東京都美術館でコルビュジエ | ロドさんの繪ブログ「一期一繪」

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団塊の世代のラストランナー。想い出深い海外駐在当時も振り返りながら「日本再発見」ということで国内あちこちのスケッチを織り交ぜて気ままに、「人生はFESTINA LENTE(ゆっくり急ごう)」

 

寒い曇り空の中、上野まで出掛けた。

 

目的は、「東京都美術館」で「近代建築と市民の会」が主催した「近代建築に親しむセミナー③コルビュジエと3人の弟子-前川國男、坂倉準三、吉阪隆正」だ。

 

地下鉄

 

上野に行くにはいろんなルートがあるが、最短最速の半蔵門線表参道駅乗り換えで地下鉄銀座線で上野駅に着いたのは丁度お昼過ぎだったが、とにかく駅舎内もアメ横界隈もすごい人。インバウンド客も多く、長かったコロナの夜明けはもう近い。

 

駅ビルAtre2階で見つけたへぎそばの店での軽いランチの後、JR上野駅屋上(パンダ橋口前)の広い陸橋を通って、寒い北風の中を上野公園へ。

 

上野公園口出口の正面にある「東京文化会館」(1961年)は、東京での初の本格的なクラシック専用のコンサートホール。

設計は、少し先に開場した「神奈川県立音楽堂」(1954年)と同じ「前川國男」(1905ー1986)だ。

 

 

その特徴ある大きなピロティーには、それに相応しいは安井都知事の力強い胸像。彼は、終戦直後の1947年以来12年の都知事在任中に苦難な首都東京と首都圏の復興に尽くし、またその復興の象徴となった1964年の東京オリンピックを招致した実績は大きい。彼の最期の偉業だったこの東京都文化会館で静かに今も首都の発展をここから見つめているようだ。

 

その道を隔てた北隣に対峙している建物は、前川國男が師事したル・コルビュジエの設計した「国立西洋美術館」。

 

いつもは、前庭にも人が一杯なのだが、今日は、週末なのに誰もいない(相変わらずロダンは考え中でカレーの市民も協議中)と思ったら、1月23日から3月17日は館内整備のため休館中だった。(次回の展示準備?)

 

ここに前回来たのは、耐震リニューアル直後の昨年5月。

 

前回買った「ル・コルビュジエ」のスケッチを入れたお気に入りの街歩き用のトートバッグと一緒に記念撮影。

 

人影の無い前庭の向こうには、先ほどの「東京文化会館」

 

そして、動物園方向へZOOっと進んだ林の右奥が今日の目的地の「東京都美術館」(1975年)

 

日本で最初の公立の美術館「東京府美術館」として誕生したのは1929年で、その跡地に建てられた現建物(新館)も前川國男の設計だ。。

 

最初にここを訪問(ブログ)したのは、6年前だったかな?

 

余裕を持って出たので、2階にある「精養軒レストラン」で、コーヒー方々、一枚。

 

早めに来て良かった。

開場の30分前にはすでに列が。

 

講演に先立って、主催者事務局からの注意事項の説明

カメラ撮影は自由グッド!

 

講演会の趣旨の説明(非常に丁寧な担当者)

 

そして、いよいよ、本日の講師の小川格氏(新建築社「新建築」の元編集者)によって、ル・コルビュジェの作品のスライド説明から講演が始まった。

 

紹介された小川氏のブログはこちら:

 

配布された手元資料はこの2枚

 

分かりやすいマトリックス年表

 

主な作品

 

 

◆ル・コルビュジエ

ル・コルビュジエ(仏)は、フランク・ロイド・ライト(米)

、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(独/米)

と並んで、「近代建築の三大巨匠」の一人と言われている。

 

「300万人の現代都市」(1923年)

このスクリーンとほぼ同じ大きさの製図紙に100年前に描いた都市はまさに現代の理想都市そのもので、日本の公団住宅のお手本だ。恐ろしいほどの先見性!

 

また、彼の言うコンクリート建築の5原則は次の通り。

 

1)ピロティー

2)屋上庭園

3)自由な平面

4)水平の連続性

5)自由なファサード

 

 

「ユニテ・ダビタシオン」(1952年)

[資料写真の上から2番目]

 

因みに、丹下健三の設計した広島平和記念資料館の2階部分の高さに相当する高いピロティーのコンクリート柱はこの住宅のピロティーに影響を受けていたらしい。

2019年11月撮影

 

そして、彼と通じるところがある弟子の作品から。

 

◆坂倉準三

「パリ万国博日本館」(1937年)

[資料写真の最上段]

日本の伝統的建築美とモダニズムの理念を統合したデザインで、古典的な日本建築に拘った前川國男案を覆したデビュー作品。

 

「神奈川県立近代美術館鎌倉館」(1951年)

[テキスト写真の上から2番目]

師匠ル・コルビュジエと弟子坂倉準三が立っていた足跡がペンキで記されていたようだが、今は新しい所有者「八幡宮」によって消されたらしいが、この建物は、兼ねてか絵ブログにしたいと思っているがまだ行けていない。

 

◆前川國男、坂倉準三、吉阪隆正(共同)

「国際文化会館」(1955年)

連続する2階ベランダの意匠が特徴的。

 

(2013年大学卒業40周年同窓会)

 

「シルクセンター」(1959年)

[資料写真の上から3番目]

 

◆吉阪隆正

外交官を父に持ち、幼少時にはILO大使だった父に同行しスイス・ジュネーブで過ごし、また、早稲田大学の教員時代にフランス政府給付留学生を1年延長して、3名の中では吉阪隆正だけが、戦後の変革期にあったル・コルビュジエに師事(1950年-1952年)している。その時に、ル・コルビュジエ設計の上述「ユニテ・ダビタシオン」の竣工式に同席もしている。

 

また、作品(上から2番目)にある住宅「ヴィラクウクウ」は、取り壊し計画を知った俳優鈴木京香によって買い取られているそうだ。

 

 

 

そして、最後に、日本での「ル・コルビュジエ」作品といえば、

世界遺産「国立西洋美術館」(1960年)

ル・コルビュジエの非常なラフなスケッチを基に、前川、坂倉、吉阪の3名が実施設計を行って、彼の日本での唯一の作品は実現に至った。

 

なお、本館西・北の増築部分は前川國男の設計だ。

 

 

結論として、

「日本の近代建築へのコルビュジエの影響」

 

毎年、原則一名(組)に与えられる建築界のノーベル賞と言われる1978年創設のプリツカー賞の過去44年の受賞者47名の内、国別で最多(米国と同じ)の8名が日本人だということ、そして、日本の近代建築作品が今世界的に高い評価を受けているのは、ル・コルビュジェの影響が大きいと思う。

 

だから、街歩きはやめられない。