平年並みに梅雨が明けた暑い木曜日、広大な砧公園の中にある世田谷美術館に行った。前回は10年前だった。
砧公園は14年前のスケッチがあったが、繪ブログを始める前だったのでスケッチのみ。
田園都市線用賀駅から住宅街の中を右折左折しながら歩くと、目印の芸術的なプロムナードの突き当たり(環八)が砧公園だ。
公園の北端の美術館までは10分ほど。
今回の展示会は、1919年に28歳で渡欧し、スペインのマドリッドを拠点に西洋絵画のリアリズムの表現を日本精神文化に根ざした日本独自の油彩画のあり方を追求した洋画家須田国太郎(1891-1961年)の作品展。
一般料金1400円で年齢を口頭で伝えたらシニア1200円、若作りな出立ちだったので(白い口髭はあるが)、年齢証明のつもりで運転経歴証明書(免許返納証明)を提示したら、何と更に団体扱いの1000円で入場!ラッキー。
展示室までの涼しい空中廊下から暑そうな砧公園の林を望む。
例によって、入り口で鉛筆をもらっていよいよ入館。
自宅の狭い和室(アトリエ)で意外にもネクタイ姿で絵筆をとる画伯に出迎えてもらった。
彼の絵は、ゴッホ、セザンヌ、ユトリロの特徴を合わせたようなタッチだが、その構図は独特なものがある。
この初期の絵「機関車庫」(1914年)に似た絵は以前どこかで見たことがあるようなないような。
構図が単純にしてダイナミックな「唐招提寺礼堂」(1932年)
独特の大胆なシルエットで動物の立体感が生き生きと描かれた作品も多かった。
今回の展示会のポスターにも使われた「鵜」(1952年)
日本の美と言える「窪八幡」(1955年)
息抜き的に展示された「グリコのおもちゃコレクション」の意外性に思わずホッコリ。(「おまけ」とは呼ばないほどの強い愛着があったよう)
グリコのおまけ、今でもまだあるのかなあ?
最後のセクションでは、まるで動画のように生き生きとしたデッサンと共に展示されていた日本的な幽玄のまなざしの世界の作品。
画伯が海外でも愛用した品々の展示も。
ご子息須田寛さんによる思い出話のビデオ
平日で参観者も少なくゆっくりとした約2時間の鑑賞を終えて、地下のカフェ「セタビ」の中で☕️休憩。
そして、帰りはサンクンガーデン経由で。
面白いアングルだったので今日はここで一枚。
折角だから1986年竣工の特徴ある建物を外から。
逆三角形の庇の左奥にはフランス料理レストラン。
日陰伝いに公園へ向かう。
広さは39万平米で新宿御苑の約2/3だが、建物がほとんど無いのでもっと広く感じたな。
迷子になりそうなので正門方向へ。
帰りは、用賀駅ではなく二子玉川駅に向かって環八通りを歩くいてみた。
東名高速東京料金所方向へ向かう首都高3号線の下をくぐる。
しばらく歩くとお目当てのクラフトビールの店を発見。
元々はうなぎ屋さんだったのでUnagiya Taproomだ。
渇いた喉に染み込んだビールは、お気に入りのスッキリ味のFUTAKO ALE。
ここでも醸造しているのでタンクを見ながらビールが楽しめる。
ここで、偶然にも本店出社前の代表にも会えたので、次のビール用に再び環八通りを歩いて下って、久しぶりの二子玉川駅の柳小路の本店にもご挨拶方々立ち寄ってみた。
代表の席に相席させてもらい、お友達の香港出身のカナダ人の若者も交え、香港、バンクーバー等の話やうけない昭和の親父ギャグも交えた国際交流で盛り上がり、大変愉快に締めることが出来た暑い梅雨明け初日だった。
今日の歩数は1万4千歩超え。
よく歩きよく飲みました。
NO BEER, NO LIFE!!