしまいます。
タイムパフォーマンス、
いわゆる『タイパ』という言葉が、
当たり前のように使われるようになりました。
いかに無駄を省くか。
いかに短時間で成果を出すか。
それも、
大切なことかもしれません。
現代社会を生き抜くためには、
必要なスキルだとも言えるでしょう。
でも、
それだけでは、
どこか心が乾いていってしまうような気がするのです。
効率ばかりを追い求めていると、
私たちは、
大切な何かを取りこぼしてしまうのではないでしょうか。
では、いったい、
何を取りこぼしているのでしょうか。
それは、
『余白(よはく)』です。
心の余白です。
予定がギッシリと詰まったスケジュール帳は、
一見すると充実しているように見えます。
でも、
その隙間のなさに、
心が窒息そうになってしまうことはありませんか。
もっと、
ゆっくりでいいのです。
もっと、
立ち止まってもいいのです。
そう言われても、
不安になってしまう人がいるかもしれません。
「立ち止まったら、置いていかれる気がする」
「周りの人はみんな走っているのに、自分だけ歩いていていいのだろうか」
そんな焦りを感じることもあるでしょう。
よくわかります。
私も、
そうやって焦ってしまうことが、
何度も何度もあります。
でも、
そんなときこそ、
思い出してほしいのです。
私たちは、
誰かと競争するために生きているわけではありません。
誰よりも早くゴールすることだけが、
人生の目的ではないはずです。
もっと、
自分自身のペースでいい。
自分の足で、
一歩一歩、
確かめながら歩いていけばいいのです。
そう考えると、
なんだか少し、
肩の力が抜けていきませんか。
力みすぎていると、
転んだときに関節を痛めてしまいます。
人生も、
それと同じです。
適度に力を抜いて、
しなやかに生きる。
風が吹いたら、
その風にしなやかに揺れる。
大木のように、
無理に突っ立っていると、
強い嵐が来たときに、
ポッキリと折れてしまいます。
でも、
草花のように柔らかければ、
嵐が過ぎ去るのをやり過ごすことができるのです。
しなやかさ。
それは、
私たちが生き抜くための、
大きな武器なのだと思います。
強くあろうとしなくてもいい。
正しくあろうとしなくてもいい。
ただ、
自分らしく、
しなやかに生きる。
それだけで、
十分すぎるほど素晴らしいことなのです。
空を見上げてみてください。
今日の空は、
どんな色をしていますか。
青空が広がっているでしょうか。
それとも、
分厚い雲に覆われているでしょうか。
どんな空であっても、
空の上には、
果てしない宇宙が広がっています。
私たちが悩み、
立ち止まり、
ときに涙を流している間も、
宇宙は静かに、
しかし確実に回り続けています。
そう思うと、
私たちの悩みなんて、
宇宙の広大さに比べれば、
ほんの小さな点のようなものかもしれません。
でも、
その小さな点が、
当事者にとっては、
世界のすべてだったりするのです。
だからこそ、
自分の悩みを小さく見繕う必要はありません。
「こんなことで悩んではいけない」と、
自分を責める必要もないのです。
痛いときは痛い。
辛いときは辛い。
そうやって、
自分の素直な感情を、
そのまま受け止めてあげる。
それが、
自分を大切にするということなのだと思います。
自分を大切にする。
それは、
甘やかすこととは違います。
自分の心の声を、
ちゃんと聞いてあげることです。
「今、何が食べたい?」
「今、どこに行きたい?」
「今、誰と話したい?」
そんな、
日々の小さな問いかけを、
自分自身に向けてあげる。
その積み重ねが、
自分という存在を、
しっかりと地に足の着いたものにしてくれるのです。
他人ばかりを見つめていると、
自分の足元が見えなくなってしまいます。
気がついたら、
他人の人生を生きているような感覚に陥ってしまう。
そんな経験はありませんか。
「あの人がこう言っているから」
「世間一般ではそれが常識だから」
そんな基準で選んだ選択の先には、
本当の笑顔が待っているでしょうか。
たとえ遠回りになったとしても、
たとえ不器用だとしても、
自分が「これがいい」と思える道を選ぶ。
その決断こそが、
人生を自分色に染めていくのです。
世界にたった一人しかいない、
あなたという人間。
そのあなたが、
あなた自身の人生を生きること。
それは、
地球上で最も尊い奇跡なのだと、
私は本気でそう思っています。
命があるということ。
息をしているということ。
今日という日を、こうして生きているということ。
それだけで、
もう十分すぎるほど尊いのです。
何か特別な成果を出さなくても、
誰かに褒められなくても、
あなたは、
あなたとして存在しているだけで、
完璧なのです。
完璧な存在が、
ただ生きている。
そう考えると、
世界はなんと優しく、
なんと美しい場所に思えてくるでしょうか。
目の前にある日常が、
急に輝き出しませんか。
いつもの通りの景色が、
少しだけ違って見えませんか。
コーヒーの香りが、
いつもより深く感じられたりする。
風の匂いが、
季節の移り変わりを教えてくれたりする。
そんな細やかな感性を、
私たちは、
いつの間にか忘れてしまっているのかもしれません。
忙しさに追われ、
効率に縛られ、
大切な何かを置き去りにして走ってきた私たち。
でも、
いつでも立ち止まることができます。
今、この瞬間からでも、
立ち止まることができるのです。
目を閉じて、
深く息を吸い込んでみる。
そして、
ゆっくりと吐き出す。
それだけで、
世界とのつながりを取り戻すことができるのです。
呼吸をする。
ただそれだけのことが、
こんなにもありがたいことなのだと気づく。
生きているということは、
それ自体が、
奇跡の連続なのです。
心臓は、
私たちが寝ている間も、
休むことなく動き続けています。
意識しなくても、
肺は勝手に空気を出し入れしてくれます。
自分の身体なのに、
自分の意志を超えたところで、
ものすごいシステムが動いている。
私たちは、
大いなる自然の一部として、
生かされているのです。
そう考えると、
なんだか、
守られているような安心感が湧いてきませんか。
ひとりで生きているわけではない。
この広大な宇宙に抱かれて、
私たちは、
今ここに存在している。
その事実を思い出すだけで、
心の中に、
じんわりと温かいものが広がっていきます。
寒空の下で飲む、
温かいスープのように。
疲れた身体を包み込む、
お風呂のお湯のように。
心の中に、
じんわりと染み込んでいく。
そんな感覚を、
忘れないでいたいと思います。
日々の慌ただしさに流されそうになったとき、
ふと、
今日のこの感覚を思い出してほしいのです。
私たちは、
ただそこにいるだけで、
尊い存在なのだということを。
だから、
安心して、
自分のペースで歩いていけばいいのです。
ゆっくりでもいい。
止まってもいい。
引き返してもいい。
人生という道のりは、
一本道ではありません。
どこを歩いてもいいし、
道なき道を切り開いていってもいい。
すべては、
あなたの自由なのです。
そう、
すべてはあなた次第なのです。
自分の人生の舵を握るのは、
他の誰でもなく、
あなた自身なのだから。
風の吹くほうへ。
心の動くほうへ。
軽やかに、
一歩を踏み出してみませんか。
きっと、
そこにはまだ見たことのない新しい景色が広がっています。
ワクワクするような出会いが待っています。
だから、
顔を上げて、
前を向いていきましょう。
大丈夫。
あなたなら、
きっと、
自分の花を咲かせることができるから。
自分のペースで、
ゆっくりと、
確実に。
今日もまた、
素晴らしい一日があなたを待っています。
それでは、
また。