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インテルの歴史に刻まれる3冠を決めた一撃…。「10+」満点評価が付いたミリートはまさに完璧

UEFAの公式ツイッターが12日ディエゴ・ミリートのインテル時代のゴールを紹介した。

 

元アルゼンチン代表のミリートは2009/2010シーズンに驚異のパフォーマンスを魅せた。

 

そのハイライトともいえる一戦がサンティアゴ・ベルナベウで行われた

バイエルン・ミュンヘンとのチャンピオンズリーグ決勝だ。

 

ミリートのゴールで先制していたインテル。

UEFAが紹介したのは70分の2点目だ。

 

エトーからのパスを受けたミリートはファン・ブイテンと対峙。

ボールをさらして中に仕掛けると深い切り返しでマークを外して

ペナルティエリアに侵入しゴールネットを揺らした。

 

イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』は翌日の紙面で

ミリートに「10+」と異例の最高評価を付けて絶賛。

インテルを3冠に導いた男のスーパーゴールは

インテルファンの感情を爆発させた。

 

 

インテルはヤオセロナ戦での意味不明のキムチ券のせいでモッタが出場停止

 

バイエルンはリベリが不在

 

2点目は動画で7分頃のカウンターアタック

https://www.youtube.com/watch?v=U0xAjmENobw

 

 

当時ふじで観たんだが

実況のAが高めの声で絶叫するのがね・・・

 

失意の天才ファンタジスタ、復活のPK奪取と成功に再脚光 「呪いを振り払った」

イタリアのサッカー専門サイト「トゥットメルカートウェブ・コム」

における過去の同じ日付に起こった出来事を振り返る企画で

1998年6月11日のイタリア代表とチリ代表の一戦をクローズアップ。

 

元イタリア代表FWロベルト・バッジョが

相手の手にボールを当ててPKを獲得したシーンが再び脚光を当てている。

 

この年フランス・ワールドカップ(W杯)のメンバー入りを果たしたバッジョだったが

主役は同じ“ファンタジスタ”に分類されるタイプでも

MFアレッサンドロ・デル・ピエロになると目され

「10番」もデル・ピエロに与えられていた。

 

しかし若きファンタジスタはシーズン最終戦となった

UEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝レアル・マドリード戦での負傷を抱えてW杯に突入していた。

そうした事情もありW杯初戦のチリ戦でのスタメンには

「18番」を背負ったバッジョが起用されていた。

 

そのバッジョは前半10分DFパオロ・マルディーニによるロングフィードに走り込むと

後ろから飛んできたボールをダイレクトで繊細にコントロールしたパスを送る離れ業を見せて

FWクリスティアン・ヴィエリの先制点をアシスト。

 

しかしそこからイタリアはチリのFWマルセロ・サラスに2ゴールを奪われて逆転を許した。

 

初戦を負けで入りたくないイタリアに残り時間が減っていったなか

残り5分に近づいたところでペナルティーエリアのわずか外の右サイドでボールを持ったバッジョは

目の前に立つ相手のわずか横をすり抜けるようなコースを狙って中央へパス。

 

それがペナルティーエリア内に立っていた

相手の腕に当たってハンドの反則となり

与えられたPKを自ら蹴り込んで2-2の引き分けに持ち込んだ。

このPK成功は「パサデナの呪いを振り払った」とも称された。

 

94年のアメリカW杯でバッジョは決勝ブラジル戦のPK戦で

5人目に登場して失敗しその時点でブラジルの優勝が決まる悲劇の主役となっていた。

 

後に国際サッカー連盟(FIFA)はハンドのルールの基準に照らし合わせれば

ミスジャッジであるという見解も示したが当時はバッジョが

相手の手を狙って蹴ったとまことしやかに語られたプレーだった。

 

現在はハンドのルールが明確化されPKに絡むことから

ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)のチェックが入る事情を考えれば

PKは与えられないだろう。

 

それでも失意の4年前から不死鳥のごとく甦ったバッジョを

世界に印象付けたという意味ではインパクトのあるPK獲得と

その成功だったのは間違いないと言えるだろう。

 

 

準々決勝のフランス戦でアルベルティ―二の後方からの

フランスのディフェンス陣とキーパーの間への山なりパスに

ペナルティーエリアに走り込んでボレーで合わせるも

十数センチずれてポストの外に外れてしまったシュート

蹴るタイミングがコンマ何秒遅ければ入ってたかもね・・・

あの手この手で勧誘も…元インテルDF、レアル移籍を断り続けた先にあった“成功”

現役時代にインテルで活躍した元コロンビア代表キャプテンのイバン・コルドバ氏が

レアル・マドリーからのオファーを断り続けていたことを明かした。

 

スペイン『カデナ・セール』が報じている。

 

 173cmとセンターバックとしては小柄ながら

高い身体能力を生かしてインテルやコロンビアの守備を支えたコルドバ氏。

2000年にアルゼンチンのサン・ロレンソからインテルに移籍する際

レアルからもオファーがあったという。

アルゼンチン『サン・ロレンソ・プリメーロ』のインタビューで語っている。

 

「サン・ロレンソにいた頃レアル・マドリーが私のところに来て

重要なオファーをしてくれた。

 

両クラブの関係は良好でスペインのチームはインテルよりも高いお金を用意し

より良い契約を提示すると言ってくれたんだ」

 

 しかし、もともとイタリア行きを望んでいたコルドバ氏は

サン・ロレンソの会長に「気持ちは変わらない」と伝え

「インテルにしか行きたくない」と自分の意思を明確にした。

 

これによりレアルとの関係を断ち切ったコルドバ氏だが

インテル時代にも同じ経験をすることになる。

 

イタリア『ガゼッタ・デロ・スポルト』が伝えたコメントの中で

「私はイタリアのクラブのオーナーであるマッシモ・モラッティに

何年もそこにとどまると約束したがレアル・マドリーはまだ私を狙っていた」と打ち明けた。

 

コルドバ氏によると、ステバン・カンビアッソ氏がレアルからインテルに移籍した際

レアル会長のフロレンティーノ・ペレス氏がコルドバ氏を説得するよう

元アルゼンチン代表MFに頼んでいたようだ。

 

それでも「インテルにいたかった」と再びレアル行きを断ったコルドバ氏。

その理由として「まだ(インテルで)何も勝ち取っていなかった」ことを挙げている。

 

コルドバ氏はその後セリエA、コッパ・イタリア、スーペルコッパ・イタリアーナ

UEFAチャンピオンズリーグ、クラブW杯の優勝など

 

インテルで数々のタイトルを手にした。

「あの決断は私が(レアルで)受け取るであろうお金以上に報われるものだったよ」と振り返っている。

 

まあ、レアルに移籍したとしてもベンチ入りすら危うかったかもね