教主様を言い訳にしていませんか?被害者増の理由

以前こういうことを直接注意されている人がいたように思うのですけどね…。

教主様を言い訳にしていませんか? ― 被害者が増えているように見える理由

最近、組織の中で気になることがあります。

教主様のお名前やお言葉が、本来の信仰ではなく、自分を正当化するための言葉として使われてしまう場面です。

段取りが悪く、多くの人を待たせた。
準備不足で周囲が後始末をした。
締切に遅れ、誰かがフォローした。

それでも最後は「奉仕できてよかったです。ありがとうございます。」という言葉で終わってしまう。

感謝は口にするけれど、「申し訳ありませんでした」「次はこう改善します」という話にならない。それが何年も繰り返される。

私は、このことが被害者を増やしている一つの原因ではないかと感じています。

 

「奉仕できてよかった」は反省の代わりにはならない

奉仕できたことへの感謝は大切です。

しかし、その言葉が、自分の不徳や失敗を覆い隠す役割になってしまえば、本来の感謝ではありません。

奉仕できて満足しているのは本人だけで、実際には周囲が後始末をし、時間を失い、予定を崩し、負担を抱えていることがあります。

その現実を見ないまま「よかった」で終われば、改善は起こりません。

 

教主様のお名前が自己正当化に使われてしまう危うさ

本人は教主様を敬っているつもりでも、周囲には違って見えます。

「教主様のためだから。」
「教主様が喜ばれるから。」
「奉仕だから。」

そう言われると、問題提起する人のほうが悪いような空気になってしまう。

結果として、周囲には「教主様がこのやり方を認めている」と映ってしまいます。

本来そんなことはないはずです。

教主様のお言葉は、自分を守るためではなく、自分を正すためにあるものです。

 

遅くまで働くことが当たり前になっている人ほど気を付けたい

もう一つ気になることがあります。

自分自身の仕事が整理できていないために、いつも遅くまで作業している人です。

本人は「一生懸命奉仕している」と思っているかもしれません。

でも、本当に原因は奉仕量でしょうか。

仕事の優先順位が整理されていない。
段取りが組めていない。
途中で仕事が増え、最後までしまえない。
誰かが後始末をして完成している。

こういう状態が積み重なると、毎日遅くなること自体が当たり前になります。

そして、その働き方を周囲にも求め始めます。

「奉仕だから遅くなる。」
「みんな頑張っている。」

そう考えてしまうと、仕事の整理をするという発想そのものがなくなります。

 

本当の原因は「忙しさ」ではなく「整理不足」のこともある

忙しいことと、仕事が整理されていることは別です。

整理されている人は忙しくても区切りをつけられます。

一方で整理できていない人は、仕事が終わらず、次の日へ持ち越し、また周囲が補うことになります。

だから被害者が増えていきます。

任せているのではなく、最後の最後を誰かに始末させている状態です。

これは奉仕を任せているのではなく、後始末を任せているだけです。

 

立場に甘えると客観視できなくなる

役職や責任ある立場になるほど、自分を見直すことが難しくなります。

「自分は責任者だから。」
「奉仕している側だから。」
「教主様のためだから。」

そう思い続けると、自分の段取りの悪さや周囲への負担が見えなくなることがあります。

改善は後回しになり、保留が積み重なり、態度だけが大きく見えてしまう。

それは周囲には横柄さや甘えとして伝わります。

 

教主様を理由にするのではなく、教主様の教えに照らされる

教主様を敬うとは、教主様のお名前を使って自分を守ることではありません。

迷惑をかけたら謝ること。
原因を整理すること。
仕事を改善すること。
同じことを繰り返さないこと。

そこまで含めて初めて、教主様の教えに照らされる信仰になるのだと思います。

教主様を自己正当化の言い訳にする人が増えるのではなく、教主様の教えによって自分自身を改める人が増えること。その積み重ねが、本当に人を救う組織につながるのではないでしょうか。