メアリー・ブラック(Mary Black/1955年5月22日~)は、アイルランドの歌手。

 

 

 

1955年5月22日、メアリー・ブラックはアイルランドの首都ダブリンにあるチャールモント・ストリートにて、北アイルランド沖のラスリン島出身の父親がバイオリン奏者、母親がミュージックホールの歌手という音楽一家に生まれ、4人のきょうだいがいた。妹のフランシスは90年代に歌手として大きな成功を収めることになる。

 

8歳の時、このような音楽的背景に生まれ育ったメアリーは、伝統的なアイルランドの歌を歌い始めた。

 

彼女はラスマインズのセントルイス高校で教育を受けた。

 

 

1970年代に入ると、成長した彼女はダブリン周辺の小さなクラブで、兄弟のシェイ(Shay Black)とマイケル(Michael Black)、そしてマーティン(Martin Black)と一緒に、4人組「ブラック・ファミリー」(The Black Family)として演奏するようになった。後に妹のフランシス(Frances Black)もグループに加わるが、彼女は90年代にソロ歌手として大きな成功を収めることになる。

 

 

1975年、ブラックは「ジェネラル・ハンバート」(General Humbert)という小さなフォーク・バンドに参加し、一緒にヨーロッパ・ツアーを行い、1975年と1978年に2枚のアルバムをリリースした。

 

 

1982年、彼女はミュージシャン兼プロデューサーのデクラン・シノットとプロの関係を築き、レコーディング。シングル“The Rose of Allendale”でソロ・デビュー。

 

同年、セルフ・タイトルの初ソロ・アルバム『メアリー・ブラック』(Mary Black)をリリースした。本アルバムは、アイルランドのチャートで好成績を収め、ゴールドディスクを獲得、翌1983年にはアイリッシュ・インディペンデント紙から栄誉を授けられ、今でも1980年代のアイルランドの最高のアルバムの1つと呼ばれている。

 

 

ブラックはバンド「デ・ダナン」(De Dannan)とともに伝統的なアイルランド音楽に挑戦し、彼らと一緒にヨーロッパや米国をツアーした。

 

 

1984年、デ・ダナンと活動していた間、ブラックは2ndソロ・アルバム『コレクテッド』(Collected)をリリース。

 

 

 

1985年、ブラックはデ・ダナンと一緒に録音したアルバム『Anthem』をリリース、アイルランド・アルバム・オブ・ザ・イヤー賞を受賞した。

 

同年、3rdソロ・アルバム『ウィズアウト・ザ・ファンファーレ』(Without the Fanfare)もデ・ダナンと活動していた時期のソロ作品である。

 

これらのレコーディングは、ブラックをより現代的な音楽の方向に導いた。これらのリリースの成功に伴い、IRMAは1986年に彼女を年間最優秀エンターテイナーに、1987年と1988年には最優秀女性アーティストに指名した。
彼女の初期のソロキャリアの大部分において、シノットはプロデューサー、ギタリスト、音楽監督を務めた。このパートナーシップは1995年まで続き、その後友好的に別れた。


1986年、ブラックはデ・ダナンから脱退。

同年、5人の兄弟はセルフ・タイトルの1stアルバム『The Black Family』を録音し、Dara Recordsからリリースした。

 

 

1987年、彼女は4thソロ・アルバム『暗くなる前に』(By the Time It Gets Dark)をリリース。最初のマルチ・プラチナ・アイルランド・アルバムとなった。ここから “Katie”をシングル・カット。

 

 

 

1989年8月、画期的なアルバム『ノー・フロンティアーズ』(No Frontiers)をリリースすると、同年アイルランドで最も売れたアルバムの一枚となり、同国のアルバム・チャートでトップ30に1年以上に及ぶ56週間ランク・イン、さらにプラチナ認定を獲得した。ここから、リード・トラック“コロンバス”(Columbus)が大規模なエアプレイを受けた他、タイトル・ナンバー“ノー・フロンティアーズ”(No Frontiers)、 “カロリナ・ルー”(Carolina Rua)、“小さな願い”(I Say A Little Prayer)をカット。本作により、欧州の他地域、米国、日本などで人気を得て、中でも数回のツアーと広範囲にわたるラジオ露出により、米国での人気が特に高まった。

 

 

 

 

 

同年、ブラック・ファミリーの5人は再びレコーディングを行い、メアリーが4人の兄弟のためにアルバム『Time for Touching Home』をプロデュースした。

 

 

1990年代初頭、シェイとマイケルは米国カリフォルニアに移住して、独自の音楽グループを結成、「ブラック・ブラザーズ」(the Black Brothers)という名で音楽活動を継続、成功を収め続けている。

 

 

1990年、米国での『ノー・フロンティアーズ』の成功を受けて、ブラックは NAC レコーディング・アーティストとしてヒットした。 

 

 

1991年春、ブラックはアメリカ・ツアーに出発した。

同年にリリースしたアルバム『ベイブス・イン・ザ・ウッド』(Babes in the Wood)は再びアイルランドのチャートで第1位に入り、6週間チャートに留まった。ここからのシングル“ソーン・アポン・ザ・ローズ”(The Thorn Upon the Rose)は日本において、JRのテレビCMに使用された後、オリコン・シングルチャートで8位に達した。

 

 

『ベイブス・イン・ザ・ウッド』は再び米国で好成績を収め、英国の新聞『トゥデイ』紙の投票で年間トップ10アルバムの一枚に選出。アルバムのリリースによりツアーはソールドアウトとなった。

 

 

1992年1月、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで初コンサートを開催、1年後にチャンネル4で放送された。

彼女は再びIRMAにより最優秀女性アーティストに選ばれた。
メアリーは『ビルボード』誌の表紙を飾り、彼女を「国際市場でエンヤ、シニード・オコナー、クラナドのマイレ・ブレナンといった有力なアイルランド人アーティストの仲間入りをする確固たるお気に入り」と称賛した。

 

 

1993年、彼女の次のアルバム『ザ・ホーリー・グラウンド』(The Holy Ground )は再びアイルランドのアルバム・チャートでナンバー1を獲得した。

 

10・11月、彼女はアルバムをサポートするため、米国ツアーを行った。

 

 

次のプロジェクトでは、メアリーは6人のアイルランド女性アーティストと協力してコンピレーション・アルバム『A Woman's Heart』をレコーディングした。ここには他のアーティストとして、彼女の実妹フランシス・ブラック、エレノア・マケヴォイ、ドロレス・キーン、シャロン・シャノン、モーラ・オコネルなどが含まれていた。そのセールスの成功により、別のアルバム『A Woman's Heart 2』が生まれた。

 

 

1994年と1996年、4回目と5回目の「最優秀女性アーティスト」に選ばれた。

 

 

1995年春、ブラックはアメリカのフォーク歌手ジョーン・バエズのアルバム『リング・ザム・ベルズ』のために、彼と2曲のデュエットを録音した。

同年、彼女はベスト・アルバム『ルッキング バック』(Looking Back)を発売、そのリリースをサポートするため彼女は主に米国、ドイツ、スカンジナビアをツアーした。

同年、アルバム『サーカス』(Circus)をリリース。

 

 

1997年、アルバム『シャイン』(Shine)をリリース。ここから“One and Only”をシングル・カットした。

 

 

 

1999年、アルバム『スピーキング・ウィズ・ザ・エンジェル』(Speaking with the Angel)をリリースした。

 

 

2003年、ブラックは初のライヴ・アルバム『メアリー・ブラック・ライブ』をリリースした。

 

 

2004年、ブラック・ファミリーは3枚目のアルバム『Our Time Together』のために再結成した。このアルバムでは母親のパティも1曲歌っている。

 

 

2005年、アルバム『フル・タイド』(Full Tide)をリリースした。彼女にとって2000年代の唯一のスタジオ・アルバムとなった本作品は成功を収めたものの、ここ数年は彼女の音楽的知名度は低かった。

 

 

2008年、ブラックは音楽業界でのキャリアを記念したコンピレーション・アルバム『Twenty Five Years – Twenty Five Songs』をリリースした。4つのリミックス トラック、完全にリマスターされた曲、2つの新しいレコーディングが含まれている。 

同年、彼女はクリスティ・ヘネシーの遺作アルバム『ザ・トゥー・オブ・アス』で“イフ・ユー・ワー・トゥ・フォール”というタイトルのデュエットでゲスト出演した。

ブラックはまた、リアム・クランシーのアルバム『ザ・ホイール・オブ・ライフ』のトラック“トーク・トゥ・ミー・オブ・メンドシーノ”にゲスト出演した。 

 

 

2009年、彼女はスティーブ・マーティンのアルバム『The Crow: New Songs for the 5-String Banjo』の1曲にフィーチャーされている。

 

 

2011年、彼女は『Stories from the Steeples』というタイトルの新しいアルバムをリリースした。ここからのシングルは、“Marguerite and the Gambler”をリリース。

 

同年、彼女はアイルランドのポップバンド「ウェストライフ」(Westlife)と「Walking in the Air」と題したデュエット・ライヴを行った。

 

 

2014年から2015年、娘のロイシン・オーとの「ラスト・コール」ツアーはブラックの最後の国際ツアーとして宣伝されたが、彼女はこの後も歌い続けるつもりだった。

10月、彼女の自伝『Down the Crooked Road』(ISBN 9781848271876)が出版された。


2017年、彼女は30周年を記念して1987年のアルバム『バイ・ザ・タイム・イット・ゲッツ・ダーク』のリマスター版『By The Time It Gets Dark – 30th Anniversary Edition』をリリースした。リマスターされたアルバムには、アルバム収録曲の完全にリミックスおよびデジタル リマスターされたバージョン、再発行のために特別に録音された真の新曲“Wounded Heart”、および“Copper Kettle”という珍しいB面が含まれている。

 

 

同年後半、ブラックは『メアリー・ブラック・シングス・ジミー・マッカーシー』という新しいコンピレーション・アルバムをリリースした。これには、以前に録音された6曲、新曲4曲、そしてマッカーシーとのライブ・デュエット1曲が含まれている。

 

 

2018年、ブラックはニュー・アルバムのプロモーションでツアーを行った。

 

 

2019年、アルバム『Orchestrated』をリリース。

 

 

2021年、ベスト・アルバム『The Best From 25 Years』をリリース。

 

 

2022年、アルバム『Duets』をリリース。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「メアリー・ブラック」「Mary Black」「The Black Family (band)」「De Dannan」

 

 

(関連記事)