すみません、ネタが貯まるまでまた少し関係ない話しをしようと思います。

ネットやマンガだけでなく、巷では「女装男子」ブームのようです。
女装した男の子キャラクター・人を「男の娘」(おとこのこ)なんて呼んだりもするそうです。

 以前少し興味を持って、mixiのコミュニティーや掲示板などを覗いてみて、ふと、女装してる人は何を目指しているのだろうかと疑問に思いました。
 「完全な女の子にしか見えない女装」でしょうか?まあ、おそらくなのでしょう。
女装するからには、男らしさを消し去って、完璧に「女の子」になりきることを目標としてやっているんだと思います。
 しかし、やはりそこには「性差」の限界があります。どんなにうまく女装しても、かわいい女の子には可愛さで敵わないし、同列に並ぶためには並ならぬ努力(場合によっては外科手術や薬)が必要でしょう。やはり女装は偽物であり、本物の女の子には勝てません。当然かも知れませんが...
 だから、だからこそ、自分は男の子にしかできない「女装」、男の子らしい可愛さを追求してほしいと思う。例えばキャラクター作品であれば、「オトコのコはメイド服がお好き」のように、どうみてもオトコのコだけどかわいい、男の子にしかない魅力を感じさせる。これこそ真の「男の娘」なんじゃないかなと。
これってある意味「中間領域」的美学かも(笑)


 黒川紀章も繰り返し言っていたように、情報社会においては、
いかに自分に降りかかってくる情報を処理し、さらに発信していくか、
またいかにして自分を情報から守るかということが大切ではないかと思う。
 縁側のように外の空間と連続する内部であり外部という曖昧な空間は空間同士のコミュニケーションを生み出す。一方で寝室など個人的な空間は、外界から隔絶されて安心出来ることが求められる。
 さらに大きな視点で見れば、その建築・施設が出来ることで外界をどう取り込むのかだけでなく、外界にどう影響していくのか、その地域・社会に対して、どういう位置づけを設けるのか、という話になってくると思う。
 設計をするときはこの外とのコミュニケーションをいつも考えるようにしている。
つまり、我々が見ている世界、目の前にある物というのは、初めからその物として存在したわけではなく、何らかの影響・動作を経た結果であり、プロセス(過程)が存在する。

高架橋のコンペの際、そもそもなぜ、高架橋が町を分断するのか、ということを考えたとき、
高架橋ができて、それが壁のように人の動線を分断している状態で、周辺の町が発展してきたから、結果としてまちが分断されているのではないかと、街の発展プロセスの中で、すでに初めから分断されるべくして分断されているのではないかと思い、すでにできた町を、高架橋の土台として取り込み、高架橋を形作るというこれまでとは逆のプロセスを行うことで、その解決ができるのではないかという提案をした。

プロセス逆行すれば、その物の本質・根本的要素にアプローチできるはずであり、みえていなかった形が現れるだろう。