前回までのあらすじ:
本田承太郎は藤堂物産で働くサラリーマン。
本田が研修で留守の間、部下の前田は
研修や課題こなし本田の帰還を
待っていました。
第140話:理想と現実のギャップ
前田の上司である本田承太郎は
ここ2週間の間、
会社を留守にして
「ある研修」に参加していました。
今回それが終了し戻ってきた事を
社内の報告で知りました。
事業部で管理職に就く幹部たちが
5名ほど参加した研修の帰還報告が
本社会議室で行われたそうです。
自分の事業部でも本田と共に
参加した長谷部エリア長という
物販事業の上司がいて
前田も何度か仕事上のやり取りで
話した事があったので
知っていました。
その長谷部を社内で見かけて
様子が豹変していた事に
ビックリします。
以前は物静かで穏やかな物腰で
温和なイメージで話す感じでしたが
研修帰還後の長谷部は
「ドス」の利いた低い声をワザと出し
命令口調で喋り、動作と言葉を
分離させた違和感のある所作に
なっていました。
例えると
会議室に入室する時に、
ドアの前で立ち止まり、
「入ります」と言ってから
一歩入室して一礼してから部屋に
入っていくと言う感じです。
研修で人が変わってしまった…。
前田にはそんな印象に感じました。
本田も帰還して報告や決起会後に
通常業務に戻って前田と
合流する事になっていたので
「本田課長も長谷部さんの様に
性格が豹変してたらどうしよう…」
と前田は不安なりました。
今回本田承太郎と他の幹部4人が
参加した研修は、
「地獄の管理者研修」と呼ばれる
14日間の合宿でした。
この合宿は
様々な企業の管理職や社長、
幹部候補の社員などが参加し
経営研修やマナー、営業トーク等の
厳しい特訓を行う
「人材育成養成所」のような
社会人虎の穴研修なのです。
そこに参加した者は長谷部の様に
人間性が豹変したりして
「変わった」と表現されます。
なぜ経営者たちがこの様な合宿に
社員や管理職を参加させるのか?
それは、
あまりに多くの人材を抱える企業や
自らの教育を放棄した社長たちが
一般社員や自社の管理職の
質の悪さに嘆き、
お金を払ってでも使える人材を
育てようとしている事が理由として
考えられます。
この動画を見てみましょう。
この合宿の理念は
この様に管理職が人間関係や
妥協から部下を教育を出来ていない
という現状から脱却する為に
色々な事を学ぶ研修です。
しかし、
現実に参加する者たちは
この様に同じ装束を着せられて
激しい怒号と威嚇で叱咤叱責され
出来るまで強制的に責められる
地獄の日々が卒業まで続きます。
この動画を見比べると解るように
理想と現実のギャップがあり、
研修の成果で言うと更に顕著で
一人何十万も払って参加させたのに
「掛けたお金が全く
無駄だったんじゃないか?」
と思えてならない程の
モチベーションの浮き沈みが
発生します。
いわば体育会系のノリの、
「これを乗り越えれば何でも
乗り越える事が出来る」
と言う様な参加者に負荷が掛る様な
プログラムになっています。
2週間も携帯を取り上げられて
連絡を遮断され人里離れた合宿所に
監禁されて行われる合宿に参加すると
参加者はそれなりに順応して
会社に帰ってきます。
半分洗脳された様な状況です。
ですがまた自社に戻って
ぬるい環境に浸ると元に戻って
仕事をしてしまうので
会社としては定期的にやり続けるか
全員が必ず参加するかしないと
定着しないのでは無いでしょうか。
この様な研修は色々な人材育成企業が
一般の企業向けに行っています。
新人社員研修や管理職育成、
社長育成コースまであるコンサルも
あるぐらいです。
どんなに出来た人間でも必ず
アラを見つけ指摘され叩き落とされて
最後に達成感を味わう典型的な
流れです。
昔からこういう合宿に参加してきた
企業の管理職の方も多い事から
思い当たる節がある人も
多いと思います。
問題は企業に成果が見られない
という点で近年の社会情勢において
こういう取り組みは残念ながら
時代遅れです。
ですが人の質も低下して
教育者の立場である管理職も
能力や質に問題があるなら
こういった厳しい環境で
叩き直して欲しいと言う経営者の
気持ちも解らなくはありません。
経営者はもっと考え、
こういった企業に頼らず
自ら教育する事を諦めずに
会社の発展を目指すべきでしょう。
成果があるとしても一過性のもので
永遠に効果がある訳ではないので
費用対効果をちゃんと見据えて
投資する事は経営者の義務なのです。
「ではどうすればいいのか?」
それが課題なのです。
お金を払ってレバレッジを
効かせるべき事(効率化)と
それをやってはいけない部分
(気持ち・想い)を正確に判断して
自社の社員と向き合って
考えて行かなければいけません。
そして、事業部に戻ってきた
本田承太郎も部長に報告を終え、
前田と合流して
再び仕事に取りかかるのでした。
つづく