旧岩崎邸庭園再訪 | ロドさんの繪ブログ「一期一繪」

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団塊の世代のラストランナー。想い出深い海外駐在当時も振り返りながら「日本再発見」ということで国内あちこちのスケッチを織り交ぜて気ままに、「人生はFESTINA LENTE(ゆっくり急ごう)」

 

暖冬のいい天気が続いたが、学習の日は生憎朝から曇り空だったので、ジャケットの上にコート、折り畳み傘持参の重装備で湯島まで出かけた。

 

今日の目的は「文化庁国立近現代建築資料館NAMA開館10周年記念アーカイブズ特別展」だが、その前にせっかくなので手前の「旧岩崎邸庭園」経由で。

 

前回来たのは、コロナ前の2019年7月だから4年ぶりの訪問だ。

 
 
地下鉄湯島駅で下車して不忍池からは、前回と同じルートで。
 

 

まだ十分綺麗な紅葉と銀杏が出迎えてくれた。

 

密集した池の蓮は見事な立ち枯れだが、これを天文学的な数の蓮を池之端のハスからハスまで全部を伐採するのは大変だろうな、と勝手な心配。

 

夏には緑一色の池は見事なんだが、今はもう冬。

(2019年7月撮影)

 

場所柄、湯島界隈は私好みのランチの場所が見つからない。

 

思いつくのは、2015年に香港時代の異業種同期会(香港48会)の自費出版記念誌「団塊の世代:香港48会の航跡」の完成記念の会で使った「東天紅」

 

も考えたが、一人には敷居が高いのでもう少し歩いていて見つけた、湯島天神への参道にあるビルの2階に寄席文字「絵馬亭」の赤い看板に誘われて入ってみた。

 

店内の壁一面を埋め尽くした夥しい数の色褪せた絵馬。

 

客席(30席程度)は全て小上がりの掘り炬燵席。

靴を脱いで上がった湯島天神への参道が窓側の席で頼んだ本日のランチはマグロの漬け丼。

 

例によって店の歴史を女将さんに店の年代を聞いたらこの店はこの場所でもう40年以上だとか。

 

横の壁に掛かっていた絵馬はかなり年季の入った貴重な一枚のようだ。南部の絵馬師から開業祝いにでも贈られたのだろう。

昭和56年11月、1981年、42年前といえば、私はインドネシアに駐在していたな。

 

この店に飾られた絵馬の枚数は数千枚だとか。

 

アリゾナのスコッツデールの西部劇スタイルの広大なBBQガーデンの店内の天井と壁一面には名刺が数万枚、切られたネクタイがも数千本だったことを思い出しながら、白梅商店街(学問の道)を進む。

 

学習の日に学問の神様へ参拝、とは縁起がよろしいようで。

 

そして、再び湯島駅前から重要文化財で都立文化財庭園の「旧岩崎邸庭園」へ。

 

立派になっていた管理事務所で入場券(シニアは半額)を。

 

緩やかな砂利の坂道(馬車道)を登る。

 

突き当たりで左に曲がると、あたかも銀杏の色に染まったような邸宅の建物(洋館部分)が見えてきた。

 

ここで、一枚。

 

右手にある大きな銀杏の樹の推定樹齢は400年だとか。

 

よく見れば幹から垂れ下がった枝のようなものが見えるが、説明は下の写真で。

 

イチョウ

 

コロナでの空白の4年越しの恋が実ってやっと建物に入れた。

完成は明治29年(1896年)で、設計は英国人建築家のジョサイア・コンドル(1852-1920)だ。

 

ジョサイア・コンドルは明治10年(1877年)日本政府の招聘により来日して工部大学造家課程(現・東京大学工学部)教師として日本人建築家の育成に尽力した。その後には三菱の顧問として丸の内オフィス街計画を担当し、日本で最初のオフィスビル三菱一号館(1894年)を竣工させた。それ以外にも数多くの著名な建物(※)の設計を担当完成させている。

 

(※)青字は取り壊し済み

鹿鳴館(1883年)、駿河台ニコライ堂(1891年)、高輪岩崎邸[現・三菱開東閣](1908年)、綱町三井倶楽部(1913年)、古河邸(1917年)等

 

看病した妻(日本人)の死後10日の1920年6月21日に麻布で永眠し、共に護国寺に埋葬されている。

 

旧古河邸庭園(国指定名勝)

 

 

さて、本題に戻る。

 

荘厳な玄関のステンドグラスも銀杏色に染まっている。

 

彼は英国ロンドン大学で建築学を学んだ後は設計事務所にもいたが一時ステンドグラスも学んでいたことを象徴する作品だ。

 

 

赤絨毯の階段に続く玄関内にはアクリル板でカバーされた精巧なモザイクタイルの土間。

 

 

廊下の照明もかなりレトロ。白熱フィラメントの造形も美しい。

 

西玄関にも美しいステンドグラス。

 

2階への階段室も雰囲気がある。

 

1階東部分の婦人客室の天井は見事な絹の刺繍張り。

 

1階ベランダの床に張り詰められたタイルは英国ミントン社製。

 

彫刻された内部柱や階段の手摺は英国伝統の技巧の極み。

 

和館へ進むと一転して純和風。

 

館内の見学が終わって、和館の庭越しに洋館を眺める。

 

そして、南側から全景を。

 

当時の1/3になったと言え都心では貴重な広い(5,000坪)の庭から南端に引いて全景を。

 

右に見える平屋が撞球館、洋館の後ろの建物は、20年ほど前の上海勤務時代に一度だけ診てもらったことがある東大附属病院。

 

林の一面の銀杏の落ち葉が美しい。

 

新しくできた管理所にはゆったりとした休憩スペースも。

 

洋館の見事な東面。

 

その前にひっそりと佇む撞球館も良い。

洋館とは地下トンネルで繋がっているらしい。

 

17世紀の英国ジャコビアン様式の洋館とは全く違う風情の建物は、スイスの山小屋風で深い軒の大屋根や校倉造り風の外壁はアメリカンゴシック流れを汲むデザイン。

 

時の流れを受け止めた建物と今でも「時の風が吹く庭園」のあいまったタイムスリップを満喫できる素晴らしい異空間だった。

 

紅葉イチョウ

 

そして、すぐ西隣にある「国立近現代建築資料館」へは門裏のガードハウスで名札ストラップをもらって。

 

一階の窓越しに先ほどの洋館と和館が見えるという気の利いた設計。

 

2階からはこんな感じ。

 

入館前に事務室で無料で図録をいただいたので館内の展示物(主に原図、コピー図、写真)の写真を撮るのを忘れた。

 

無料で貰った図録はこれ。

さすが文化庁!太っ腹!

 

当展覧会のホームページはこちら

 

これで旧岩崎邸庭園には夏と冬に来たので、次回は春に今回観なかった洋館の2階も含めて。

 

お隣さんの文化庁国立近現代建築資料館の来年の新しい企画展も楽しみに。