ナンシー・グリフィス(Nanci Griffith/出生名:Nanci Caroline Griffith/1953年7月6日~2021年8月13日)は、アメリカ合衆国のフォーク、カントリーのソングライター。

 

 

 

1953年7月6日、ナンシー・キャロライン・グリフィスは3人兄弟の末っ子として、テキサス州セギンで誕生。母親のルーリーンは不動産業者でアマチュア女優、父親のマーリン・グリフィスはグラフィック・アーティストで、理髪店のカルテット歌手としても活動していた。

 

ナンシーが生まれてすぐに家族が引っ越したため、彼女はオースティンで育った。

 

12歳の時、地元のコーヒーハウスで歌い、音楽のキャリアをスタートした。

 

10代の頃、父親は彼女をタウンズ・ヴァン・ザントを見に連れて行った。

 

14歳の時、彼女はオースティンのダウンタウンにあるレッド・ライオン・キャバレーでプロとして初めての演奏をした。

様々な職業に就いていたが、根底にあるのは最初から音楽アーティストであったということだ。

 

1978年、彼女のデビュー・アルバム『There’s a Light Beyond These Woods』を    B.F. Dealからリリース、カヴァー・アートは父親がデザインした。

 

 

1982年、Featherbedからリリースしたアルバム『Poet In My Window』で詩的な歌声を聴かせた彼女は、自由になりたいと願う才能を感じさせた。ジミー・デイル・ギルモアの“Tonight I Think I’m Gonna Go Downtown”を収録。

 

 

1984年、テネシー州ナッシュビルにあるカウボーイ・ジャック・クレメントのCowboy Arms Hotel and Recording Spaで録音された壮大な『Once In A Very Blue Moon』をPhiloからリリースして、それを実現した。ここからは、"Once in a Very Blue Moon"がカントリー85位に達した。CD化に伴い、ライル・ロヴェットの “If I Were The Woman You Wanted”のカヴァーが収録された。

 

 

 

1986年、アルバム『The Last of the True Believers』をPhiloからリリース。"Love at the Five and Dime"を収録。

 

同年、キャシー・マテアがグリフィスの“Love at the Five and Dime”をカヴァーしてカントリー・ミュージックのトップ5ヒットを記録した。

 

 

1987年、アルバム『Lone Star State of Mind』をMCAからリリース、『ビルボード』誌のカントリー・アルバム・チャート(以下「カントリー」)23位をマークした。ここからは、タイトルトラック"Lone Star State of Mind"が同誌カントリー・ソング・チャート(以下「カントリー」)36位、"Trouble in the Fields"がカントリー57位・カナダカントリー43位、"Cold Hearts/Closed Minds"がカントリー64位を記録。さらに、彼女の最も有名な曲のひとつでジュリー・ゴールドが作詞作曲した“From a Distance”がアイルランドで9位に入った。

 

 

 

 

 

 

1988年、アルバム『Little Love Affairs』をリリース、カントリー27位・全英78位をマークした。

 

 

1989年、アルバム『Storms』をリリース、カントリー42位・『ビルボード』誌の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)99位・全英38位を記録。 

 

 

1991年、アルバム『Late Night Grande Hotel』をリリース、全米185位・全英40位に入った。本アルバムからのシングルは、"Never Mind"がカントリー58位、"I Knew Love"がカントリー37位・アイルランド20位、"Anyone Can Be Somebody's Fool" がカントリー64位をマークした。

 

 

 

 

同年、スージー・ボガスは、グリフィス (およびトム・ラッセル) の“Outbound Plane”をカヴァー、米国とカナダのカントリー・チャートでともに9位と同曲最大のヒットを記録した。

 

 

1993年3月2日、同年にレコーディングしたアルバム『Other Voices, Other Rooms』をElektraから発表、全米54位・全英18位をマーク。ボブ・ディランやウッディ・ガスリーなど、グリフィスが大きな影響を受けたアーティストの曲をカヴァーしているこのアルバムは、翌1994年に最優秀コンテンポラリー フォーク・アルバムのグラミー賞を受賞した。

 

 

 

同年、コンピレーション・アルバム『The Best of Nanci Griffith』をリリース、全英27位をマークした。

 


1994年、グリフィスはジミー・ウェッブとチームを組み、レッド・ホット・オーガニゼーションがプロデュースしたエイズ支援アルバム『Red Hot + Country』に“If These Old Walls Could Speak”という曲を提供した。

9月13日、アルバム『Flyer』をリリース、全米48位・全英20位。ここから"This Heart"、"These Days in an Open Book"をカットした。

 

 

 

 

1995年、バディ・ホリー(Buddy Holly)のトリビュート・アルバム『Not Fade Away (Remembering Buddy Holly)』に、クリケッツ(the Crickets)と共演した"Well...All Right"で参加、カナダカントリー87位に入った。

 

 

1996年、グリフィスは乳がんと診断された。

 

 

1998年には甲状腺がんを患った。


2004年以降、グリフィスは深刻な作家のスランプに陥った。

 

 

キャリアの後半では、ベラ・フレックやマーク・オコナーといった一流のプレイヤーをバックに起用したことで、彼女のカントリー・ヴォイスはより自由になった。この音楽によって、彼女はますます熱心なイギリスのファンを獲得。南部ゴシックの流れを汲むグリフィスは、この時代に映画のような風景を描き出す曲を作っていた。  常に現代的なセンスを持ちながらも、過去に目を向けていたナンシー・グリフィスは、ノスタルジックなアメリカの視線と最新のテクノロジーを融合させていた。

 

 

2006年、アルバム『Ruby's Torch』をRounderからリリース、素晴らしいトーチソングを提供。

 

 

2009年6月9日、アルバム『The Loving Kind』をリリース、ようやくスランプのトンネルを抜け出した。本アルバムには、彼女が完全に自分で、または共同で作詞作曲した9曲を収録。重みのある政治的声明を発表している。



2011年に数か月にわたる限定ツアーを行った後、グリフィスのバンド仲間であるケネディーズ(ピート&モーラ・ケネディ)は、マンハッタンのプロ用レコーディングスタジオを片付けてナッシュビルに移し、グリフィスの自宅に設置した。この場所で、彼女はピート&モーラ・ケネディやパット・マキナニーを含むバックグループとともに、夏の間中アルバム『Intersection』を共同プロデュースした。

 

 

2012年2月20日、アルバム『Intersection』をProper Recordsからリリース。ナッシュビルのホームスタジオで制作されたもので、グリフィスが真に偉大なアメリカーナやカントリーの人々のように、長期にわたって活動を続けていることを示している。

 

 

 

 

2021年初め、ナンシー・グリフィスは、ライトニン・ホプキンス、レフティ・フリゼール、マーク・ジェイムスとともに、テキサス・ヘリテージ・ソングライターズ・アソシエーションの2022年の殿堂入りが発表された。

 

 

 

 

2021年8月13日、ナンシー・グリフィスが亡くなった。享年68。死因は明らかにされていないが、彼女のマネジメント会社は自然死としている。




2023年9月22日、ラウンダー&コンコード・レコードからトリビュート・アルバム『More than a Whisper: Celebrating the Music of Nanci Griffith』がリリースされた。このコンピレーションには、サラ・ジャロス、ジョン・プライン、ケルシー・ウォルドン、ビリー・ストリングス、モリー・タトル、エミルー・ハリス、ライル・ラヴェット、キャシー・マテア、ブランディ・クラーク、ショーン・コルヴィン、アイダ・メイ、スティーブ・アール、アーロン・リー・タスジャン、トッド・スナイダー、アイリス・デメント、メアリー・ゴーティエ、ザ・ウォー・アンド・トリーティなど、友人やファンによるグリフィスの曲のカバーが収録されている。


2024年9月6日、ブライアン・T・アトキンソン著『Love at the Five and Dime: The Songwriting Legacy of Nanci Griffith』は、テキサスA&M大学出版局から発売される予定。著者のウェブサイトによると、『Love at the Five and Dime』には、インディゴ・ガールズ、ライル・ラヴェット、キャシー・マテアによる序文と、スティーブ・アール、ロドニー・クロウエル、ドン・マクリーンなどのソングライターの友人や、エリザベス・クック、カウンティング・クロウズのアダム・デュリッツ、トッド・スナイダーなどのフォロワー、さらにはロイド・グリーンやロンドン交響楽団のトム・ノリスなどの演奏者、トニー・ブラウン、ピーター・コリンズ、ジム・ルーニーなどのプロデューサーへの130以上のインタビューが収録されている。

 


彼女のキャリアは、主にカントリー、フォーク、そして彼女が「フォークビリー」と呼ぶ音楽の様々なジャンルに及んだ。

 

 

シンガーソングライターのクリスティン・ラビンは、グリフィスのパフォーマンスを初めて見た時のことを次のように回想している。「彼女の歌、演奏、話し方、すべてが完璧であることに驚きました。最初から、彼女は完全なプロフェッショナルだとわかりました。明らかに、彼女はそのように上手くなるために長い時間をかけて努力してきました。」

グリフィスは、バディ・ホリーのバンドであるザ・クリケッツ、ジョン・プライン、アイリス・デメント、スージー・ボガス、ジュディ・コリンズなど、様々なアーティストとツアーをした。グリフィスは、エミルー・ハリス、メアリー・ブラック、ジョン・プライン、ドン・マクリーン、ジミー・バフェット、ドロレス・キーン、ウィリー・ネルソン、アダム・デュリッツ (カウンティング・クロウズの歌手)、ザ・チーフタンズ、ミュージシャンのジョン・スチュワートなど、多くのアーティストとデュエットを録音した。ダリウス・ラッカー(フーティー・アンド・ザ・ブロウフィッシュのリードシンガー)も参加。彼女はまた、他の多くのレコーディングでもバック・ヴォーカルを務めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「Nanci Griffith」

 

 

 

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