今日は特に書くことないんです。
別に暇だったわけではないですが。


CROMWELLをまた書いていかないといけないと思ってます。
色々これからのストーリー考え中です。
今日は色々しなければならないので、この辺で失礼します。

今日は久しぶりに買った本を読みました。
ある本の続編なんですが、かなり感動しました。


これから自分の目標に向けての計画を明確に立てることが必要だと思います。


それにしても目標というものがまだ漠然としているんですよね。
方向性は決まってるんですけど、明確じゃないです。
それをよりはっきりしたものにしていくことがこれからの課題でもあります。


そのためにも僕はまだまだ勉強が必要です。
日々の生活の中での経験も、本を読むことから得る知識も。
知識を知恵に変えて、自分の力としていきます。

今日はある映画見ました。


『THE MAJESTIC』


今の僕にかなりためになりました。


そういえば、僕の中学生のころの将来の夢は映画監督になることだった。
もともと映画が好きでよく見ていたが、自分でも人を感動させることができる作品を作りたいとあるときから思うようになった。


よく歩きながらや、授業中、暇なとき、自分だけの空想の中で映画のストーリーを創造していました。
映画監督になるための勉強本などもいろいろ読んだりもしました。


今でもその気持ちは少し残っているような気がします。
大学の専攻で映画学というものに憧れたりも時々します。


ではどうしてその夢をやめたのか。

理由は映画創作というものが自分の予想していたようなものではなかったということ。
地道な作業が要求され、脚本担当、音楽担当、〇〇担当など権利が分裂し、自分の考えているような作品を作ることが困難だった。


人に感銘を与えることが出来るような作品をつくりたい。
でもこのような方法では果たして自分の真意が伝えられるのか。


そう考えているとあることに気付きました。


「そうか、俺はストーリーを作りたいんだ」と。


それなら映画でなくとも、小説、物語を書けばいい。
それに考えてみれば、昔からよく物語を書いてたな~と。
そして小説家なら、それは副業としていつでもできる。
本業として新たなビジョンを確立していこう。


夢とは成長していく過程でどんどん変化していくと思います。
もし、あることを子供のころからそれになるまで思い続けれることができればそれはそれでとてもすばらしいことだと思います。
ですが、多くの人は夢はだんだんと変化していくでしょう。
僕も始めの夢は、仮面ライダーになることでしたし(笑)


でも、変化していくとき、注意しなければならないことは、決して妥協してはいけないということだと思います。
妥協の上に成り立つ夢は夢とは言えません。


そして、たとえ変化しても、そのたびごとに自分の夢に向けて本気で進む努力をすることが必要です。
夢とは叶えるもの。
憧れだけですましてはいけないと思います。
自分の夢に向けてわき目もふらずひたすら突き進んでいる、ここ一週間ほどを共に過ごした友人を僕は心底尊敬しています。
彼に比べると、僕はまだまだ甘いとつくづく感じます。


自分に完全な誇りを持てるような人間になる。
それがこれからの大切な課題だと思います。

今ほんとに分岐点にいると思う。
どの道を歩むかは自分自身で決めねばならないし、その道を選ぶ限りは自分に責任がある。


僕たちはどんどん自分の前に現れる道の分岐点をそのたびごとに自ら選択し、自ら進んでいかなければならない。
そして僕が選んだ道が、僕の道となる。


道に名前を付けるのは自分自身。


自己決定と自己責任。


適当に道を決めるのも、徹底的に検証して道を決めるのも、どちらが正しいとはわからない。
どんな道が目の前に現れるのかも。


でも恐れずに、怠けずに、あきらめずに進んでいく。
それが大切なことなんだと思います。


P.S 今日久しぶりに友達と飯食べました。
本も久々に購入。意味のある行動をする。
久しぶりにブログ更新します!


今まで書いてなくてすいませんでした。
もし、今でも読んでくれていた方がいらっしゃっるなら感謝します。


これから再び更新していこうと思います。
今後もよろしくお願いします。

一昨日ねじまき鳥クロニクルを読み終えました。
そこで今日、新たにまた村上春樹の本買いました。
「羊をめぐる冒険」
まあゆっくり読みます。

時間と場所。
少なくとも僕にとって今獲得したいものです。
獲得という表現はおかしいですね。
ある時間とある場所がほしい、という方がいいかもしれません。

僕は先を見すぎているんではないのだろうか?
今というものをもっと主張したい。
今をもっと大切にしたい。
今というものを約束する。

全てのものが数式に置き換えられるほどに僕は数学の世界に浸る必要がある。
全てのものが相関し合い、関連性を持ち、世界史の知識が僕の周りを僕を中心とする銀河系のようにあふれるほど僕は世界史の世界に浸る必要がある。
僕は、数学を母国語とする人間と会話し、椅子に座って対峙し、インテリに世界史の知識を勝負しあう。

意味わからない文になってしまいすいません。
まあ、とにかく流れに乗ることですね。

そして本質をつかむ。

どうも、日記休んでてすいません。

最近この自由のない中途半端な都会町に嫌悪を覚えます。
何処にも自由が存在しない町。
外面上穏やかな光景にひそむ非論理主義。

なぜ、僕がそこにいることがいけないのでしょうか?
なぜ、彼が僕に命令する権利があると思っているのでしょうか?
彼らは人に自由を提供し、喜びを与えている気になっている。

確かに、自由とは牧場の柵のようなある限界というものの中に存在しているのかもしれません。
しかし、人から支給される自由などは真の自由ではありません。
それは「ジユウ」という単なる言葉、文字の集合体にすぎません。
真の自由とは、その人個人の精神からくるものであり、認識がもたらすのです。

人は義務というものと同時に権利というものも所持しています。
権利の過度の主張は利己主義へとつながり、それは権利ではなくなります。
しかし、人々は共存という共同体の中で、社会ダーウィニズムが台頭し出した今日でも、自分の権利を主張できると思います。
それには、自己責任が必ず伴いますが、社会における、いや自分自身における自由とは、自分でもたらし、それを守ろうと努めることから成り立つのかもしれません。

ちょっと感情的な文になってしまいましたが、我々が住む自分自身の町を考えることは必要なことですよね。

最近やたらめったら寒いですね。
防寒対策を色々考える今日この頃。

精神的なぬくもりというものは大切なものです。
でも、物質的、表面的なぬくもりも大切ですよね。

確かに精神的に温かい感情、雰囲気の中では、表面的、体外温度的寒さは和らぎます。
というか和らいだ気分になることができます。
しかし、やはり現実的には、精神的だけでなく、物質的なぬくもりというものが必要なんだと思います。

これは帰納的な例の一つですが、このことは色んなことに言えると思います。

また、精神的ぬくもりとは認識によってさらに温まることができます。
そしてそれは表面的なぬくもり認識にも関連しています。
ということは、表面的事物は精神的な認識によって構成されているのかもしれませんね。


今日Suzukiの社長鈴木氏の、ある雑誌に掲載されている文を読みました。
「経営とは数字である」
鈴木氏の経営哲学の根源です。
「数字は、相対値で見るのではなく、絶対値で見る」
この考えはとても参考になりました。
僕自身の考えがまとまっていないので、まだはっきりと整理できてないので僕自身の見解はまた書こうと思います。

P.S レディオのSail us to the moonを最近よく聞いてます。

今日は模試でした。
もっともっと努力が必要ですね。

そういえば、僕は図書館というものを利用したことがほとんどないんですよね~。
皆結構勉強しに行ったり、本かりたりするらしいです。
また行ってみようと思います。

すいませんが、今日はこの辺で失礼します。

今日必然的偶然で、元バンドメンバーに会いました。
電車を待ちながら二人で、かつてのバンドの思い出や現在のことなど色々語りました。

彼は新しいバンドに今所属しているんですけど、そのバンドでプロ目指して大阪に引っ越すらしいです。
僕のバンド友達にはプロを目指している友達が何人かいますが、その目標のために真剣にそれを実行にうつしたのを見たのは彼が初めてです。

バンドだけに限らず、色々な団体で言えると思います。
それは同士であり、仲間であります。
そこには、共有の夢や思い出、そして絆が存在しています。
それはバンドメンバーにだけ通じる以心伝心的なものなんだと思います。

そして今日は小幡と久しぶりに会って、先日の曲に伴奏をつけてもらいました。
やはり彼との音楽作業は楽しいですね。

皆でかつてのライブビデオを見ました。
かなり変化したと思います。

今日は懐かしいメンツとの一日でした。