ある県のパワハラ問題がニュースでもyoutubeでも話題ですね。その中で不要不急の休日の指示メールのことが取り上げられていたのでそれに関連して少し書いてみましょう。

もし教団でもこういうことが頻発していたり、お休みの日に「今日はお休みでした」という「定時報告を強制」していたところもあるとかないとか聞いたなと思ったのでそれが本当ならその管理者は程度低いしダイバーシティを掲げる教団を貶める行為と思ったんですよね。

 

最初に題名にあるASDが悪いという話ではなく、かみ合わせが悪い立場にいるとこういうことが起きるかもねということです。何事にも強み弱みはあるのです。それ以前に人に対する思いやりの問題です。ASDと人格は関連はあっても本質的には別問題と考えています。

・労働問題弁護士ガイド
・業務時間外のメールは許される?違法性や許される時間帯について

 https://roudou-bengoshi.com/roudoumondai/21247/

 


明主様は人の何倍も仕事をされましたが、規則正しい動きでした。そして専従者、信徒が夜休んでからも不要不急でたたき起こしてということはなかったようです。

何気ないことのようで、実は明主様、とてつもないマネジメント能力のある方だったのでしょう。

 

また教団発行の「景仰」からも推察できるように私はどんな人でも使えることをおっしゃっていましたね。

また今でいう幹部みたいな側近で夜遅くまで付き従っている人もいましたが、なぜそれができたのかというと、仕事や決まりではないのです。

ちなみに法律では管理職などは休日の対応をしてもいいようですが、それ以外の職員は法で守られています。細かく言うと休日に仕事関連の問い合わせをすると、その分給料が発生します。

マネジメントを見直さないようだとごり押しだけになるので、そんなものがいつまでも続くものではありません。
問題点は上のリンク先にありますね。

不要不急なら権利の侵害になりますね。

パワハラになるでしょうね。認定されなくてもそうしていたという事実は残る。

これね上の立場からだと楽だから平気でしちゃうんですが、それをされた部下はたまったものじゃない。人によっては非常にストレスを感じたり不快に思う人もいます。体調を崩していたりするとなおのことですね。

LINEの悪いのは家族団らんしていたり、旅行していたり楽しんでいる時間に水を差す。こういうことに罪悪感ないようでは地上天国なんてできませんよ。

 

受け手も急ぎや緊急なら配慮してくれますが、

 

ただの点呼だったり通達だったり、それは絶対ダメですよ。

 

受け手に仕事の頭を使わせるのは休日を奪っているのです。心が休まらないという声はよく聞きます。

まともな企業ではそういうのはGmailとか一番は出勤しないと確認できない、しなくてもよい会社メールで送るようにしてもれなくするのです。これも一つの配慮なのです。

 

休日でなくても退勤5分前に仕事を振ってくる人もいます。ましてそれが休日前なら休日中に対応しろという指示になりますね。

相手の状況考えず自分都合のみなので、できる対応や配慮をそもそもしない管理者がいたりします。

 

今話題の方40代中盤ですが、この立場で人を見下す考えはどこからきているかと考えると、団塊世代の常識ではないか?と思うんですね。そもそものベースが人権を守る気が無いのがわかります。その子供世代ですね。

 

配慮してできないのならともかく、目下(そんなものは存在しないが)には配慮する必要を感じていないのです。

これが今回問題になっている、ニュースのもだし教団のもだけど、人の権利に無頓着問題の片鱗なんですよ。尾行盗聴盗撮といっしょ。それでは所属が違うだけ。

で、この辺の機微がわかるわからないのとASDと関係がありますね。

上の立場から権威ふりかざしているのですからね。

LINEについては問題として動画が上がってますね。

昔はきちんと次の日に前日の分を管理者が伝えれたのです。
今は会社に出仕中だけ確認できる会社メールです。

現実厳密にはいかないけれど、休みの日にこないだのこれどうだったっけ?とか、これについて連絡ください。としつつも実はそんなに急がない内容だと部下のパフォーマンスが落ちますよ。

また、もう退職した世代には、次の日対応をできる人が比較的多かったように思います。出来ない世代というとやっぱり〇〇〇世代って思ってしまうんですよね(笑)

部下に対しての責任がないのですよ。命令や問題が起こってからの対応を責任と思っている勘違い管理者がいますね。
だからいつも問題がおきまくる、だって事前に対応しないのだから、あたえりまえなんですよ。

その人は想定できないからそういう人生なのでしょうけれど、多くの普通の人はそんな馬鹿なことしません。だから一般的な部下が精神的にまいって休みまくるようになる上司いますよね?

この人がいるだけでパフォーマンスに多大な影響があるんですね。

想定ができないで対応が遅れたり、想定ができないで早まった行動をしたり、ブッキングはするし、人の話は無視するし、思い通りにならないとイライラをあらわにしている。などよく聞きますが、

↑管理者としてあってはいけないことです。これ全部あるようだと、明主様の一つでもあると失格という「威張るな」「怒るな」「早まるな」の三つを一人具備していることになってしまいますね。でも、平気でこういう人がいるのはさらに上の〇〇の世代が都合がいい人間を配置したせいもあると思っています。

 

景仰より

”御面会にいった時、『人に迷惑をかけてはいけない。そして、どんなことがあっても怒っちゃいかんよ』とおっしゃって下さり、白隠禅師の話を説いて下さいました。”


御光話録より

”私は以前治療士三訓を作り治療所へ貼らせた。「威張るな、怒るな、早まるな」です。三つの中何れか一つにでも該当したら治療士の資格がない。結局こういふ事により自分が磨かれるんです。”

・もしかしてこういう症状、病気の人いないですか?

さて、そういう困った管理者に当てはまるかもしれない一つの病気があります。

 

意図的にやっているのでなければですが、

ASDですね。いわゆる発達障害で自閉傾向のことです。

これには受動型ASDと尊大型ASDがあります。

ASDは基本的に自分の興味の話以外聞いていなかったり記憶になかったりが極端なようです。そのため本人無自覚の無視ということが発生します。もちろん100%ASDの人もいれば50%ASDの人もいるので傾向という言い方になります。

またADHD+ASDの人もいます。

ADHD 注意欠陥多動性障害ですね。
落ち着きが無かったり、ダブルブッキングとかしちゃったりしますね。

特に気を付けないといけないのは
尊大型は支配的なのですが、そこに策略などで相手を追い詰めたり、いうことを聞かせようとするのは尊大型ではなく、ASD+自己愛性パーソナリティ障害になります。

私はパーソナリティ障害を明主様の教えから邪神の支配下にある人と考察しています。調べれば調べるほど副霊の性質だからです。
敵意や悪意は発達障害のせいではありません。そうじゃない発達障害で善人は大勢います。

 

なのでやり方以前にまず邪神の支配からでなければなりませんね。

善意や感謝で生きている人の価値を下げるようなことをしないでほしいと思います。

 

傾向の強い弱いを分けなければ、私だってほとんどの人だって発達障害で何かしらの偏りがあると思います。

なので、敵意や悪意や支配の考え、これは発達障害ではなく魂や人格の問題です。

権利、所長とか教会長になっただけで偉いとか命令できると勘違いしている人間性の低い人いますからね。

もちろん信徒は教会長を立てるので、そのうえでうまくいかないのはその人の問題です。

それでASDは興味の範囲が薄い

 

また新しい経験で自分を改善することができない。傾向によるけれどそういう弱点があります。

つまり最初に覚えた方法や時代のままの場合がある。

 

想定ができない。予定を綿密に立てたり、1聞いて10覚るのは難しい。指示するほうは全部ひとつひとつ指示しないといけない。

ただ管理業務、マネジメント業務にそれは実質無理ですからね。点でとらえていると難しい。

ADHDが苦手な事、得意な事、ASDが苦手な事、得意な事がありますが、

どちらもコミュニケーションに難ありで受動型だと仕事をやりきらずに結果的に人に仕事を押し付けたり、分からないと相談という名目で人に代わりに考えさせたり、仕事をさせたりしますね。

そうしないとこなせないので仕方ないのですが、次に自分一人でできるか?というとそういうわけでもなく、組織全体では二度手間が発生します。


尊大型だと人の意見を聞かないという極端な症状を示すので、管理者とか企画者には向かないわけです。共感性に乏しいわけです。意見をまとめる前に意見が集まらない。本人無自覚で自分に都合の良い発言を探しているだけになります。集まらなければ、自分の意見を唐突に話してそれにするということもあるので、回数を重ねるほど形骸化していきます。

了解を得にいって断られると怒りをあらわにする子供みたいなところもあります。また執拗ですね。

 

そうなると周りは始終ご機嫌取りになったり、不快な表情もできなくなってきます。

本人は問題に気づかないでつぶしてしまったり、避けられてしまったりして、どんどん人が減っていきます。成果だけ見ると無理くり何かがでていたとしても、既存の信徒とかお客さんとかそういう人が大幅に離れていることがあります。

引き継いだ企画とかメンバーがどんどんいなくなります。その原因をASD側から認識することはできない。

だから悪者にしたり、苦労して対応した風な美談にしたりするけれど、こういう人ではなく離れた相手側を調べると全然違う場合があります。

ただ、尊大型が相手だと事実を突きつけると敵意を向けられます。だから部下も何も言わなくなっていきますし意欲も無くします。まともに取り合った部下は病気になります。信仰がなかったり自己肯定感が低いと自殺のリスクも高まると思います。信仰は自殺を悪いことと教えますからね。

 

ただ自己愛傾向だと率先してつぶしにかかられます。

 

話し合いとか謝罪とか、認め合いではなく、証拠を消そうとしたり、なかったことにしたり隠蔽したり、犯人をさがそうとしたりという普通では考えられない方向に動いたりもします。頭が悪いとそこでバレてしまうということもあるようですね。

 

変に頭がいいとここで隠蔽できてしまう。

そうするとさらに強制的に成果を出させようとしてさらに部下は追い詰められていくことになります。自尊心への欲求がすごいので他者への配慮に欠けます。

これは追い詰められている方のポテンシャルを知っているとわかりますね。パフォーマンス下がっていくし強みが発揮されないですからね。

追い詰められて苦しんでいるかもしれませんよ。で、それが続くとどんどん離職者が増えていきますね。しかも、そういう圧迫の中にいると本音は組織側にはでてこない。

なぜなら組織は上位者を守るように動くもので下の立場から話すには上位者に良識があって初めてできるのです。

 

興味が狭く、共感性の薄いASD型だと問題の対処の前に本人の評価と違い、実際は相手や周りの信頼がないので「肝心な」話を聞き出せません。聞いても聞いていないということもあります。また尊大型だと話さなかったことが分かると怒りを向けたりするのでやっかいなのです。上位である私の命令を聞かなかったとでも思うような振る舞いをすることがあります。そのため結果的に隷属した部下や人は言いなりですので本人は永遠に勘違いをしていきます。この辺の思考は到底健常者には理解できません。

そもそもASD傾向だと意見そのものを敵意をもって見るので話すこともできず、ただ部下は無理ににこにこしている状態になります。常に強いストレス状態にあるわけで、その状態で圧がかかればつぶれてしまうのは当然なのです。

 

本来はASDは変化を嫌うので自分の考え以外がストレスなのでそうなるようですが、管理者となった以上それを言い訳にするのはちょっと違うと思います。

そのため、お客様や信徒もコミュニケーションが成り立たなくて、気持ち悪くて怖くて逃げている場合もあるのです。それが人の意見を聞かないタイプ。

話を聞けないタイプだと共感性のある補助ができる部下とかいても生かせず、勝手に嫌われて勝手に責めて、勝手に自己正当化して減っていきます。

その原因ははたから見たら隠蔽されているように見えますが、本人は分からないので無視したり無かったことにしたり、周りにバレているものは美談にしたり改変をしたりします。問題を起こしている自覚、相手がなぜそんな反応をしたのかが察せれないので、改変している意識もありません。そのため、そこを指摘すると不機嫌になります。

 

その機嫌取りや、ことなかれ的に生きるように部下は制限されている状態なのですよ。

 

普通なら聞いてくと問い詰めていくと罪悪感で暴露ということもありますが、そもそも記憶にも罪悪感もないので、そういうことも望めなかったりします。それよりもなぜ私はこのような理不尽な問いかけをされているのかと犯人捜しをしたり機嫌が悪くなり攻撃的になることも想定されます。

これは思っている以上にまわりの人に負担をかけるのです。

 

だからそういう人は一見周りが言うことを聞くようになった風に見えたり、問題がというよりも、管理者の感にさわるようなことを言わなくなったように思ってまとまってきた。わかってきたと思うようですが、実際はその反対で問題が表面化するよりも深刻な場合があります。いつのまにか数年であり得ないほどの参拝者や活動信徒減少とかもあるかもしれませんよ。

こういう傾向があるんですね。これは本当に本人は記憶にもないのです。一緒に見ていても見ていない。それがASD系ですね。


そういうのと休日メールは関係があるかもですよ。

それくらいと思いますか?普通の人と程度や感覚が違う場合があるんですよ?

・すぐ返答いるからしかたなく送ってくる人。

 こういうひとは配慮も伴います。


・お構いなく送ってくる人
・聞くのも面倒だからと休日に何もないなら「何もない」と報告させる人

これらとは度合いが違うでしょ?

でもね、それらは会話の中ではいちように「それくらい」という表現になるのですよ。

信仰してるくせにそういう感性感覚が育たないようだといったい何を育ててるのかわからないですよね。

 

本当に成果を出していた一線級の人は、きびしくともこういうことがきちんとできていたりします。だらか指示したら部下である管理者もできていると思い込んでいるかもしれません。

 

天才ほどの共感性があり、配慮ができるから人を限界を超えて能力を引き出して動かす。

それができる人は実はごく少ないです。

 

天才に付き従う人の多くは真面目かもしれませんが、表面のことを言われた部分のことを一生懸命するのみで、それにともなう様々な細かいことはできていない場合があります。

 

それで、メールに戻るとよくある、言い訳にもならない理由は

「忘れる前に」

です。

ちゃんとメモって段取りしてマネジメントするのがあなたの仕事です。

それの責任を部下に押し付けたり、部下の休みにすべきことではありません。
相手に負担を強いているわけです。

ASD傾向があると人に責任を押し付けるんですね。

これくらいではなく、これくらいも配慮しないようでは、大きいことは協力してくれません。これは嫌がらせではなく、段取りできない人の言うことを真に受けるとその負担が大きいからです。

 

この細かいことからつながる大切なことが想像できないしわからないんですね。その場合、働きにくいにもほどがあると思っているのが実情です。

 

自転車があっても使うなと指示ていたり、自動車があっても遠くても歩いて行けみたいな指示をしている場合があります。
これはたとえですよ?たとえが分からない病気もあるのですが、つまり仕事の効率化ショートカットをさせないような制限を加えていることもあるのです。

 

想定ができない場合は、準備ができない。時間内で最大限のとはできなくていつの時も稚拙な企画になっていきます。これは企画が出来たりする部下や信徒からは頭の悪さが暴露されますしあきれられます。

だからといって、部下は段取りしてくださいともいいません。段取りできない人に段取りさせるともっと負担がふえるのです。笑えない事実です。語気が強くなるだけで、でも効率化はさせないのです。これの確かめ方もありますが確かめたところで改善しない理由も存在します。

だから末端に上のほうの都合のいい中間管理職を面倒見させていることにもなりますが、これはある意味毒親と同じで子供の立場の部下が親の立場である管理みたいな人のメンタルコントロールをさせられている状態です。さかさま現象です。

 

部下はうまくお世話されているようにふるまわなければならないこともありますね。尊大型だと立ててくれないことに非常な苛立ちを覚えるのです。自分の責任とはみじんも思いません。

 

またね、言葉だけ謝っていても、それで油断はできなかったりします。言ったとしても改善しないし問題点を示すどころか、私の指示が甘かったとか言ったりして、自分を顧みているようでいて他者に責任転嫁していたりします。

 

ちなみに家と仕事場で別の人格とか、よくふるまえるということはないのです。社会的に今の現役を牛耳っている世代の思想はだだもれなんですね。

 

今の時代それはもう限界をむかえていますね。その行きつく先は末端職員や信徒を殺すこともあるし、それよりも管理職にされてしまったひとがもっと悲惨なのです。

なぜなら自身の評価や認識と現実が大きく乖離しているので、それを見つめることができず…。ということも発生します。

 

自分の想定と違うあがめられ方だと必死にそういう風にするよう下位のものに求めますね。

これは退職して変になる人の理由でもあるでしょう。

私はねこれは緩やかな〇〇だと思っているんですよ。結構危険な事なんですよ。

だから、今回の休日LINEをきっかけに

・そうしているところがあるかどうか
・周りに指摘されていたかどうか(指摘されてもやめなかったかどうか)
・不要不急なのに仕事LINEとかの対応を部下や新人がしてそれを報告するようなものが残っていないか?時間帯はどうか?
・深夜に末端が急がないのに対応していないか?そういうLINEや電話の要求がないか?
・現在または過去に休日にお休み報告の強制があったか、なかったか、その期間がどれくらいか?


 加えて病気休暇中に仕事の指示や不要不急の連絡確認なども気になるところですね。そういう対応を受けた人の英雄化による強制みたいなのも昔はありましたよね。

 

 ここではLINEですが、最悪なのは電話ですね。これは対応を完全に求めていますし、休日に何でもかんでも電話してくる人は配慮は皆無です。信頼をすべき人ではない。

 

想定や想像ができない、自分の事だけですからね。自分がこうなら相手もこうなのです。

 

また信仰していると、時代について行ったりしている人もいますが、ぼーっとしているとずっと昭和の人もいます。男尊女卑がありありと出ている若い人もいるのは信仰という狭い世界に甘えている弊害ですよね。

 

これは明主様信仰の姿ではありません。それはね、明主様ではなくマザコンファザコンであり親崇拝であり先祖崇拝ですからね。

 

未来と目的に帰一し無限の進歩をするのが神様で、過去に帰一させ過去の事例で思考を奪うのが悪魔。

なので、これが年単位なら放置は組織のためにならないですよね。
特に「休日にお休み報告の強制があった」は存在していたらひどいですね。

調べていくと、本人は認めるということはないでしょうから、でてきたその証拠でのみ判断しないといけないですね。美談にされるとわからなくなる。

また新人とかだと善悪の判断ができなくて、ワーカーホリックだったり自分が悪いと思い込んでいて変にかばってしまうかもしれない。

ただね、遅くまで働いたり、残業するにも実は魅力ある上司の存在があったりします。そういう上司にあこがれる二世三世は動きだけまねて強制するので無理があるんですね。

魅力ある上司にならないで、結果だけ取ろうとする。
こういういいとこどりがASDっぽくみえる。

いいとこどりしている人は、物を組み立てたりも苦手な場合もある、1から10まで理解や確認しないので適当に組み上げるから出来上がらないという人もいます。
簡単なものでも組みあがらない人いるんですよ。

そのうえ対話にならないし、コミュニケーションがなく、聞いたふりによる強制的な指示ということですね。しないと承知しない圧。

それに付き合っている部下の精神状況はどうでしょうか?

私は魅力ある上司本人と真似事をしている人と見たことがあるんですが、魅力ある上司は配慮や段取りマネジメントが優れているので、部下も不思議と仕事ができちゃうんですね。で、まねている人はマネジメントしないでただ指示しているだけなんですよ。だから無理になる。本人だけいい気分でいる。

これも一つのパワハラの正体です。

一応もしかして職員の健康上必要なのかなと思って書いてみたんですが、僭越な事でしたでしょうか。


ついでに尊大型ASD傾向がある上司と付き合っている部下の精神状態も今度書いてみましょう。

また尊大型ASDへの場当たり的になりますが対処法なども書いてみようかなと思います。

ちなみに、ASDは強みがあるんです。指示を受けてそれをやり続けることはできる。これを配ってきてとか、これをこうしてということは人以上に根気よくできるんですよ。だから配置がおかしいんですよ。ASD傾向があるのが悪いわけじゃない。

でも最初に書いたように、人のせいにしたり美談にしたりするのは違う。それはパーソナリティの問題です。

 

・明主様の人事

景仰より

”明主様は人使いの名人であられましたが、普通ではあんな人がと思われるような人でも、結構その人のよい点を生かされて、お使いになっておられました。
 いつか、『私はどんな人でも使ってみせる』と笑っておられましたが、欠点よりも美点を引出して、その人を伸ばして下さいました。ですから、だれでもお側へいくと生き返ったように、輝いた顔をして働き出したものであります。”

 

一部の管理者が思っていることと明主様は全然違うでしょう。準備しないから指示に指示をするようにしかならないのです。たぶんこの準備の中身もわからないと思われますので、準備しろというと、準備しろという言葉がさらにしたの部下に飛んでくるだけになります。だからレベルが高い組織の管理者は誰でもいいわけではないのです。

 

講話集補より

”結論に行かなかったのは、又、想念が一致しなかったのは時機が来ないのである。
 題目は大抵の場合必要はない。現状維持でよい。政治家など非常に長時間会議するのは凡そ智能の程度が低い。
 何か問題を考える時、どっちにしていいか判らぬ時は決めぬ方がよい。時期が来ると、どうしても斯うしなくてはならぬ――といふ結論が浮かんでくる。故に、迷ふ時は現状維持が一番いい。はっきり見通しのつくまでは――。如何なる問題も結論は一つしかない。それさへ発見すればよい。
 民主主義とはそれで、指導者が指導するのではない。国民の心が一致している所をみて指導者が手を打つ。又、時機の熟するのを待つ
 大抵の事は信仰雑話を見れば判る。眼光紙背に徹すべきである。
 悟覚。
 真覚――見真実で出来る。普通の人では出来ぬ。 (372下)
 正覚、等覚は覚者(菩薩)にならなくてはならぬ。
 三つの本を読めば覚者になれる。
 何でも簡単でなくてはいけない。”

 

これも威張るな、怒るな、早まるなが含まれていることに気づけるかですね。

何かで指示を強制したり確認したり、自分が偉くなって指導するのではなく、人ではなく神様を見て人を大切にし時期を熟するのを待つのだけど準備はする。

 

トップにはその強い意志が感じられるのに…というのもあったりしますね。だからこそ…ですよ。

 

この反対はわかりやすいでしょう。また考えないと信仰は悪いほうになりやすい。副霊や邪神が狙っているからですよ。で、自己愛や尊大型は一回間違わせたら邪神は勝ちです。だって謝ったり改めたりできないから、その弱さでもって操り人形となるからです。