角松 敏生(かどまつ としき/1960年8月12日~)は、日本のシンガーソングライター、ミュージシャン、音楽プロデューサー。

 

 

 

1960年8月12日、角松敏生が生まれる。東京都渋谷区代々木出身。8歳上の兄(1952年‐)が一人居る。

 

幼少時代から音楽に興味を持ち始め、同時期より両親から強制されピアノやオルガン教室に通っていたが、角松自身はあまり乗り気では無かった。

 

10歳からギターの練習を始めた。最初は兄に手解きを受けていたが、兄が教えるのを面倒くさがるようになると、ギター関連雑誌の記事などを見ながら自分で練習をするようになる。

小学校6年生ではっぴいえんどを知る。

 

1970年代半ば、中学から高校時代にかけて、はっぴいえんどとそれに継ぐティン・パン・アレー関連の日本のロック&ポップス、そしてアメリカ東・西海岸でムーブメントが起き出したフュージョンにリアルタイムで傾倒、それらに影響を受けたバンドを作って音楽活動をスタート。この頃から担当はヴォーカル&ギター。

 

日本大学鶴ヶ丘高等学校を卒業後、日本大学文理学部哲学科に進学。

 

大学在学中、コンテスト用に“Still I'm In Love With You”のデモ・テープを作成、コンテストには落ちたものの、デモ・テープを聴いたトライアングルプロダクション社長の藤田浩一からの誘われる。

その後、テイチク・レコードからデュオとしてデビューするプランがあったが、RVCよりソロ・デビューの道を選ぶ。

 

 

1981年6月21日、1stシングル“YOKOHAMA Twilight Time”(作詞・曲:角松敏生/編曲:志熊研三)と1stアルバム『SEA BREEZE』をRCA ⁄ RVCから同時発売して、シンガーソングライターとしてデビュー。

 

尚、日大では当時インド哲学を専攻しており、8年間在籍した後、1987年に卒業する。

 

 

1982年、2ndアルバム『WEEKEND FLY TO THE SUN』を発売。カルロス・リオス、アル・マッケイがギターを演奏、ベーシストはルイス・ジョンソン、ネイザン・イースト、エイブラハム・ラボリエルが参加、さらにジョン・ロビンソンがドラムを叩くという豪華なゲストミュージシャンが顔を揃えた、ロサンゼルス録音の秀作。ルイス・ジョンソンがスラップを弾きまくった“SPACE SCRAPER”は必聴。

 

 

1983年4月21日、次作から3rdシングル“スカイ・ハイ (TAKE YOU TO THE SKY HIGH)”を先行発売、初めてタイアップとしてSchickの男性用ひげ剃りのテレビCMソングに採用された。この曲は自身にとっても代表曲となる。

 

5月21日、初のセルフ・プロデュースおよびセルフ・アレンジとなる3rdアルバム『ON THE CITY SHORE』を発売、オリコン21位を記録した。本作までの三作は夏の風景や海岸等のリゾート色に彩られた作風で、「シティポップ」と称された。しかし、本作発表直後から門野松の作風が変わる。

 

6月15日、杏里の5thアルバム『Bi・Ki・Ni』のA面(M1~5)の作詞・作曲・編曲とプロデュースを当時同じ事務所だったことから担当。オリコン27位を記録した。

11月5日、杏里の14thシングル“悲しみが止まらない”(作詞:康珍化、作曲:林哲司、編曲:角松敏生・林哲司)が発売、当時アルバムで杏里への楽曲提供とプロデュースを経験していた角松には、前シングル“CATS EYE”以上のヒットという命題を与えられて本シングルのプロデュースが任された。結果オリコン順位で本曲は4位と、同1位をマークした“CATS EYE”には及ばなかったものの、杏里の代表的な曲となった。

 

12月5日、杏里の6thアルバム『Timely!!』をフル・プロデュース。見事杏里に初のオリコン・アルバム週間チャート1位をもたらした。

 

 

1984年6月21日、杏里の7thアルバム『COOOL』をプロデュース。LA録音で現地の敏腕ミュージシャンが多数参加した。オリコン5位を記録。

 

 

1985年5月21日、5thアルバム『GOLD DIGGER〜with true love〜』と6thシングル“TOKYO TOWER”を同時発売、アルバムは初のトップ10入りとなるオリコン7位を記録。前アルバム発売直後から夜の都会をイメージしたサウンドに切り替わり、本作のニューヨークを意識したダンス・サウンドで脚光を浴び、同時期から夜の都会や自身の原体験、大人の男女の恋愛を題材とした楽曲に移行した。

 

 

1986年5月5日、9thシングル“THE BEST OF LOVE”を発売、オリコン57位。

 

6月11日、6thアルバム『TOUCH AND GO』を発売、オリコン5位。

7月1日、中山美穂のアルバム『SUMMER BREEZE』に3曲提供し、その中のバラード曲“You're My Only Shinin' Star”が彼女本人が好んでいた曲であったことからライヴでも頻繁に歌われるようになる。

 

 

1987年6月6日、12thシングル“SEA LINE”を発売、オリコン47位。 

 

7月1日、自身初のインストゥルメンタル・アルバム『SEA IS A LADY』を発売。村上ポンタ秀一や斉藤ノブなどの実力派スタジオ・ミュージシャンを起用し、オリコン4位を記録した。

 

 

10月7日、角松のプロデュースにより当時流行りのユーロビートを反映させた中山美穂の11thシングル“CATCH ME”(作詞・作曲・編曲:角松敏生)が発売、中山にとって待望のオリコン1位を獲得した。

 


1988年2月5日、7thアルバム『BEFORE THE DAYLIGHT〜is the most darkness moment in a day』を発売、自己最高のオリコン2位をマークする。

 

同年、デビュー以来の所属レコード会社の中に私設レーベル「オーン・レーベル」を立ち上げる。

2月10日、角松がフル・プロデュースした中山美穂の6thアルバム『CATCH THE NITE』が発売、同年2月22日付けのオリコンのアルバム・ランキングにて、中山の『CATCH THE NITE』が1位、角松の『BEFORE THE DAYLIGHT』が2位にチャートインした。

 

2月17日、『CATCH THE NITE』レコーディングと同時にリテイクされた“You're My Only Shinin' Star”が中山の12thシングルとして発表、“CATCH ME”に続きオリコン1位を獲得、同年の第30回日本レコード大賞金賞受賞曲となり、彼女の代表曲となる。なお、2001年に中山のベストアルバム『YOUR SELECTION』発売にあたり、収録曲を決める為にホームページ上で行った投票ではシングルA面曲で1位になっている。

 

6月21日、トランぺッターの数原晋が率いるビッグ・バンド「TOKYO ENSEMBLE LAB」のシングル“LADY OCEAN”(作・編曲:角松敏生/ブラス編曲:数原晋)をプロデュース、JT MILD SEVEN FK CMソング。

 

7月21日、TOKYO ENSEMBLE LABのアルバム『Breath From The Season』が発売。

10月21日、13thシングル“もう一度…and then”を7inchとシングルCDの2バージョンで発売、オリコン29位。

 

 

1989年6月21日、14thシングル“OKINAWA”を発売、オリコン16位。

 

9月6日、8thアルバム『REASONS FOR THOUSAND LOVERS』を発売、オリコン4位。

 

 

1990年4月21日、15thシングル“PARASAIL〜シュールホワイトのテーマ〜”を発売、オリコン25位。

 

5月21日、16thシングル“I must change my life & love for me”を発売、オリコン17位。

 

7月25日、2枚目のインスト・アルバム『LEGACY OF YOU』を発売、オリコン4位。

 



1991年4月21日、17thシングル“GALAXY GIRL”を発売、オリコン25位。

 

5月21日、18thシングル“この駅から…”を発売、オリコン19位。

 

7月3日、9thアルバム『ALL IS VANITY』を発売、オリコン5位をマーク。

12月16日、19thシングル“サンタが泣いた日”を発売、オリコン30位。

 

 

1992年2月21日、20thシングル“THE LOST LOVE”を発売、オリコン36位。

 

6月21日、21stシングル“夜をこえて”を次のアルバムから先行発売、オリコン29位。

 

7月1日、初の日本語タイトルとなった10thアルバム『あるがままに』を発売、オリコン7位。

9月9日、22ndシングル“君を二度とはなさない”を発売、オリコン39位。

 

11月1日、23rdシングル“君たちへ… 〜BONとYUKARIのBALLAD〜”を発売、オリコン38位。

 

12月16日、ミニ・アルバム『君をこえる日』を発売、オリコン12位。ここまでの三作では、私小説的な要素を持つ深みのある詞の世界を展開し、ヴォーカリストとしての魅力が増している。



1993年、「凍結」を宣言、角松敏生としての活動を無期限で停止。私生活での疲弊等で人生に悩んだ末の決断であった。

 

 

1995年、謎の地底人集団を名乗る男性8人組の覆面グループ「AGHARTA」を結成、角松は「長万部太郎」名義でバンド活動を開始し、セルフ・プロデュースやPVの編集なども手掛けた。

 

 

1997年5月21日、AGHARTAのシングル“ILE AIYE 〜WAになっておどろう〜”(作詞・曲:長万部太郎/編曲:AGHARTA)を発売すると、オリコン46位を記録。NHK教育『みんなのうた』で同年4・5月に集中放映されたこともあり、チャートでの動向以上に大きな反響を呼び、20万枚を売り上げるヒットになった。

 

7月9日、V6が“WAになっておどろう”(作詞・曲:長万部太郎/編曲:星野靖彦)のタイトルでカヴァーしてシングル発売。50万枚を超える売り上げでダブル・プラチナを獲得、オリコン2位を記録する大ヒットになった。

 

 

1998年5月、日本武道館でのライヴをもって、凍結から約6年ぶりに「解凍」と称して歌手活動を再開。

7月23日、解党後初のシングルとなる24thシングル“Realize”を発売、オリコン24位。

 

11月26日、25thシングル“Unforgettable”を発売、オリコン33位。

 

 

1999年、解凍後初のアルバム作品となる12thアルバム『TIME TUNNEL』を発売、オリコン3位。

 

以降、作品ごとに様々な試みに取り組みながらコンスタントに新作を発表している。

11月25日、26thシングル“You're My Only Shinin' Star”を発売、オリコン27位。

 

 

2000年1月19日、女性シンガーへの提供曲で構成されたセルフカヴァー・アルバム『The gentle sex』を発売、オリコン5位。

 

7月5日、27thシングル“愛と修羅”を発売、オリコン18位。

 

8月2日、13thアルバム『存在の証明』を発売、オリコン7位。

 

 

2001年6月21日、20周年記念シングルとして28thシングル“心配 / YOKOHAMA Twilight Time 〜20th Anniversary Version〜”を発売、オリコン26位。

 

 

2002年5月22日、29thシングル“Always Be With You”を発売、オリコン35位。

 

10月30日、沖縄音楽やアイヌの民族楽器トンコリを取り入れるなど、民族音楽との「音楽的交易」に取り組んだ14thアルバム『INCARNATIO』を発売、オリコン12位。

 

 

2003年7月9日、30thシングル“君のためにできること”を発売、自身キャリアハイとなるオリコンシングル週間チャート最高位6位を記録した。

 

8月6日、15thアルバム『Summer 4 Rhythm』を発売、オリコン9位。

 

 

2004年4月7日、31stシングル“Startin’/月のように星のように”を発売、2曲連続でオリコン週間シングルでトップ10入りとなる10位をマーク。

 

 

8月4日、16thアルバム『Fankacoustics』を発売、スタイルの異なる2組のバンド構成での2枚組CDとして発売、オリコン13位。

 

 

2005年10月26日、新曲5曲とセルフカヴァー5曲をカップリングしたアルバム『THE PAST & THEN』を発売、オリコン12位。

 

 

2006年5月10日、25周年記念シングルとして、沖縄の音楽ユニット「しゃかり」の千秋とデュエットした32thシングル“Smile”を「角松敏生 with 千秋」名義で発売、映画『ミラクルバナナ』の主題歌。オリコン17位、、オリコンデイリーでは最高位9位にランクインした。

 

7月26日、17thアルバム『Prayer』を発売、オリコン10位。

 

 

2009年3月18日、18thアルバム『NO TURNS』を発売、Blu-spec CD採用。オリコン17位。

 

 

2010年8月4日、19thアルバム『Citylights Dandy』を発売。「Summer 4 Rhythm 第2弾」の基本コンセプトをもとに、「都会・夜」をテーマにした楽曲で構成されたコンセプト・アルバム。オリコン13位。

 

 

2012年3月14日、リメイク・ベスト・アルバム『REBIRTH 1 〜re-make best〜』を発売、オリコン11位。

 

 

2014年3月19日、20thアルバム『THE MOMENT』を発売、Blu-spec CD2採用。オリコン16位。

 

 

2016年3月16日、デビューアルバム『SEA BREEZE』の2016年リミックス盤『SEA BREEZE 2016』を発売、オリコン7位。

10月、自身がプロデュースするミュージカル「TOSHIKI KADOMATSU Produce ILLUMINANT REBIRTH “NIKOICHI” feat.MAY'S」がサンリオピューロランドにて公演された。

 

 

2018年4月25日、セルフカヴァー・アルバム『Breath From The Season 2018〜Tribute to TOKYO ENSEMBLE LAB〜』を発売、オリコン8位。過去に発表された楽曲から12曲をジャズアレンジでリメイクした作品集。

 

 

2019年4月3日、通算21枚目となるミニ・アルバム『東京少年少女』を発売、オリコン6位を記録した。

 

 

2020年5月13日、セルフカヴァーと洋楽カヴァーを収録した、REBIRTHシリーズ第二弾"となるアルバム『EARPLAY 〜REBIRTH 2〜』。小林信吾をアソシエイトプロデューサーに迎えた。


 

2021年、デビュー40周年ライヴを開催、パンフレットでは60歳以降の人生をサッカー等で言うところのロスタイムとして考えていると記載しており、新しいチャレンジについても思い留まっている様子がある。

 

 

2022年8月31日、8年ぶりとなる通算22枚目のオリジナル・フルアルバム『Inherit The Life』を発売、オリコン5位。

 

 

 

 

2023年5月17日、前作の続編となる23rdアルバム『Inherit The Life II』を発売、オリコン11位。



 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「角松敏生」

 

 

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