ウィリー・ネルソン(Willie Nelson/本名:Willie Hugh Nelson/1933年4月29日~)は、

アメリカ合衆国のシンガーソングライター、ギタリスト、俳優。

 

 

テキサス州フォート・ワース近郊アボット(Abbott)出身。イギリス、アイルランド、チェロキーの血を引く。生後まもなく母親が家を出て、父親も再婚したために、姉妹とともに祖父母に引き取られ育てられる。

 

ネルソンは6歳の時、祖父からギターを買い与えられ、いくつかのコードを教わった。

また、ネルソンは地元の教会でゴスペルの歌を歌った。

 

彼は7歳で最初の曲を書き、9歳の時に地元のバンド「Bohemian Polka」でギターを弾いた。

夏の間、家族は他の地元民と一緒に綿を選んだ。ネルソンは綿花選びが嫌いだったので、13歳からダンスホール、居酒屋、ホンキートンクで歌っては金を稼ぐことを高校まで続けた。

彼の音楽的影響は、ハンク・ウィリアムズ、ボブ・ウィルズ、レフティ・フリゼル、レイ・プライス、アーネスト・タブ、ハンク・スノー、ジャンゴ・ラインハルト、フランク・シナトラ、ルイ・アームストロングから受けた。

 

ネルソンはアボット高校に通い、そこでフットボールやバスケットボール、そして野球などに興じた。その傍らで在学中、姉の夫バド・フレッチャーが結成したバンド「テキサンズ」で歌い、ギターを弾いた。バンドはホンキートンクなどで演奏した。

 

1950年、高校卒業後、ネルソンは米国空軍に加わった。だが背中の問題のために9ヶ月間勤めた後、除隊された。

 

1952年に帰国すると、マーサ・マシューズと結婚。

1954年から1956年までベイラー大学で農業を学んでいたが、在学中にタウカッパイプシロン兄弟に加わり、音楽のキャリアを追求するために大学は中退した。

彼は再びナイトクラブの用心棒、自動車工場の部品工、サドルメーカー、そして木のトリマーとして働いた。彼は後にジョニーブッシュのバンドに加わった。

 

その後、ラジオ局のディスクジョッキーなどをしながらデモテープを制作、いくつものレーベルに送るなどした。

 

1957年2月、初めてレコーディングした音源をシングル"No Place for Me"として発売。スターデイ・レコードのカスタムレーベル「ウィリー・ネルソン・レコード」からのリリースで、最初のプレスで500枚、最終的には3,000枚を売った。

 

 

1962年、Shirley Collieと共演した"Willingly" (with Shirley Collie)で、『ビルボード』誌のカントリーシングルチャート(以下「カントリー」)10位に初ランクイン。

同年、自身初のアルバム『...And Then I Wrote』からのシングル"Touch Me"がカントリー7位、同誌の総合シングルランキングBillboard Hot 100(以下「全米」)109位にランクインした。

 

 

1963年、アルバム『Here's Willie Nelson』からリカットした"Half a Man"をリリース、カントリー25位・全米129位。

 

1965年8月30日、アルバム『Country Willie – His Own Songs』をRCA Victorからリリース、自身初のカントリーアルバムチャート(以下「カントリー」)14位にランクイン。

 

1968年、アルバム『Good Times』からカットした"Little Things"が、カントリー22位、カナダのカントリーチャート(以下「カナダカントリー」)でも8位にランインした。

 

1969年、シングル"Bring Me Sunshine"をリリース、カントリー13位。

 

1960年代後半に興隆したヒッピー・ムーブメントに強い影響を受け、同時に様々な音楽性にふれ、吸収する。 

 

1973年、アルバム『ショットガン・ウィリー』 (Shotgun Willie)をリリース、『ビルボード』誌Billboard カントリー41位・Top LPs & Tapes(以下「全米」)205位に入るヒットとなった。

“Stay All Night (Stay A Little Longer)”がシングルカット、カントリー22位・Billboard Hot 100(以下「全米」)26位、タイトルナンバー“Shotgun Willie”がカントリー 60位となった。

 

 

 

 

1975年、アルバム『レッド・ヘッデッド・ストレンジャー』(Red Headed Stranger)をリリース、カントリー1位・全米28位のヒットとなった。また、シングル“雨の別離”(Blue Eyes Crying in the Rain)が、カントリー1位・全米21位、英国でもチャート57位を獲得し、グラミー賞のベスト・カントリー・ボーカル(男性)部門を受賞した。アルバムからのシングルは他に"Remember Me"がカントリー2位・全米67位。

 

 

 

1976年、アルバム『The Sound in Your Mind』から"If You've Got the Money I've Got the Time"がシングルカット、カントリー1位。カナダカントリー5位。

 

1978年、アルバム『Stardust』をリリース、カントリー1位・全米30位・カナダカントリー1位、また、1978年の『ビルボード』誌トップ・カントリーアルバム年間1位・1980年オーストラリア年間アルバム6位の大ヒットとなった。

 

アルバムからの最大のヒットシングルは、1931年にフランキー・トラムバウアーがヒットさせた、ジャズ、ブルースのスタンダードナンバーとして知られる"わが心のジョージア"(Georgia On My Mind)で、カントリー1位・全米84位・カナダカントリー1位を記録した。同曲のカヴァーは1960年のレイ・チャールズによるものが知られるが、ネルソンのヴァージョンも広く愛された。

アルバムからは他に、"Blue Skies"がカントリー1位・カナダカントリー1位・全英53位、"All of Me"がカントリー3位・カナダカントリー4位、翌1979年には "September Song"がカントリー15位・カナダカントリー5位となった。

 

 

 

 

1970年代半ばから、ウェイロン・ジェニングスをパートナーとして活動するようになり、数々のヒットを放つ。独特の鼻にかかった歌声、保守的なカントリー界にあってヒッピー的なスタイル、雑多な音楽性は異彩を放ち、保守的な従来のカントリーの主流だったナッシュビルからは異端児と見られ、彼の音楽は「アウトロー・カントリー」と呼ばれた。

 

ウィリー・ネルソンといえばポップなカントリーの象徴と見做されることも多いが、フォークやロックのミュージシャンとの交流に見られるようにクロスオーバーな活動を続けたことにより、多くのミュージシャンからの尊敬を集めている。

 

1980年、映画『The Electric Horseman』サウンドトラックに提供した"My Heroes Have Always Been Cowboys"がカントリー1位・全米44位を記録。

 

同年、ミュージカル映画『Honeysuckle Rose』サウンドトラックに提供した"オン・ザ・ロード・アゲイン"(On the Road Again)が、カントリー1位・全米20位を記録、さらに第53回アカデミー賞でBest Original Songにノミネートされた。同サウンドトラックには、"Angel Flying Too Close to the Ground"も提供し、 翌1981年にカントリー1位になった。

 

 

 

1982年3月1日、アルバム『オールウェイズ・オン・マイ・マインド』(Always on My Mind)をリリース、カントリー1位・全米2位・カナダ20位と大ヒットした。タイトルナンバー"オールウェイズ・オン・マイ・マインド"(Always on My Mind)もカントリー1位・全米5位・USアダルトコンテンポラリー2位・カナダカントリー1位・カナダ10位・全英49位と各国でヒットし、日本では後にスズキ・カルタスのCMに使われた。

アルバムからは他に、"レット・イット・ビー・ミー"(Let It Be Me)がカントリー2位・全米40位。カナダカントリー1位、"Last Thing I Needed First Thing This Morning"がカントリー2位・カナダカントリー1位となった。

 

 

 

 

 

1983年、Waylon Jenningsと共演した"Take It to the Limit" (with Waylon Jennings)がカントリー8位・全米102位・カナダカントリー1位になり、収録アルバム『Take It to the Limit』はカントリー3位・全米60位を記録、ゴールド認定を受けた。

 

 

1984年、アルバム『シティ・オブ・ニューオリンズ』(City of New Orleans)をリリース、カントリー1位・全米69位になった。タイトルナンバー"シティ・オブ・ニューオリンズ"(City of New Orleans)はカントリー1位・カナダカントリー1位を記録。

 

 

 

1985年2月、シングル"Forgiving You Was Easy"をリリース、カントリー1位・カナダ1位、アルバム『Me & Paul』収録。

 

同年、USAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのブリッジ部分(ディオンヌ・ワーウィックの次、アル・ジャロウの前)でリードヴォーカルをとった。

同年、ニール・ヤングやトム・ペティ、ジョン・メレンキャンプ、ジョン・フォガティ、ボブディランらとともに、新自由主義のレーガン政権の農業政策により困窮するアメリカの農家のためのチャリティーイベント「ファーム・エイド」を開催した。ネルソン自身、大学で農業を学んだほか、ヒッピー思想も相まって自然志向が強い。バイオディーゼルの普及活動にも取り組んでいる。

 

同1985年、ジョニー・キャッシュ、ウェイロン・ジェニングス、そしてクリス・クリストファーソンの3人とともに「ザ・ハイウェイメン」(The Highwaymen)を結成。コロムビアレコードで最初の2枚のアルバムをリリースしたとき、正式な名前を持っておらず、最初のアルバム、ハイウェイマンは、「ネルソン、ジェニングス、キャッシュ、クリストファーソン」とクレジットされた。ジミー・ウェブの楽曲であるシングル“ハイウェイマン”は、カントリーヒットのナンバーワンになった。 ガイ・クラークの“列車を待っているデスペラドス”(Desperados Waiting for a Train)のカヴァーはトップ20に到達。 

 

 

 

 

1986年、シングル"Living in the Promiseland"をアルバム『The Promiseland』からシングルカット、カントリー1位・カナダ1位。アルバムもカントリー1位を記録した。

同年、映画『夕陽のストレンジャー』(Red Headed Stranger)の音楽と製作を手掛け、「ジュリアン・シャイ」役で出演もした。

 

1989年、シングル"Nothing I Can Do About It Now"をリリース、カントリー1位・カナダカントリー1位、収録アルバム『A Horse Called Music』はカントリー2位。

 

 

1990年、シングル"Ain't Necessarily So"をリリース、カントリー17位・カナダカントリー29位、収録アルバム『Born for Trouble』はカントリー31位。

同年、ネルソンとキャッシュ、ジェニングス、そしてクリストファーソンの4人は再会し、『ハイウェイマン2』というタイトルでアルバムをリリース、カントリー4位になった。Lee Claytonが書いた曲“Silver Stallion”は最初のシングルで、全米40位になった。アルバムは、グラミー賞の最優秀カントリーボーカルコラボレーションにノミネートされた。

 

 

1995年、ドン・ウォズがプロデュースしたザ・ハイウェイメン3枚目のアルバム『ロード・ゴーズ・オン・フォーエバー』(The Road Goes On Forever)をリリース、“It Is WhatItIs”をシングルリリースした。バンドは1990年代後半までツアーを続けたが、ジェニングスとキャッシュの両方が健康状態を悪化させ始めたため、完全なツアースケジュールを維持できなかった。

4人全員がソロアーティストとして演奏を続け、ジェニングスは一時的にオールドドッグに参加した。ジェニングスは2002年に亡くなり、キャッシュは2003年に亡くなった。

 

 

 

2002年、Lee Ann Womackと共演したシングル"Mendocino County Line" (with Lee Ann Womack)をリリース、カントリー22位・全米113位を記録、収録アルバム『The Great Divide』はカントリー5位・全米43位になった。

 

 

 

2006年、シングル"Cowboys Are Frequently, Secretly Fond of Each Other"をリリース、久しぶりにカントリー52位にチャートインした。

 

 

2009年現在、ハワイ州マウイ島に在住。 

 

2015年、ポピュラー音楽によって世界の文化に多大な影響を与えたことを讃えてガーシュウィン賞が贈られることが決まった。

同年、Merle Haggardと共演したシングル"It's All Going to Pot"(with Merle Haggard)をリリース、カントリー48位にチャートイン、収録アルバム『Django and Jimmie』はカントリー1位・全米7位を記録した。

 

 

 

2019年、Paula Nelsonと共演した"Have You Ever Seen the Rain" (with Paula Nelson)をシングルリリース、カントリー36位。2013年のアルバム『To All the Girls...』に収録。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ウィリー・ネルソン」「Willie Nelson」「The Highwaymen (country supergroup)」