他の事を書いたりしていたのですが、なぜかしきりにこの日の事を書きたくなったので、こちらを公開。

昭和5年6月1日 この日は教祖がみろく塔の前で写真を撮影した日ですね。祝いをしたともあります。

しかし、不思議なことにこの時の神秘はあまり明かされていません。教祖伝ではその後の富士山や鋸山の天啓にひっかけているようですが、この日そのものの神秘が分からないようになっています。

何かあったはずなんですよ。

これは別の宗教でも大切な日となっておりまして、それも踏まえて考察できればと思います。


昭和5年2月8日 教祖は次のように詠んでいます

”今年(このとし)の六月吾に大使命下る予感の頻(しき)りに来(きた)るも”
 このとしのむつきわれにだいしめいくだるよかんのしきりにきたるも

そして
昭和5年6月1日(旧暦の昭和5年5月5日)にこのようなことをされたと記録にあります。

” 教祖は、来たるべき六月に思いをひそめた時、そこに不思議な数の重なりを見出した。それは六月一日が旧暦の五年(一九三〇年)五月五日にあたり、しかもその干支が、午(うま)の年の、午の月の、午の日になるという事実である。このように数字と干支がそろうということはきわめてまれである。教祖は、この奇しき日こそ、二月の予感に示された日であり、この日を期して神力の新たな躍動が始まると感じとった。そしていよいよ六月一日になると、かねてから用意していた十三重の石塔(「みろく塔」と名付けた)を庭の一隅に建立し、ひそやかな祝いをしたのである。教祖は、その日、一日中、絶え間なく喜びが胸に込み上げ、心がはずみ、神から下されたみずからの使命に向かっての新たな勇気がわいてくるのを禁じえなかった。(教祖伝・東方之光)”

とあります。

実際に教祖はご講話の中でこのように述べています。

”以前昭和五年五月五日、その時にもたいへん神秘な事があって、それが不思議なんで、昭和五年五月五日、これは旧で、(略)五年五月五日午(うま)の年の午の月午の日で、その午の刻(こく)に写真を撮った。午というものは一番陽のものとしてあります。午の刻というと、ちょうど十二時で、太陽がちょうど中天に昇った時で、午の年午の月午の日というものは、何千年に一遍あるかないかという日で、五五五でやはり午午午となります。
 この時に最初の偉い神様が御降臨になった。”

とあります。重大なことがありますね。

この最初の偉い神様という表現ですね。

この約一年後の昭和6年6月15日にはミロク神の最高峰である天照皇大神をお迎えに上がっているのでミロクの神様の一柱かなとも思います。もしくはミロク神の化身であるし一部でもあられるいづのめ神の先んじた復活かもしれませんね。

そしてこの日の事ですが、他宗教ではこのようにあります。

ここからは、ちょっと難しいので、省略しながらなのと、他宗なので用語が違うのは了承しながらお願いします。

この日の事はやはり少し前の昭和5年2月から始まります。ある神様が国常立大神様にある祈りをするところからです。これは現界(三次元)ではなく霊界(四次元)での動きになります。

『最後の断乎(だんこ)たる処置に出ずべき事を、国祖「国常立大神」に御奏上あり給う。国祖、この御奏上を嘉納(かのう/進言をほめて聞き入れること)せられ、ここに、昭和五年二月十二日(紀元節の翌日)、「国常立大神」は、内外諸神霊の全部に対し、日の本千代田城の四次元界に集合を命じ給へり。
この時、「八大竜王大神」〔国常立大神の御子〕、この会合の目付役となり、「明治天皇御神霊」も勿論(もちろん)これに御列席し給へり。すわなち、「国常立大神」より、再三再四天律神策の御説諭ありたる後、
『日の本を盛り樹てて、神現幽三界の建替建直しを実施し、神政成就に向いて協力邁進せば、自在時代(※)に於ける過去の罪を罪とせず、かねてその現界建替建直しの功によりて各神にその位処を得せしむるが、天地根本大祖神の真意なるをもちて、各神速に日の本の神現両界纂奪(さんだつ/資格のないものが君主の地位を奪取すること)の野望と司配慾の誤れる意志を棄(す)て、各々その持場に帰りて、天職本分を全うし、日の本よりの神命に服従すべき事』』

※自在の時代…メシア教でいうところの夜の時代のこと

ようするに、ある神様が国常立大神様に昼の時代への断固たる移行を進言し、これを聞き入れていただいた事で、総ての神霊を招集し国常立大神様が御自ら神様の目的を説明したわけですね。それについて、夜の時代に好き勝手をしたことでぬぐえない罪が神々にもありますが、今回の立て直し、昼の時代への御神業に協力することで、なかったことにしてあげるよ。という話です。
そのためには、夜の時代に好き勝手に選んだ身分や役職ではなくて、主神が太初にお定めになった本当のお仕事をそれぞれの神様はしなさいということですね。

これは神様の世界の話のようですが、神様が乱れたり、整うということは人間の世界にも反映し同じような状態を移し出すようです。

そして、その後にいろいろな神様が改心したりするなか昭和5年5月21日に第二回の岩戸開きとなったとあります。晩年の教祖の発言を踏まえると現界的に表れ開き始めたといってもいいのかもですね。

神々が本来の役職に復帰したことで現界に反映する元である神界の政治から変わっていくことになります。

この時にメシア教ではなじみ深いといいますか、教祖のご事蹟にでてくる、封印されていたりした正しい神々が復権していっています。


そして八大竜王とありますが、八大竜王と伊都能売神を合わせた九大竜王が伊都能売神です。

下記は教祖のお言葉の参考です。

”八大龍王の上に、一の主龍神が被在れた。御本体は、伊都能売神龍と申上げ、実は、高貴なる御神霊が、黄金の龍体と化せられ、琵琶湖の湖底深く潜み給い、八大龍王と倶に、時を待たれ給いたのである。s10.5.21”

”九頭龍-この龍神が私によく懸って来たことがあったが、この龍神が追々人間化して話をする様になり、富士山に居る久須志宮であると言った。富士山に立派にある。この九頭龍は八大龍王の頭である。
 九大龍王というのが本当であるs10.8.15”

”八大龍王とは五男三女神で、神々が皆仏に化身した時、自分達も仏にならふと思ひ印度に行った所、貴神達は仏になってはいけない、ミロクの世の来る迄龍神となって待つようと釈迦にいはれたので、龍神となって時を待ったのである。
 九頭龍とは九つの龍で、九つの龍の頭が金龍である。これは伊都能売神の化身である。s23”

”観音は伊都能売の神であり、ミロク神の化身である。従而、何れは観音という御名も無くなる時が来る。霊界では既に殆んどなくなつている。s26.5.20”


話が少しそれましたが、またこの時に多くの神々が改心をしていくのです。邪神の頭領に当たる神々が改心していくのです。しかし、教祖の教えでもこの書でも書いてあるのですが、邪神の頭領のその重臣となる重神や末端は服従せずに抵抗しているような記載もあります。教祖も末端が分かっていないとお説きでしたね。

この時から、立ち返った正神とそれ以外の邪神の争闘が霊界ではじまり、それが現界にも反映されることになります。夜の時代の権力争いではなく、すでに神界では完成している昼の世界に霊界現界が立ち返るためのとどめの最後の浄化がはじまったわけですね。

その中ですが、
それがなった時このように記述があります。

『永年にわたりて駛身神霊界(はせりみしんれいかい/4次元)に於ける隠然たる司配権を掌握し居たりし「天照彦大神」は、この度天地和合の取持役として神定されたる「木花佐久夜姫神(このはなのさくやひめ)」〔地上姫大神〕の斡旋(がいせん)によりて、円満にその政権を国祖「国常立大神」に返還したるをもって、自在の時代は遂に全くその形式を消滅し、天津神・国津神各々共の個有の位置に帰り、宇宙は限定の時代に入りて、天地弦(てんちここ)に定まれり。これを天地御和合という。実に往古よりこの方、創造神の許し給へる自在時代の間においてて、駛身界諸神霊は各種争闘の反逆性に直面し、為にようやくにして自覚を生ずるに到りて、限定の時代到来し、真の統一・真の自在ある調和の神政成就の域に入らんとして、まづ神政復古の魁(さきがけ)たる天地御和合実現せられたるものにして、天の岩戸弦に初めて開けたり。時に昭和五年六月一日なり。』


この書でいうと昭和五年六月一日がおそらく四次元界の天の岩戸が初めて開かれた日になるのだと思います。

そうなると教祖が昭和五年六月一日に写真をみろく塔前で撮られたのは、さらに一段昼の時代に近寄り天岩戸開き、いよいよ最後の浄化が始まるのと、ミロクの神様の部分的な復活をお祝いしたのもあるかもですね。

そして、ここでは詳細省略しますが天の岩戸というと天照大神様の事を連想しますが、それはどちらかと言うと現代に近い時代で、更に太古の昔に国常立大神様が御隠退された時も岩戸締めというようです。

天の岩戸が開くというと、長い間封印されていた、または引退されていた本当の神様がお出ましになるような意味もあると思われます。


ついでに岩戸開きについて書いていきますね。
なぜ4次元の岩戸開きと書いたかと言いますと、教祖はご晩年に岩戸開きが終わったことをおっしゃいます。またご晩年の5年ほど前の昭和25年の神人合一の神事の際にこのようにもおっしゃっています。

”今までは霊界だけが昼間であった”

長くなったので、この辺りで。

この辺に関係する富士山や天啓やこのはなのさくやひめの事は気が向いたら書くかもです。

ただ、日付を追うと分かるのですが、教祖が神々の動きをさっちするの、早いですよね。他で表れた日より少し早い。

今回の所で二月十二日のところを二月八日には気づいていたりする。お願いする側ではなくお願いされる側の神様の信仰なのだろうと、ここからも推察できたりしますよね。