どうも、日記休んでてすいません。

最近この自由のない中途半端な都会町に嫌悪を覚えます。
何処にも自由が存在しない町。
外面上穏やかな光景にひそむ非論理主義。

なぜ、僕がそこにいることがいけないのでしょうか?
なぜ、彼が僕に命令する権利があると思っているのでしょうか?
彼らは人に自由を提供し、喜びを与えている気になっている。

確かに、自由とは牧場の柵のようなある限界というものの中に存在しているのかもしれません。
しかし、人から支給される自由などは真の自由ではありません。
それは「ジユウ」という単なる言葉、文字の集合体にすぎません。
真の自由とは、その人個人の精神からくるものであり、認識がもたらすのです。

人は義務というものと同時に権利というものも所持しています。
権利の過度の主張は利己主義へとつながり、それは権利ではなくなります。
しかし、人々は共存という共同体の中で、社会ダーウィニズムが台頭し出した今日でも、自分の権利を主張できると思います。
それには、自己責任が必ず伴いますが、社会における、いや自分自身における自由とは、自分でもたらし、それを守ろうと努めることから成り立つのかもしれません。

ちょっと感情的な文になってしまいましたが、我々が住む自分自身の町を考えることは必要なことですよね。