ある情報があったので、再掲載しておきますね。以下からご覧くだされ。

考察とは違うので正直、興味が薄いのですが

それで最初は再度説明した記事を書いてましたが、やっぱりあきれてしまったのと、霊界が下がってる感じがしたのでやっぱりやることじゃない気がしたので削除しました(笑)

 

 

詳細はしょうもないので省きますがグノーシス主義と世界メシア教をこじつけたのはある個人の持論ですね。それと宗教学者ではなくて、元職員だったように記憶しています。これDMがのこってるから…。

 

こういうのもありますので一応リンクしときましょう。ほかにも教団規則でつじつまが合わないことを解説してる人もいますね。

 

 

グノーシス主義はなかなかつかみどころがないのに、その中の都合の良いところをピックアップして断定的にして、メシア教批判をすると同時に決めつけたグノーシス主義像を作っているので、グノーシス主義への誹謗中傷にもなりはしませんかね。

 

また逆に世界救世教だって内にグノーシス主義にこじつけれそうなグループあるでしょう。組織に寄生、自分たちで礼拝施設等を持たない等。この辺、結局利害打算や好き嫌いで組んでたりするから、めちゃくちゃで一貫性がないんですよね。

 

もっというとね、明主様はすべての宗教を作った主神の信仰なので、すべての信仰を包含している可能性がある。

 

また4代様の「み教えをお返しする」というお言葉を問題視してますが、その時の話を最後まで読むと、明主様の理想ではなく自分たちの都合の良いように解釈し判断した”み教え”のようなものを一度返して忘れなさいという表現なんですよ。

 

4代様は優しい表現で伝えていますが、要するに明主様の教えを人間の欲が叶うように利用してましたよね。神様と言いながら自分の都合をかなえたいそのための方法にしてきた。そう理屈づくように、こういう意味だとして、教主でもないのにそうして穢しまくった、理屈付きのみ教えをもうやめろと言っているわけです。

 

それをやめようといったら、教主は解釈している、とか指導者は私一人だと明主様は言っているとして、無数に乱立する偉い先生方の解釈の方を正しいとしたわけですよね。組織論の世界でしょ。

 

”パリサイの人よ聖典今一度直霊の光に見直されかし”

 

と明主様はお詠みですね。

 

もういちど主神と明主様に立ち返って本当の意味を求めましょうと言いたいわけでしょう。

 

そして、最初から最後までのご事績を認め明主様は本当は何をしたかったのかを見つけなさいということですね。そういう願いで教主様は和解を推進していたのでしょう?だけれど、歩調をそろえなかったところがあるでしょう。

 

これね、教主様を全肯定したとして、反対側は猛烈に反対するでしょう。今まで作り上げた、自分の立場を全部無くすわけですからね。間違った解釈で立場を得ていた人は一番下まで落ちる可能性があるわけですね。

でも、もう全部神様に委ねて本当の教えを求めようとしないと、どこまでも執着と欲を捨ててしないと戻れないところまで来ていたわけです。

 

ここを信徒は受け止めていないようでは、考え方が甘いと思うのです。

 

それをしたくないとしたら、想像を絶する反対運動がおこるのはわかりますよね。欲と良心の戦いですよ。それが見える形になったところで議論しても欲つまりは悪魔、副霊の思うつぼなのです。

 

それぞれに良心に神様にめざめないと、この浄化は終わらないと思いますよね。ただメシア教側は終わってるといってもいいんですけれどね。

 

また、そこにかかってくる言葉が最晩年なのに明主様からの現在の教団に真の信者がいないという表現。

 

だからね、最初のみ教えをお返ししなくてはいけないだけ取り上げて、問題視する。これは非常に悪い取り上げ方です。これが編集なんですよ。言葉の暴力ですね。思考力や質問力がないとすぐ誘導される。こじつけ力が強いのは副霊です。

 

さて明主様はマスコミに対して何を望んでいたでしょう。またマスコミから何をされたでしょう。それを内部がするようでは終わってませんか?

 

これをやめてもなお、批判できるかどうかですね。ただね公式でこういう手段をとっている以上もうないんでしょう。