ここはエンタメ考察ですので、その点ご了承ください。

これは、これをした方達に対してよりも、

これを「受け入れてしまった」り、「仕方ないなと思った」り、まして「正義だ」と肯定してしまうことで起きる信仰や霊的な問題があるように感じるからですね。

そうなってほしくないという思いもあるように感じます。

同じ霊層界に落ちないためのセーフティです。

霊層界との関係、これは観音講座とか御講話図解などを読んでいるとわかると思いますし、長くなるので省略です。

これは世界メシア教、世界救世教関係はなく、世界救世教に所属していても、これは良い方法ではないという倫理観を失わない方が良いです。

また調査(尾行・盗聴・盗撮)は長いのと意味が分かるように「盗撮行為」にまとめますね。

霊的な問題は何か?信仰は目に見えない世界を扱いますね。

その世界を霊の世界としています。科学でいう量子も半分霊なのだと思われます。人間の意識に結果が左右されるのも調べられていますね。そして、宗教は目に見えないレベルのものが目に見える世界に多大な影響を起こしているという立場で真理を説いているわけです。

教祖の表現では今の素粒子より細かい微粒子が発見される、神霊微粒子などとも表現されています。つまり神様から放射される超微粒子である霊子の発見まで行く必要があるようです。
そうなるとそれは、さらに奥なのですから、人ではなく神の意思が反映されそうに感じたりしますね。

それで人間が亡くなると微粒子(で構成される?)の魂だけになって無限の霊界に帰るわけですね。

教祖のいう無とは無限の世界の無で、無くなるということではありません。
無限なので永遠といってもいいかもしれません。

無を唯心論だと無限とか無始無終、永遠の栄えに

無を唯物論だと有限とか始まりがあり終わりがある、永遠の滅び

とかになるのでしょうか。

どっちにせよ、究極的にいつかは無に帰るわけですね。

もちろんここでいう無は霊界があるというのが前提なので無限のほうです。

それで、だから方向を間違えると、形だけ見た目だけを整えるわけです。ファッションだとブランドに着られてるとか言ったりしますね。無の方向からを意識した形の美、つまり内面がないといけないし、それを高めるのも信仰なのはわかるでしょう。

無の世界、超微粒子の世界、始まりの世界、天国と言ってもいいですが、形の世界で着飾ったり嘘や方便で誤魔化しても一次的な勝利、賞賛は得られても、無限である霊界に持っていけないし意味はありません。

もちろん無限の世界から整えて着飾ったり言葉を選んで丁寧にとかは良いことなんですけどね。


もちろん形をとりつくろえば隠しきれるわけではなく、現実世界でもある程度、時や経路を経て本当の姿が現れるようにもなっています。

霊界ではそのままの姿が映し出されます。
昔から最後の審判とか閻魔の庁などでも言われていますね。

ですので、この法則に抵抗して、とりつくろうので、実はかなりの労力が要ります。嘘をつくと嘘をついたり上塗りをしていかないと自然に暴露されるということでもあると思います。

しかし、そういうことをしているとどうなるかを教祖は下のように説いています。

教祖は
”人間といえども、生きている間善も行えば悪も行う。その場合善よりも悪が多ければ、差引多いだけが罪となり、それが魂へ反映して曇りとなる。為に心が曇り、霊が曇るという順序である。すると浄化作用発生によって曇りの排除が行われる。(結核の革命的療法)”

”面白い事には罪によって固結場所がちがう。例えば目の罪は目に、頭の罪は頭に、胸の罪は胸というように相応するのである。(結核の革命的療法)”

これは有名な教えですが、さらに霊的な方面も書かれているのが次の「御神意を覚れ」ですね。

”この事は独り病気ばかりではない。それ以外あらゆる災も同様であって、すべては浄化作用である。しかし同じ浄化作用でも原因によっては浄化の形も自らちがうのは勿論である。

例えば金銭や物質の罪である盗み、使い込み、人に損をかける、分不相応の贅沢をする等々の罪穢はヤハリ金銭や物質で償(つぐな)われる。

世間よく金持の息子などが道楽者で、親の遺した財産を湯水のように使う事なども、親や祖先の罪障消滅をさせられるのである。それというのは祖霊が自分の血統を絶やさぬよう、益々(ますます)一家繁栄を望む為、子孫の中の一人を選んで浄化に当らせるのであるから、この場合何程意見しても糠(ぬか)に釘である。

 また火事で焼け、泥棒に盗られ、詐欺に遭(あ)い、相場や競馬、競輪等で儲けようとして損をしたり、商売の失敗、病気で金を使う等々、すべて物質の罪は物質で浄化されるのであるから、仮令(たとえ)人間の法律は免れ得ても、神の律法は絶対であるから、どうしようもない。

 したがって人間の眼を誤魔化す罪は眼病、耳に痛いような言葉の罪は耳の痛みや舌の病、人の頭を痛めるような行為は頭痛、自己の利益のみに腕を奮う罪は腕の痛みというように、すべて相応の理によって浄化が行われるのである。(御神意を覚れ)”

教祖はこれを昭和の初期に書いていますが、この罪と病気や状況の関係は今や他でも見つかってきていますね。ルイーズ・L・ヘイさんの本などにもあったりします。

ですので、理由関係なく手段としての「盗撮行為」に嫌悪感を感じないようでは良心を奪われているといってもいいのではないかと思ったりします。

この話で気になったら身近な人たちを確認してみるのも大事です。

浄化は自分に起きれば自業自得でいいのですが、「御神意を覚れ」のように家系の存続にかかわるレベルで曇った場合、つまり個人で償えないレベルの場合ですね。それを守るため、家族に飛び火し、代わりに浄化したり、分担してするようです。最悪、命にかかわるから気を付けるよう教えてくれています。

特に「一緒に住む家族」は連携しているようです。

なので自分や身の回りの家族のことを確認して見るといいです。先祖が救おうとしてお気付けをされる場合があります。


盗撮行為に嫌悪感をいだかないという事は「盗撮行為」を事情があれば「するかもしれない」くらい思ってみてもいいかもしれませんね。用心にこしたことはない。

 

盗撮行為といっても、それは「相手の権利の侵害行為」と見たほうがわかりやすいでしょう。自分の欲と主張のみで、相手を自分と同じ心のある対等な人として見ていますか?尊重していますか?という思想や人間性、社会性の話なのですね。

 

相手の持っている権利を簡単に侵害したり、自分の持ち物のように奪ったりが平気な想念になっているか?ならされてないか?ということですね。

 

そして人間性を失うということは自分の悪い欲に忠実になるということにもなりませんか?

 

これが霊主体従、霊線の法則で反映するとしたらどうでしょう?

 

だからわかりやすい盗撮行為だけでなく、その他の権利を侵害する行為はどうですか?著作権とか不正コピーとか個人情報とか誹謗中傷など…。ここのブログではよく書いてたりしますよね。

で、心当たりがあれば今の状況はやばい。という当たりがつくこともあります。

 

自分の主張、つまり主観ではなく神様に求めるのが大事です。正直、浄化やお気づけを現象に出てきていることから読み解くのはレベルが低いのですが、わかりやすいのも確かなのですね。

極端を言えばですよ、教団がこうしたではなく、それぞれの私や一緒に住む家族や子供が盗撮するかも、したかもしれないですね。なぜならその想念が罪になり、行動になる場合があります。それは、その思い違い、考え違いを解消をするため悔い改めるために先祖が驚く形で見せるからですね。

先祖って良いことばかりではなく、救われていないと救われてない姿を子孫に体験させようとするでしょ?

つまり気付いてほしいということです。気付かないと何回でも起きるかもしれません。例えば盗撮行為があったとして何か責任を取ったとしても、それ以前のそれを嫌悪しない自分の善悪のミリタリーバランスを信仰で改善しないなら何の価値も先祖にはないからです。教えで言えば「日本人と精神病」ですね。

 

そもそも思っても行動にまでいかないのが何とか善悪が5分5分なので、出来心でもしてしまったときは5の線が突破されて、善4:悪6の状態ということですね。教えからいけばですけどね。

ちなみに上を読んだら、それ世間の毒親問題でも言われてない?って思ったでしょう。そのとおりで、いまや現象事態は確認されているので、親と子との関係などで指摘されてますね。


話を戻して

霊界に持っていけるのは自分の人間性や人格だけですよ。それが霊界では金に等しい価値観のある世界だとしたらどうでしょう?霊界に何も持っていかないことになりますよ。

霊的な無の世界を大事にしないと死んだ後の世界に居場所が無いようですね。

これを天国と地獄とかいったりしていますね。

他でも書きましたが、命で償わなければならないようになるまえに気付いてほしいのが先祖です。これは霊界の法則上逃げられないから、解消して許されたいわけなようです。

目の罪は目、胸の罪は胸、胸というと肺と心臓でしょうか?心臓は愛を象徴していますので、無償の愛を与えるより自分の賞讃だけ求め、意にそわない人、まして家族や子どもなどを支配し虐待するようなら胸はどんどん弱っていくことになるそうです。肺はその影響を受けるようです。

虐待はもっというと家族の喜びごとを一緒に喜ばないこともありますね。自分に都合が良い以外は無関心だったりね。自分が喜ぶか否かで子供が孫が喜ぶかではない人いるでしょう。一見分かりにくいけれどね。

胸を強くする方法、胸が弱い原因のヒントですね。

ルイーズさんの本だと徐々に弱るともありますね。数年で心臓が弱るのかもしれないですね。だからそこに猶予はあるわけです。怖いようでいてじつは気付いてほしい。

先ほどの御神意を覚れ

子孫の中の一人を選ぶ、ただこれは経験や話を聞くうえで一人ではないこともあります。あまりに罪を重ねると複数に及ぶこともあるように思います。

また兄と弟なら兄の方が罪を取る力が大きいようですが、両方が無信仰ならそうなのですが、兄の方があきらかに信仰と良識を持っている場合はそうならない場合も見かけます。

 

これは兄としたら信仰によって運命を変えたともいえますし、そもそも先祖の願いは長男から継いでもらう事なのですね。

その場合、先祖がかなり助けるのも教えから推察されます。長男とかに逆らってうまくいかない時って先祖が全面的にフォローしていたりします。

このあたりを軽視しているとうまくいかなくなるんですね。

この辺が盗撮行為に関係しそうな考察です。

これ観音講座とか初期の教えを読むと、その行為そのものが霊界を下げるのがわかります。具体的に世間では良いとしている職業まで上げているのでここではかけないです。

また教祖は徹底して正そうとされた人にこういいます。

下は昭和当時、世界救世教(読み:せかいメシアきょう)の前身である観音会時代のことです。

ある支部が昭和25年には私たちの支部だけ生き残り、ほかは死ぬなどと予言して宣伝している問題などを受けての教祖のお言葉です。

”神様がやってるんだから間違ったことをすればその人が間違うだけである。神様から制裁を加えられる。ほかの人は気をもむ必要はない。まアこんなことはいい加減にしていればよい。それから大勢の中には頭の変なのもいる。そんなのを一々取り上げていてはやりきれない。それこそしまいには観音会警察部を作らねばならなくなる。S23/4/18”


ちなみにこれを指導に使っている人はもちろん盗撮行為を容認していないでしょう。
していたらそれも神様に対してやばいでしょ?

ちなみに浄化発生や浄化の進行を遅らせたり止める方法はありますが、これを巧妙に使い奇蹟としている人も居るので注意が必要です。昔は止め続けれたんですが今は難しい世界になったのですね。これも盗撮行為を肯定しない方がいい霊的な意味になりそうです。

この罪の解消ではなく浄化を固めたり浄化のうわずみだけとって先送りする方法でのマッチポンプ御守護がありますね。これを正義と信じている人も一定数いませんか。このマッチポンプ式が好きなのは自分を改めなくて良いからです。それも自由ですが本当に救われたいので私ならごめんです。

霊界にもっていくものがないですよ。知識や経験だけ増やしても増えませんよ。

人や自分の病気やそれのせいにして、自分の食生活や生き方を改めようとしない。

もちろん事実確認をしているのは大事で、ある程度の追及は大事です。これは人ではなく自分が真理を求める姿勢の事です。

そういう人も人のせいに見えたりしますからそのあたりは注意が必要です。

事実確認をする人は「事実改変」しようとする人には、「とてもうっとうしい存在」です。責任転嫁や何かの汚名を着せられることがあります。


そして調査の結果と結論、つまり見えてることと真実が違う事もままあります。みなさんが好きな陰謀系のドラマや映画もそうでしょう?そう見えるけど真実は違ったということがあります。

つまり、事実を変えたい人はそういうふうに情報や写真とかデータを利用するのですね。

でもデータの集め方に着目したり、本当にその情報は「そう解釈すべきか?」と考えるのが大事です。

これは悪魔との繋がりを解き、神様とつながる方法のようです。


一般の本を読んでいくと教祖の方法論の世界は実はもうだいぶん世の中に開示されています。でていないところを調べていくと何が残るか?これがメシア教の真骨頂だったりすると私は思っています。メシアとして新しく生まれる。これは最近スピリチュアル界隈でもみんなが救世主と言われてきていますね。それぞれが創造神で尊いなどね。

今までの世界救世教だとレベルがすでに世間一般書籍レベルなのです。教祖の全部を使ってフルパワーでないといけない時代に突入しています。すでに浄霊ではなく祈りや食で治す世界に入っていますからね。

教祖は光が強くなるにつれ、手をかざさず想念で浄霊されたのは景仰にもありましたでしょ。