教祖は晩年、菜食はミロクの世の食事と提示されました。

”菜食というものの影響――之が非常にある。だから、つまり自然農法も、そういった米にしろ野菜にしろ非常に美味くなりますから、どうしても多く食べる様になる。

そうすると、その為に人間に、精神的効果が非常にあると思う。だから、自然農法の効果は、今迄それを言わなかったが、近頃そういう点に非常に影響があると思ってお話するんですがね。だからそういう風になると、西洋でも野菜をもっと多く食べる様になりますね。外人ですね。もっとも外人でも菜食家というのはありますがね。死んだバーナード・シヨウなんかは有名な菜食家ですね。

ですから、やっぱりミロクの世の、一つの条件になる訳ですね。
(昭和二十七年四月二十五日)”

”以前私は日本アルプスの槍ケ嶽へ登山した折の事、案内人の弁当を見て驚いた。それは飯ばかりで菜がない、きいてみると非常に美味いという、私が缶詰をやろうとしたら、彼は断ってどうしても受けなかった。

それでいて十貫以上(約40キロ)の荷物を背負い、十里(約40キロ)位の山道を毎日登り下りするのであるから驚くべきである。

これは古い話だが彼の江戸中期の有名な儒者荻生徂徠(おぎゅうそらい)は、豆腐(とうふ)屋の二階に厄介(やっかい)になり、二年間豆腐殻ばかりを食って勉強したという事である。また私はさきに述べたごとく、結核を治すべく三カ月間、絶対菜食で鰹節さえ使わず、薬もやめてしまったが、それで完全に治ったのである。この様な訳で私は九十歳過ぎたら大いに若返り法を行おうと思っている。”

 

”栄養は魚鳥獣肉に多いとして奨めるが、之が大変な誤りで、必ず衰弱を増すのである。本来栄養とは植物性に多くある。考えてもみるがいい、動物性のもののみを食っていれば、敗血症などが起って必ず病気になり、生命に拘わる事さえもある。それに反し菜食はいくらしても健康にこそなれ、病気には決して罹らないばかりか、長寿者となるに見ても明かである。(昭和二十六年八月十五日)”

 

世界メシア教ではそれをもって健康のため完全菜食を推奨していますね。

 

 

私も自然農法と言いながら、その食べ方に疑問があると以前書いたことがあったのですが、思っている以上の提示がされたので書くのやめてました。

実は教祖の言ったように思っているバランスの良い食事。この意味も私たちの思いとは違っていたりします。

究極、とどのつまりは完全菜食主義なんですよね。

ちなみにメシア教では強制をしてないので誤解が無いよう伝えられています。あくまで教祖がそうされようとしていたので、それにお応えしたいということです。その中で完全菜食主義を実践に移されている人、菜食の日を設けている人もいるようです。


今回は考察もですが教祖の教えも見ていきましょう。

教祖は自然農法を推奨していたのは肉食より菜食を推奨するためでもありました。だからその農作物を使った食事、つまりは自然食では健康のため肉食は勧めていなかったと思います。

また時間を決めないでいつも間食をしているような暴飲暴食も推奨していないわけです。

健康のためですからね。どうしても、
 

菜食にすると、体調がよくなったのと同時に、痩せれたという人が結構いらっしゃるようですね。低カロリーな場合が多いためでしょう。

 

ただ間食が多いと、菜食に切り替えても体重は変わりません。また生活習慣病の原因にもなりますからね。3食以外のところに原因があるからですね。

 

もしこのことをしようとして、時間も考えずについぽりぽりお菓子を食べてしまったりすると、それは自然食以前に自己管理の問題ですね。

もちろん薬や病気で太りやすい人も居るので、そこを否定しているわけではありません。あくまで人ではなく自分と向き合ってどうかの話です。

 

間食と自然食の関係を教祖はこのようにおっしゃっています。

”胃病の最初は、大抵消化不良である。原因は食事の分量を定め、食事の時間を規則正しくするからである。何となれば、時間や量を定めると、以前のが消化しないで、停滞してる上に食物を入れるから、古い方が醗酵(発酵/はっこう)し、その毒素の為である。あらゆる食物は消化の早い物と遅い物とがある。又、人間の動作においても、運動をする時としない時とがあるから、三時間で消化してしまう事もあるし、五時間たっても消化しない事もある。したがって、次に食事の時に量及び時間(勤務者は時間は不可能故量にて調節)にて調節するのが本当である。(昭和十四年)”


 

またちなみに別の話にもなりますが、あまりにも自制心が働かない、続かないなら別の病気の可能性(神経発達症等)も考えても良いんですよね。なんでも弱点をしるのは自分を豊かにします。知らないままだと対策や対応もできず、周りに迷惑だけを掛けますしね。これも自分の事実と向き合うということです。これは食事ばかりではなく人間性や本当の信仰心の話とも関係が出てきます。

 

ある外国の村の日本人から学んだという村長は私もみんなも神経発達症だと、だから補い合っているというような話をしていたりします。

 

知らない、わからない、感じれていないという自分を知り認める。それは下座の行にもつながってきますよね。この感覚がないと傲慢にもなりますから、神様のもとでお仕えするというのは難しいように思います。

また教祖はバランスの良い食事を推奨されたように思うでしょうけれど、それは悪魔との戦いにおいてあえてしていたように記述していますね。

”今は何故菜食をしないかと言うと、大抵な事は諦める。覇気――そういうものが薄くなる。私は始終悪魔と闘って、之からも大いに悪魔と闘わなければならない。昭和二十七年八月二十五日”

また以下のようにもあります

”今でも菜食をすれば身体の工合が良い。とうして今はそういう良い菜食をなさらないかと、側で聞いた人がありますが、私は言ったのです。(略)

菜食をして居れば気持が違うのです。あんまり不平不満が無くなる。怒らなくなります。諦(あきら)めが良く、それから無抵抗になって、すべてに満足するという気持に変ります。それは実に著しいです。

それですからして非常に苦しみがなくなるのです。つらい事がなくなる。我慢がし良いのです。ですから根気がなくなる。

だからああいった坊さんなんかには極(ご)く良いです。ところが私などはいまだ之から大いに闘わなければならない。闘うと言っても悪魔との闘いです。だからして大いに勇気や胆力も必要だし、それからいろいろ之から医学を革命するという一つの闘いになりますから、おとなしかったらそれをやり遂げられないから、やはり肉――動物性の食物も必要です。私は九十迄は大いに仕事をする積りですから、九十過ぎたら大いに菜食をすると言ったのです。

そういう様なぐあいで、そういった様に大いに闘ったりしない人は、なるべく菜食を多くした方が身体には良いし、無論長生きもするわけです。(昭和二十七年八月二十六日)”

また以下のような栄養の考えもあります。

”私もだから九十以上になったら絶対粗食にする積りです。絶対粗食にすると栄養器官が非常な活動をするんで、ずっと若返るんですよ。

だから年をとる程いわゆる「栄養」を食はない様にするのがいいんです。栄養不足だから弱いって言いますが飛んでもない間違いですよ。みんな、栄養過剰だから弱いんです。

今は田舎の農家も蛋白(たんぱく)が足りないからどうの、ビタミンが足りないからこうのといってますが、あれはあべこべで、つまり農家はあんなに粗食をするからあれだけ労働が出来るんです。肉みたいなものをたべてたらあんなに続きはしませんよ。

登山家でも本当の登山家は一週間前から絶対菜食にするんです。外国の登山家でもそうなんですよ。肉や魚をたべて山に登ると息が続かないんです。菜食が一番人間の栄養なんです。ですから私は今美食してますがね、栄養不足になりゃあしないかと心配してるんです。(笑声)

みんな魚や鳥がいいんだと思って、そういった料理ばかり作るもんだから、「こんな栄養不足のものばかりぢゃいけない、もっと栄養のある野菜をつける様に」って始終やかましく言ってるんです。(昭和二十四年五月十三日)”

 

”消化器能の活動というものは、大体食物が入ると必要なだけの栄養素と必要なだけの量に変化させるもので、厳密に言えば、食物の栄養素五分、消化器能の変化活力五分の割合でありますが、それは消化器能の方が主体なのであります。何となれば、消化器能さへ完全であれば、粗食といえども栄養に変化させますが、如何に栄養をとっても、消化器能が衰弱しておれば栄養不足になるのは誰も知る事実であります。之を観ても、栄養は従で、消化器能の方が主である事が明かであります。(昭和十一年七月)”

※一部表現を現代用に訂正 農家 


教祖は事情が無くなれば、仕事が終われば、完全菜食をされる予定だったようです。

この九十以上を勘違いしている人いますが、90歳過ぎたら粗食ではないのはわかるでしょう?

 

この当時の読み解きかたでも退職後は菜食がよいわけですね。

 

それではなぜメシア教では年齢制限がとられたのでしょう。


・今がミロクの時期?

菜食に関連するミロクの世が近い考察ですが、

今はですね、地球全部で見た時には善の力が勝ちはじめているようなので、おそらくそういう時期に差し掛かっているのだろうと思います。

これは参考にですが、教祖が出したご論文や発言の中でも本当の神様や善と悪の核心に至る教えがありますね。実はあの当時、そういう教えは普通に出せるものではなかったようです。

宗教を信じている人であれば、目に見えない存在があることを信じていると思います。

どこまで信じるか?となるとまた区別が出てきますが、
少なくとも自分の魂や先祖や霊界の存在は信じている人は多いと思います。

宗教的には、その奥には神様と邪神や悪魔という存在があって戦っていたり、その奥には主神という総てを創造された存在がいらっしゃるというところまでは大抵似ているのではないかと思います。

もちろん本来は逆で主神から神と悪魔ができて人間ができてですので、人間にも一人一人、神か悪魔かどちらの指示を主に聞いているか?という区別があったりするようです。

ちなみに、これを逆に、宗教側に居ながらですが、

・人間側からの考察を主とする人
・人間側からのみの神秘研究をする人は

これらは信仰や宗教を利用しているカルトの可能性があります。

 

目に見えないという以前に目の前の人の心を察せれないというのにもつながってきます。

この関連性がわからない場合は他人に教えを説く前に自分の人間性に注意を払い、気を付けたほうが良いと私は思います。

主体を神様に置かなければ、神様の元、宗教としての秩序を保つことはできないと思います。

それでですが、成功哲学で有名なナポレオン・ヒルは悪魔との対話に成功し、人間が幸福になるためにどうあるべきか、どうしたら悪魔という人間を不幸に導く存在と手を切れるか、神様の方に繋がれるかを昭和13年に書いたのです。

 

教祖御在世時代ですね。現在は「悪魔を出し抜け」として出版されています。

その内容は教祖の教えにも非常に近しいところがあります。

ですが、その書物がナポレオン・ヒル存命中に世に出ることはありませんでした。

悪魔はある事情で真理を話さざる負えない状況にあったようですが、悪魔は私が話したところであなたは発表できない、私の仲間が阻止するような発言をしています。

実際、氏は書き終えたものの親戚等の反対にあい出版ができずに終わります。

それが、70年以上出せませんでした。(日本では2013/11/1出版)

その著によると昭和13年当時、全人類のほぼほぼが悪魔の支配下にあるからとのことでした。

 

これは教祖のいう九分九厘の一厘ともつながってきます。

 

九割九分が悪魔の支配下にあるところを一厘の力で押し返すわけでしょう。

 

そのため、昭和初期ではまだ、神様との繋がりを復活させるようなものには汚名を着せられたり、無実なのに取り締まられたりと妨害が発生するわけなようです。

ただ本当に悪くて取り締まられているものもあるので神様に無関心な第三者からは一見してその区別は難しいだろうと思います。



実はそういう研究をしていくと聖書が重要な位置に来ます、なぜなら神様、とくに岡田教祖が信仰する主神の大反撃はこの聖書の時代から大きく始まるからです。

これは聖書を調べていて知ったのではなくて竹内文書系を調べていて知りました。

それで、この時のキリスト時代から主神の目的はブレていないのです。その前の仏教まではあきらめと時を待つことだったのですが。この時から霊界で神様が本格的に動き出しし、再びこの世に出る準備がはじまります。

またその計画のために、キリスト教では足りないところへはイスラム教など、ほかにも様々な宗教が生まれます。日本では大本教、天理教、黒住教、金光教、日蓮宗等。

それらは時代時代に最大級の動きをしたように書いている書物もあったりします。

(大筋ではこうなのですが、個々人を見ていくとまたいろいろあるんですけどね。)

そして細かくは何々の尊が主神の目的を果たすために○○教を作るとか、ある地域に教えを伝道するためにその地域で一番清い○○に啓示して○○教を作るとかそういう事が起きてきます。

実は同じグループの神々が協力してできている、正しい宗教は別々のようでいて霊界や神界では仲間同士の神様が作ったということがあったりします。

で、目的の最初は聖書になっていると思います。もちろん、それ以前の太初の目的はあるのですが、それを実現する次の段階の始まりがキリストにあったりします。

だから教祖は最もメシア教と近いというわけです。

教祖も他の新興宗教、いわゆる金神系宗教を兄弟みたいに言っているのは、実践方法はともかく目的は同じだからでしょう。そして中興の祖になるけれど、最初の目的(キリスト教)と最後の完成(メシア教)と線を引くのでどうしてもメシアのみ名が必要になります。

 

そしてなんせ全部を巻き込んだ神々の作戦だからですね。全部肯定したいわけです。

これ、ナポレオンヒルの事もあるので、それぞれにバラバラに潜伏作戦させているようなものだと思ったりもします。ある時期に来たら全ての教えを結んで一致団結して世の中を正す。という事もあるかもしれません。

なので世界メシア教が目指すものの大きさは分かるし、それをいちゃもんつけてでも引っ掛かりたい気持ちも分かるわけです。正々堂々ではないでしょう。戦い方が、それで分かるわけです。

神様は与える方が主です。奪ったり正当化など名誉の取り合いは主ではないです。

だから絶対に仏教、聖書によるキリスト教(ユダヤ教、イスラム教含む)そして神道(現・古、含む)などどれも漏れてはいけないのですね。

キリスト教を否定したり区別すると教祖の目的を達成できないですし、区別する場合、統一という目的はあるわけなので。そうしてしまうと他宗を蹂躙、キリスト教とは本質的には敵対しないといけなくなるわけです。

教祖の教えからいうとキリスト教を否定する必要も敵対する必要もないと思います。むしろ友好的に接してもよいくらいに思えます。

 

教祖の時代はそれこそいろいろな宗教の方と交流があったと思います。

そして神様は型で見せると教祖はいうけれど、ちなみに教祖の型を認めると神道ではなくなります。

なぜなら教祖は聖徳太子をおしていますね?前世とか観音様の仕事をした一人のように説かれます。

その聖徳太子はそもそも仏教派です。で、教祖がいろいろとあった九鬼家は神道派ですね。

聖徳太子時代当時に仏教と神道で分かれた仲です。

教祖は末裔と交流があったようで、ある和解のため九鬼の宝をいただいたとありますが、黄泉平坂の戦いの型とも言っています。時代として神道から仏教へ行くのが正しかったという一つの型だと思います。またこの宝には九鬼文書も含まれているのかなと勝手に思っています。なぜなら九鬼文書にはノアやキリストの系譜や記述があったりするんですね。

それで仏教の時代からキリスト教へ移行していくのですが、もともと全部同じ神様が名前を変え時代を変え表した信仰ですからね。全部混ぜないといけません。

竹内文書系の書物でも仏教が先に出たものの主はキリスト教と書いていたりします。

時代的に分かりよい仏教が先に出たともあり、仏キではなくキ仏で霊体つまり霊主体従になるようです。


本来の日本神道はキリスト教を否定するどころか、同じ出所をの仲間的な発想をしています。だから岩戸締め後の夜の時代の神道ではなく、本来の昼の時代の神道を教祖の言う神道としたら今の神道、今イメージする神道ではなくなるわけですね。

なので救世教は神道ですという人がいたら不勉強にもほどがあるわけです。かろうじて言えても神道形式をとっていますくらいでしょう。

教祖は神様といっても神道の神様ではないというのもわかるでしょ?

私達が想っている神道は比較的新しい時代の神道で、神道とか仏教とかいう前のそもそもの神様ではないのです。

ただ教祖が最終的に使われた主神の名前はエホバだし、メシア降誕仮祝典としてメシアを使っていますね。

日本名にだってしようと思えばできたはずです。

旧昼の時代より新昼の時代の在り方でしたほうが良いと私は思います。

これが本来の神様の復活でしょうね。


上でも書きましたが、竹内文書系では日本と世界の神様に区別は無くて全部一カ所から出ている派遣されている神ですし、派遣先でも名前がついていたりするので、実は日本の神様だったりもします。つまりは日本だけの神様ではないわけです。

これは歴史的に日本に入ってきた外国の有力者が日本名に変わったりしていますから、同じことでしょう。

どちらにせよ、時代は進みより実践ができる時代に移ったということだと思っています。

とりあえず今回は以上です。

 

 

追記:


ミロク三会 ってありますが、教祖のおっしゃるのは1:観音 2:阿弥陀 3:釈迦の順でしょう?



釈迦は土の系統で、報身弥勒(ほうしんみろく)で仏教を表しますよね?

阿弥陀は月の系統で、法身弥勒で素戔嗚尊とおっしゃいますよね?

素戔嗚尊とイエス・キリストは関係があるわけです。系統が一緒とも言えますね。

観音は日の系統で応身弥勒でイヅノメの神ですね。最終的には天照皇大御神でありメシアでもあるわけです。

弥勒とメシアはほぼイコールでしょうから、そうしたほうが実は教えは謎解きやすいです。

なぜなら調べていくと素戔嗚尊と国常立尊は関係がありそうです。どちらも物質をつかさどります。

国常立尊は教祖は最初、大国常立尊といって造物主といっていますね。これは創造神とは違い創造神の指示のもと人体を作ったとされています。また竹内文書では大国常立尊は国万造主大神(くによろずつくりぬしおおかみ)という神名になっています。まさに造物主そのものの名前です。

その国常立尊を教祖はメシアと表現しています。これは事実講話に残っています。

ですが、メシア降誕仮祝典ではメシアが生まれたことを明示しつつ天照皇大御神で唱えています。

どちらもメシアとしたほうが理屈は通るんですよね。

阿弥陀=素戔嗚尊=国常立尊=イエス=メシア
観音=伊豆能売神=五六七大神=天照皇大御神=明主様=メシア