普段から思っていたことがある。


救急車や消防車などの緊急車両のサイレンが聞こえると、

すべての車が、道を譲り、それらの車の到着を求めている

人のためにすべての人々が協力する。


普段は交通ルールを破り、迷惑運転をしている車でさえ、

その時ばかりは道を譲る。

そこに居合わせた誰もが道を譲る。


これが人々の本当の姿なんではないだろうか?


助け合い、協力し合い、支え合う。


今回の震災を通して、人々の持っている

最も美しい部分が浮き彫りにされたように思う。



やがて時が過ぎ、日常が取り戻されてくると、

それらの美しい姿は影をひそめてしまうのかもしれない。


しかし、ほんの束の間のことであったとしても

今の日本の人々、そして国を超えて多くの人々が

助け合い、協力し合い、支え合っている。

これこそが人間の本当の姿なのだと思いたい。


そうではない人もいるにはいるのだろう。


しかし、ここまで多くの人々がまとまって、

何か一つの目的のために手をつなぐ光景を

私は見たことがない。


私たち人間というものの本当の姿。

それは本能と利己的欲求に満たされたものではなく、

理性と利他的な欲求で満たされたものであってほしいと

願わずにはいられない。




ジョン・レノンのイマジンや

ボブ・ディランの風に吹かれてが

頭の中で流れている。


今回の震災を通して、会いたくても会えない人々がたくさんいる。

親子、夫婦、恋人、友人…

多くの人々が、その再会の日を待ちわびている。


しかし、中には生きて再会することは叶わない人々もいる。

死別だ。

その人々にとっては、せめて遺体と対面できることが、

一つの再会と言えるのかもしれないが、

最も望んでいた、幸せな形からは、ほど遠いことだけは確かだ。



生き別れた人々、死に別れた人々、安否すら不明確な人々。

メディアではそのすべての人々の話が報道されているが、

それらを見ていて一つの特徴に気が付く。


本来、死に別れてしまった人々が最も悲しく、

絶望的な状況なのかと思ってしまうが、意外にそうではない

ように見て取れる。


多くの死に別れた人々の口から語られるのは、新たな決意と

未来への希望である。


「亡くなったあの人の分まで精いっぱいに生きる。」

「残された子供たちを、私一人で必ず育て上げる」

「私も妻と子供を失ったが、負けずに一緒に頑張ろう。」


このような希望的で、建設的な言葉が彼らからはよく聞かれる。

もちろん全員がそうではないことは十分承知しているが、

人生において考えられる、最も悲惨な状況を経験している

彼らの口からそのような言葉が聞かれるのは、人というものの

底知れぬ気力を感じずにはいられない。



しかし、一方では、相手の安否がわかっていて、

どこにいるかまでわかっている幸運な人々がいる。

もちろん幸運とは言っても、今回のような大災害の中で

相対的に見て「幸運」と言えるだけで、その人々も

十分に辛い経験をしていることには変わりはないのだが…。

一応、ここでは話の中で比較するために幸運な人々と表現する

ことにする。


そんな幸運な人々の話をメディアを通して見ていると、

前述の、悲惨で不運な人々と対象的な反応が見られるように思う。


再会を求める相手の無事が確認できていて、ある程度

どこにいるかもわかっているのにも関わらず、

彼らは大変苛立っている。


「燃料不足で車が出せない。」

「道路の整備はまだなのか。」

「国はいったい何をやっているんだ。」


彼らから出てくる言葉は、苛立ちと焦り、そして失望感に

満ちている。相手の無事がわかっているのにも関わらずである。



私はこの二つのうちの後者にあたる。

つまり幸運な類に含まれる。

私が今一番会いたい相手の無事は確認している。

むしろ地震当日は一緒に逃げ回っていた。

その後、電話でも数回会話を交わしている。


おそらく、周りから見れば、相当恵まれている境遇と言える。


しかし、私は苛立っていた。


その相手は、地震の数日後に母国である中国に避難をした。

母国に戻ってから一度電話があったが、電波の不調なのか

途中で切れてしまった。


その後は一向に連絡が来ない。


私は向こうの連絡先は知らないため、私から連絡を

することは不可能だ。


「なぜ連絡が来ないのか?」

「電話ができなくてもメールはできるのではないか?」

「まさかこのまま会えなくなるのではないだろうか?」


このように私の心は不安と苛立ちでいっぱいだった。


あきらかに相対的に見れば「超幸運」と言ってもおかしくない

私が、このようなネガティブな考えを持っているのである。


情けなくて仕方がない。


もっともっと不運で不幸な人々がいるのにも関わらず、

私の心は、その会いたい人のことを想うと、不平不満で

満たされるのである。



今回の震災を通して、自分の器の小ささを日々実感せずには

いられない…。

余震に目を覚まし、寝ることもできそうにない。

原発の様子も気になったのでYahooのニュースを

開いてみた。


原発の様子は一向に変わらず。


悪化しているというわけではなく、

おそらくは、もともと悪かったその状況が、

徐々に明らかになってきているというだけで、

現状は変わっていないのだろうと感じる記事だった。



もう一つ、今回の死者の多くが溺死であるという記事を読んだ。


その中にはこんな高齢者たちも含まれていたという。


防寒のため7枚も8枚も重ね着し、リュックを背負い

その中には非常食であろうと思われるチョコレートや

印鑑、保険証、思い出写真のアルバムなどが入っていたそうだ。


つまり彼らは避難せずに津波に巻き込まれたわけではない。


必死に生きようとして、生き抜こうとして、その最善の努力として

準備をしている最中、もしくは逃げている最中に波に

のまれてしまったのだ。



きっとそれぞれの生き抜きたい理由があったのだと思う。


しかし、想定外とされるその津波は、容赦なく彼らの

命を奪っていった。



彼らの無念さを思うと、いたたまれない気持ちになる。



一方、避難することには成功し、避難所で辛い思いを

しながら暮らしているある高齢者の言葉が、印象的であった

ことを思い出す。


「こんな経験するなら長生きするものじゃないね…」


その方の表情を見ていると、

その気持ちも痛いほど伝わってくる。


つい前日までは暖かい家で、おいしい食事をし、

やわらかい布団でぐっすりと寝れていた日常が一転、

寒く、床は固く、食事もろくに取れず、

プライバシーなど存在しない空間で

寝ることもできず、孤独な時間が過ぎ去るのを

ただひたすら待つしかないそんな状況では

上記のような言葉が出てくるのも自然なことなのだと思う。



もう一つ似たような意味を持つ話を、私は知っていた。


私の友人の祖父母の話のなのだが、

以前に震度6クラスの地震があった時に、

友人と祖父母は一緒に家にいたそうなのだが、

その時に、友人は祖父母に対し

「早く逃げよう」

と必死に祖父母を逃がそうとしたそうだ。


しかし祖父母は

「私たちはもう十分長く生きたのだから

ここで死んでも大丈夫。お前だけ逃げなさい。」

と笑いながら友人に語ったそうなのだ。


結局その地震は大きな被害もなく過ぎ去ったのだが、

これらの話を考えると生きるとは何なのかと

考えさせられずをえない。


生きたかったのに、生きれなかった人々。

生き残ったが、生きてなくても良かった言う人々。

死んでもいいと笑顔で語る人。


私はまだ彼らほどの長い人生を生きたわけではないので、

彼らの心境を深く理解することはできないかもしれない。


だからそれぞれの考え方を否定することも、肯定することもできない…。




生きるということは、一体何を意味するのだろうか?



ちょうどこの文章を綴りながら、もう一つ別な話を思い出していた。


記憶に新しい、ニュージーランドの大地震である。


夢を持ち、新たな一歩を踏み出すために留学という

道を選んだ多くの志高き人々の命が、

無残にもその地震によって奪われた。


しかも、夢のために学んでいた、

まさしくその場所で命を落とすことになってしまったのだから、

本当にいたたまれない気持ちになる。



そんな多くの出来事が世界中で起きている中で、

私自身は今ここで、こうして生きている。


私はこれからどのように生きていけば良いのだろうか?


私が生きている意味とはなんなのだろうか?


この文章の中で答えにたどり着くことはないが、

人間は生きている限り、何らかの意味を持ち、

その意味を果たす役割があるのだと私は信じていたい。



最後にはなるが、私自身が二十歳の時に母を亡くし、

悲しみに暮れている時に、葬儀を担当してくれた僧の方が

私に何度も伝えてくれた言葉があるのだが、

その言葉を紹介してこの文章結びたいと思う。




『あなたのお母さんが、52年間という人生において

最後に「死」という形であなたに何かを教えている。

その何かを感じてほしい。感じて欲しい。』